『M市誌』(M市教育委員会、2010)
第五章 郷土が誇る名家
一 木嶋家
木嶋家は、古くよりM市で炭問屋を営んでいた一族です。「山形に吉」の印を家印としたことから、「やまきち」とも呼ばれていました。大変裕福な一族で、江戸時代にはH藩のお殿様に炭十俵(なんと600キロ)を献上しており、その功績によって子孫まで名字を名乗り、帯刀する権利を得ました。
M市船瀬町には総面積三反(900坪)にも及ぶ邸宅を所有しており、近隣からは「炭御殿」と呼ばれていました。所有する土地は最盛期には百町(三万坪)に及んだと言われています。七代目当主にあたる木嶋惣次郎は船瀬町町会議長を務め、町の治水事業に尽力しましたが、明治十六年(1883)の海難事故により、志半ばで死亡してしまいます(享年三十ニ)。以降は子孫が絶えてしまい、当家が所有する二千点の古文書はM市に寄贈されました。寄贈された古文書は、M市の歴史調査に役立てられています。
第五章 郷土が誇る名家
一 木嶋家
木嶋家は、古くよりM市で炭問屋を営んでいた一族です。「山形に吉」の印を家印としたことから、「やまきち」とも呼ばれていました。大変裕福な一族で、江戸時代にはH藩のお殿様に炭十俵(なんと600キロ)を献上しており、その功績によって子孫まで名字を名乗り、帯刀する権利を得ました。
M市船瀬町には総面積三反(900坪)にも及ぶ邸宅を所有しており、近隣からは「炭御殿」と呼ばれていました。所有する土地は最盛期には百町(三万坪)に及んだと言われています。七代目当主にあたる木嶋惣次郎は船瀬町町会議長を務め、町の治水事業に尽力しましたが、明治十六年(1883)の海難事故により、志半ばで死亡してしまいます(享年三十ニ)。以降は子孫が絶えてしまい、当家が所有する二千点の古文書はM市に寄贈されました。寄贈された古文書は、M市の歴史調査に役立てられています。