W大学文学部史学科 三井歩ブログ『歴史家の散歩道』 Vol.32
非常勤講師・三井歩が新入生に歴史学の楽しさをレクチャー
「K島現地調査①」

三井:今回から、K島のフィールドワークを始めよう。四ツ谷家になにがあったかを確かめなければ。

四ツ谷:ああ、よろしく頼むよ。

三井:ということで、K島ゆきのフェリーに乗ったわけだが、東京からは本当に遠いな。近隣の港(本土)からでも2時間半もかかる。満席で2等客室しか買えなかったけど、見事にぎゅうぎゅうだ。

四ツ谷:陸から離れるとなんだか寂しいね。



三井:せっかく調査に行くんだから、ちょっと事前に勉強をしよう。

四ツ谷:そういえば、俺の先祖が武士だった可能性を考えて、藩士録を取り寄せたよ。K島を支配していたH藩の藩士の一覧でしょ? 「四ツ谷」はないけど、同じ読みの「四谷」姓の家が二つあった。これ漢文? まったく読めなかった……。

三井:そうだ。四ツ谷家の身分はまだ分からない。武士だった可能性もある。
これは、いわゆる「和風漢文」。たとえば「如奉願隠居被仰付」は「願い奉るが如く、隠居仰せ付けらる」となる。

ざっと読んでみたけど、四ツ谷の先祖らしき人はいなかったな。こうやって可能性をひとつずつ消していくのが大切。これで、H藩の上級武士という可能性は低くなった。藩士録には上級武士ばかりが記載されるから、下級武士の可能性は、まだあるけどね。

四ツ谷:除籍から、ほかに分かることはないの?

三井:ひとつ気になることがある。四ツ谷のひいおじいさんの富次郎さんの奥さんが、結婚直前に他家の養女に入っているんだ。

四ツ谷:どうして、そんな意味がないことをするの?

三井:結婚するふたりの家格が合わない場合、一度身分が釣り合う養子先をみつけて、そこの子どもにするんだ。たとえば、奥さんの方の家格が高くて、親から「四ツ谷家の人間と結婚するなら絶縁する!」とか言われたとか。逆もあり得るけど。

せめて、四ツ谷の親戚がK島に残ってくれていればなあ……。

四ツ谷:どうだろうか。K島を離れた時期に関しては、100年以上前かもしれないから。

三井:四ツ谷一族の末裔、100年ぶりの凱旋か。

四ツ谷:はるか向こう、K島のあたりに雨雲が見えるのが気になるな。先が思いやられる。