遠峰(とおみね)

古くは天正五年(1577)、豊臣秀吉による中国攻めの際、K島島主・二神隆職へ送られた所領安堵状にその名が確認される。本土から離れているため、戦国時代においても大きな戦乱は経験していない。

江戸時代以降は幕府領、H藩預所として、H藩庁から派遣された代官の支配を受けた。主産業は農業と漁業。文政2年(1819)の検地帳では、戸数53軒、人口は223人と島内最大の規模を誇る。庄屋としての役割は「公文」と呼ばれる家が世襲しており、江戸時代を通して永海家がこれを独占した。村内には真言宗の徳明寺、天台宗の光順寺(明治時代に廃寺)、遠峰神社がある。ほか、当該地域特有の土着信仰が確認されている。(永海家文書)