気付くと、身体は奇妙な浮遊感に包まれていた。


美保(みほ)が不思議に思って瞳を開くと、そこは何の変哲もないエレベーターの中だった。


立ったまま意識を失っていたようだ。


エレベーターは駆動音を一切立てないまま降下しているようだった。


狭い箱の中には見知った男女の姿があった。


全員が立ったまま瞳を閉じている。


「……ちゃん、千夏(ちなつ)ちゃん、起きて」


長身の少女の腕を、何度も揺らして呼びかける。


「うん……」


眠たげな声を出して、千夏が目を開く。


不思議そうにキョロキョロと辺りを見回すと、当然の質問を口にする。


「美保……ここ、どこ?」


千夏の覚醒に安堵の息をつきつつも美保はかぶりを振って答える。


「わたしも今起きたばかりでわからないの。
 ……わたしたち、今まで何処にいたんだろう、わかる?」


千夏は記憶を探るように表情を険しくしたあと、静かに首を振った。


「わからない。ここ何処?エレベーター?
 あたしたち何でこんなところにいるの?」


千夏の勝ち気そうな瞳が混乱に揺れたのを見て、美保の動揺が更に深まっていく。


ふわりと毛が逆立つような本能的な恐怖が美保を襲った。


おかしい。


エレベーターは停まる気配をみせない。


よほど高い場所から降下しているのだろうか。


でも、どこから?


「とりあえず、男どもを起こそう」


千夏の提案に美保は頷く。


(すぐる)、すぐる、起きて!」


千夏が長身で細身の端正な顔立ちの少年の身体を揺さぶる。


「……あ?」


傑が目を覚まし、千夏に安堵の表情が浮かぶ。



「ここは?」


その整った顔に憂いが影を落とす。


「なにがあった……?」


 傑もやはり、このエレベーターに乗り込むまでの記憶を持ち合わせていないようだった。


傑が箱内部を眺める横で、美保は浅黒い肌の少年、洋介(ようすけ)を起こしていた。


洋介は目をこすりながら呑気に欠伸している。



美保は飛びつくように洋介の腕を掴んだ。



「洋介くん、おかしいの。もう何分も経つのにこのエレベーター停まらないの」


「はあ?そんなの停止ボタン押せばいいだろ」


洋介に言われてハッとした他の三人が一斉にドア横のボタン類に目をやる。
 

  ボタンは『上』『下』のふたつしかなかった。


階数表示はなく、ボタンの下に鍵穴らしきものがあるだけだ。


「管理会社に繋がるボタンがあるはずだ、探せ」


傑が低い声で冷静に指示を出す。


「そんなのないよ!何処に行っちゃうの、わたしたち……どうして停まらないの?」


とうとう美保の涙腺が決壊した。


「うるせえな、泣くんじゃねえよ!クソッ何処なんだよここは。何処に向かってる?何で停まらねえんだ?」


洋介が苛立って叫ぶ。


「天井は?トラブルがあったとき板を外して逃げるシーン、テレビで見たことある」


千夏の提案に全員が固唾を呑んで天井を見上げる。


天井はつるりとした一枚板で、割れ目や裂け目の類いはなかった。


消えていく可能性にじりじりと息が詰まる。



最早、降りているのか、昇っているのかすらわからない刻が永く永く続いた。


「誰か……」


美保が呟くように言うと、 やがて力強く扉を叩き始めた。


「誰かいませんか、助けて!」


感化された洋介も加わって扉を叩く。


「おい、出せよ!誰かいねえのか!?」


応答はない。


美保は、恐慌状態に陥りはじめていた。


 ここは何処なのか?


 自分たちはどうしてここにいるのか。


 千夏も扉を叩き、叫び始めたその時。


すうっと音もなく降下が止まった気配がし、数秒後、扉がスライドして開いた。


息を呑んで四人は顔を見交わし、そろりそろりとエレベーターから足を踏み出した。


全員エレベーターから脱出し、辿り着いた場所を見回すと、そこは何処にでもありそうなオフィスビルのエレベーターホールのようなところだった。


美保たちが降りてきたエレベーターの隣には、もう一基口を閉ざしたエレベーターがあり、寒々としたロビーに人影はない。

 
 
四人は無言のまま靴音だけを響かせて開きっぱなしの自動ドアを抜けて、三段ほどの階段を下り、外へ出た。



「なに、あれ……」


千夏が空を見上げ呆然と呟き、三人はつられて顔を上げる。


空は一面、血を固めたような夕焼けよりも更に毒々しい真紅に染められ、真っ黒な雲がいくつか浮かんでいた。


太陽もなければ月もない。


不気味としか言いようがない。


美保は、今しがた自分たちが出てきた建物を見上げた。


電波塔のようなタワーが、天に向かって長く伸び、それは雲をも貫いていてその頂点は見られない。


自分たちはきっとあのタワーをエレベーターに乗って降りてきたのだろう。


さえずる小鳥の声も、行き交う人の喧騒もない、全くの無音の世界。


ゴーストタウン。


 四人はアスファルトの車道を横切り、正面にある広場へと進んだ。


水が噴き上がっていない枯れた噴水を中心に囲んだ円形の広場だった。


示し合わせたように、四人は制服のポケットに手を伸ばしスマホを操作する。


圏外。スマホは意味をなさなかった。


手詰まりの状況に四人は揃って溜め息をつく。


「警察とか、何処なのかな」


千夏が辺りを見回しながら呟く。


「誰か・・・」


美保が呟いたその時だった。