「愛里。これで、良かったか?」

 鉄臭い臭気が濃くなる中、いやに落ち着いた声が聖奈の耳を衝いた。ハッとして見れば、額からの出血をハンカチで押さえた智が、愛里に話しかけていた。

「約束通り、俺はあいつ、西条が死ぬように仕向けた。これで、良かったんだな?」
「えっ!?」

 複数の驚嘆が教室に走る。しかし、そんな声を気にした様子もなく愛里は小さな肩を震わせてこくりと頷いた。

「うん……ありがとう。私の大切な友達の仇をとってくれて……本当に、ありがとう」
「ちょ、ちょっと待って! いったいどういうこと?」

 奈波が思わずといったふうに叫ぶ。そんな奈波の方へ視線を向けると、愛里はゆっくりと口を開いた。

「水戸部くんの、言葉の通りだよ。私が……水戸部くんにお願いをしたの。私の友達、夕実が不登校になった原因である、西条くんに復讐するために」
「岡辺の復讐って……じゃあ、智とその夕実って女子が付き合ってたのは嘘なのか?」

 定彦が訊く。愛里はふるふると首を横に振った。

「ううん。水戸部くんと夕実が付き合ってたのは本当。ただ、水戸部くんは別に西条くんを憎んでたわけじゃない。本当に憎んでいたのは、私の方なの」
「そういうことだ。まあ、憎んでなかったわけじゃない。目障りだとは思ってた。なんせ、俺の元カノをとったのは本当だしな」
「元カノって……水戸部。あんた、今は付き合ってないの?」
「ん? ああ。夕実が西条に浮気したのは本当だしな。それで実際、愛想が尽きた」

 美友花の問いに智は淡々と答えると、額を押さえていないほうの手で愛里の肩に手を回した。

「それに、俺は今愛里と付き合ってんだ。なっ?」

 朗らかな笑みを浮かべて、智は愛里を見下ろす。愛里は恥ずかしさからか、一瞬の逡巡ののち小さく首肯した。

「夕実が西条の誘惑に乗せられた時にさ、頭きちゃって。愛里にいろいろと相談に乗ってもらってたんだよ。そうしたら、まあなんつーか、好きになったんだ」
「なるほどな。それで水戸部、お前から告白して付き合ったのか?」

 最初は暴れたものの、以降大人しくしていた大毅が前に出る。頭ひとつ分以上ある顔を見上げて、智は頷く。

「そういうこと。そんなわけで、ごめんだけど俺らは先に出るわ」
「は?」

 唐突な智の言葉に、大毅が聞き返した。聖奈を始めとした他の面々も、いきなりの発言に息を呑む。

「あの運営女の放送、聞いてたよな。ここから出るには、どうやらちゃんとした好意ってやつを持って証明するか、あるいは本当の好意に見えるほどの覚悟の持った証明をしないといけないらしい。だとしたら、この中で確実に出られるのは俺らだけだろ。他に付き合ってるとか、好意をお互いに持ってる人がいれば別だけど」
「それはそうだが。だがな」
「あのさ、ずっとそうやってみんな出ていっただろ。それに、もう時間もほとんどない。話し合うなら、人数は少ない方がいい」

 智の言葉には説得力があった。
 早くここから出たい。死にたくない。話し合いで残る人を決めるなんてしたくない。なにより、そんな状況で他の人が出ていくのはずるい。
 そんな気持ちは全員にあった。しかしそれだけを表に殊更出すわけでもなく、あくまでも冷静な意見まで並べる智に、真っ向から反対する者はいなかった。

「本当にすまないとは思ってる。だけど、俺だって好きな人を死なせるわけにはいかないんだ。だから、出るよ」

 どこまでも平静な口調でそう言うと、智は愛里に「行こうか」と促した。愛里は何も言わず、かといって抵抗するわけでもなく足を踏み出す。
 申し訳ない。ごめんなさい。
 そんな罪悪感が垣間見える様子に、聖奈は反対の声をあげられなかった。

「待てよ」

 その気持ちは、みんなも同じだと聖奈は思っていた。けれどただひとり、大毅だけが二人を呼び止めた。

「お前、岡辺を脅してるだろ」
「は?」

 いきなりの指摘に、智は足を止めた。聖奈たちも、驚いて大毅を見る。

「岡辺の手、震えてんだろ。お前、岡辺に何をした?」

 ハッとした。聖奈を始め、全員が愛里の手に視線をやる。確かに、その小さな手は小刻みに震えていた。

「ほんと、このクラスってクズなやつが多いのな。岡辺、怖がるな。なにがあった?」
「このデスゲームに怯えてるだけでしょ。それに何があってもお前には関係ないだろ」

 振り返る愛里の前を遮って、智が大毅の正面に立つ。

「俺は愛里のことが好きだ。愛してる。その気持ちに嘘偽りはない。それでいいだろう?」
「はぁ? よくねーだろ。それだと一方的な好意の押し付けじゃねーか。そんなこともわかんねーのか、アホが」

 大毅は強引に智を押し退けると、愛里との間に割って入った。

「岡辺。俺の勘違いだったらすぐにどく。お前は、脅されてるのか?」
「私、は……」

 愛里は答えない。何も言わない。
 智は「脅しなんかあるわけないだろ!」と吠えた。

「大丈夫だ」

 大毅は、これまでの彼からは聞いたことがないほど柔らかに言った。そんな声に押されてか、それまで沈黙を貫いていた愛里が、ゆっくりと首を縦に振った。

「脅し、というか……水戸部くんに、暴力を振るわれてます……」
「愛里っ!」

 智の制止を振り切り、愛里は震えた手で制服の袖をめくりあげた。奈波が小さく悲鳴をあげる。そこには、青くなったあざがいくつもあった。

「彼は、基本優しいんです。でも……機嫌が悪い時とか、私がちょっと男子と話した日とかには、暴力を振るってきて……。私、怖くて、怖くて。さっきのお願いも、西条くんに恨みはあったけど、最初は縁を切るための口実にしようと思って言ったの。ただ、本当に実行しちゃって、私、わたし……!」

 愛里の瞳から涙が溢れ出した。一滴、二滴と染みを作った床に、愛里はそのまま泣き崩れる。
 その時、近くにあった椅子が飛んだ。

「水戸部、あんた! あれだけ愛里のことが好きだとか大切だとかぬかしておいてっ!」

 椅子は真横から智の腹部を直撃した。意表を突かれた智は受け身をとることもできずに床に転がる。
 聖菜を始め、全員が呆気にとられていた。

「大口……てめえ」

 倒れていた机の角にぶつけ、再び出血した額を押さえながら、智は椅子を投げた女子、奈波を睨み付けた。その目は血走っており、冷静さを完全に欠いた敵意をむき出しているが、奈波は動じない。
 いやむしろ、それ以上に奈波は激昂していた。

「おかしいとは思ってた……! 他クラスの女子と付き合ってたあんたが、いきなり愛里に乗り変えたことに……。でも、愛里が楽しそうだったから、いいって思ってた。どうせうちは、愛里とまともに話せないし」
「な、なみ……」

 愛里が掠れた声で奈波を呼ぶ。けれど奈波は答えることも視線を向けることもなく、無視をした。

「中学の時に愛里がいじめられて、うちは見ていることしかできなかった。そっから疎遠になって、高校じゃ属してるグループも違うから余計に話せなかった。でもうちは、愛里が幸せならそれで良かった。このクソなゲームも、あんたが愛里を連れ出してくれるなら、それで良かったのに……。それをあんたは、あんたは……っ!」
「るせえ!」

 外から差し込む陽光が、キラリと閃いた。誰のものかわからない短い悲鳴が鳴る。
 立ち上がった智の手には、狙撃で割られた窓ガラスの破片が握られていた。

「お前に何がわかんだよ! 俺は、愛里のことが好きなんだよ! それをわかってもらおうとしただけだろうが!」

 智は一歩、前に進む。その目は、殺意に満ちていた。

「何が悪い! ちょっと痛い思いをするのは当然だろうが! 悪いのは、愛里の方だろーが!」

 窓ガラスの破片が構えられた。奈波は呆然と立ち尽くしていた。そこで初めて、愛里の方へ目を向けた。

「部外者がっ! そのいじめをただ見てただけの共犯者が! 偉そうに言ってんじゃねーーっ!」

 智が走り出した。その手からはかなり出血しているが、取り落とす気配はなかった。
 愛里が叫ぶ。
 奈波は動かない。
 聖菜も、麻耶も、定彦も、クラスにいた全員が、見ているだけだった。

「やめろっ!」

 違った。ただひとり、大毅だけが動いていた。

「あ、い、いや……」

 力ない愛里の声が漏れる。
 智の胸の高さで低く構えられたガラス片は、深々と大毅の腹部に突き刺さっていた。
 
「ちっ、お前、また邪魔を……!」
「う……せぇ。俺には、力しかねえんだよ……」

 大毅は吐血しつつも、智からガラス片をもぎ取った。そしてそれを、誰もいない教室前方へと放り投げる。

「これで、偶数……だ。てめえは、ここから出たら……罪を償うん、だな……」
「っ!」

 智がたじろいだ。と同時に、大毅は膝から崩れ落ち、そのまま智にもたれかかるようにして倒れた。

「いやあああぁぁっ!」

 愛里の絶叫が響いた。足早に大毅に駆け寄ると、その血塗れの大きな背中にすがりつく。

「平野くん……まだ私、お礼言えてない……! 平野、くん……っ!」
「くっ! おい愛里、来いっ!」

 そこで、あろうことか智は愛里の腕を強引に引っ張り、大毅から引き剥がした。

「何するのっ!」
「黙れ! ここから出るんだっ! 早く来いっ!」
「いやああぁ! やめて! 離して!」
「っ、水戸部! どこまでクズなの、こいつ!」
「うるせえ、うるせえ! なんでどいつもこいつも俺の思い通りにならないっ! 愛里も、夕実も! お前らは黙って言うことを聞いてりゃいいんだよっ!」

 智の恫喝に、愛里は何かに気がついたようにピタリと動きを止めた。

「そっか、だから……だから夕実は……西条くんなんかの言葉についていったんだ……あんたが、夕実にも暴力を振るっていたから……!」

 そして、全ての感情を失った目で智を見て、叫んだ――。

「私は、あんたの告白は受けないっ! あんたと一緒に出るくらいなら、ここで死んでやるっ!」

 刹那。鮮血が愛里の頭上へ降り注いだ。
 愛里のものではない。心臓を撃ち抜かれた、智の血だった。

「か……はっ……て、め…………」
「あああぁぁああああああっ!」

 智が血達磨となって床に転がったのと、愛里が走り出したのは同時だった。

「愛里っ! だめーーーーーっ!」

 奈波も駆け出す。
 大毅が絶命してから、僅か一分に満たない出来事だった。
 銃声が、二発こだました。
 一発目は、教室から出た小柄な愛里の脳天を貫いた。
 二発目は、廊下で愛里の手を捕まえた奈波の胸部を撃ち抜いた。
 既に血だまりとなっていた彰と杏子の身体の上に、覆い被さるようにして二人は倒れ伏した。
 誰もが言葉を発さなかった。発することができなかった。
 ただひとつ――。

『はーい! これは急展開ですねー! 野暮な感想は無しとしまして~! 残り人数は5人、タイムリミットまで、あと8分でーす! いよいよクライマックス。面白いドラマを見せてくださいね~!』

 ゲームが始まってから今の今まで、一度も声色が変わっていないスピーカーからの声を除いては。