『はいはーい! 記念すべき一組目のカップルが誕生しましたね~! パチパチ~! これは文句無しのラブラブな関係を築いていけそうですねー! ということで、残る独り身生徒は24名となりまーす。残り時間も33分しかないので急いでくださいねー』

 勇輔と秋穂が教室をあとにしてすぐに、スピーカーから楽し気な声が流れてきた。しかしそれは、すぐにプツッというノイズを発して聞こえなくなる。

「ちっ。なんなの、あれ」

 スピーカーに舌打ちを飛ばしながら、不機嫌さを隠す素振りもなく椅子に座ったのは柚木杏子だ。

「状況を考えろって思うよねー。ああいうの、マジさむいし。つーか、なんであんなやつ選ぶんだよ。フツーは違うだろ」

 溢れ出てくる言葉の端々には、自分が選ばれなかったことに対する不満がありありと出ていた。いわゆるスクールカーストの上位に君臨する杏子としては、下位に落ち着いている秋穂が選ばれたことが納得できないのだろう。
 いつもの軽い愚痴とは違う明らかに不穏な言葉の数々に、彼女と仲のいい美友香や奈波もなだめるのを諦めて、「マジそれ」「時と場所を考えてほしいわー」と同調しているばかりだった。

 ――くれぐれもなめないでくださいねー。

 スピーカー先の女の言葉の意味を、聖奈はこの時初めて理解した。
 一瞬たりとはいえ、自分の命の行く末を見知らぬ他人に預けることは怖い。なるべく信頼できる人や、必ず自分の思い通りの返答をしてくれるような人を望むのが普通だ。
 そして、先ほどの勇輔の言葉。

 ――それになにより、秋穂を置いて教室を出て行くことは……俺にはできない。

 このゲームでは、全員が解決策に従って仮初の恋人関係になり、しっかりと怖気付くことなく証明を完遂すれば助かることができる。
 だが主観的に考えてみた場合、確実に助かると断言できるのは、自分と恋人関係になった人だけだ。
 自分と恋人関係になった人以外が助かるかどうかは、他人の言動や判断に委ねることになる。もし失いたくない好きな人がクラスにいた場合、その人の命運を他人に委ねることができるだろうか。
 聖奈は、小さく唇を噛んだ。
 このデスゲームを死者を出すことなく完全クリアするためには、全員が感情を一時的に捨てて全体幸福のために合理的な判断をするほかないのだ。
 頭ではわかっていてもそれがいかに難しいことかを、聖奈は改めて思い知らされた。

「おい、いつまでもグチグチ言ってんな」

 聖奈があれこれと考えを巡らせていると、唐突に大毅の不機嫌そうな声が割り込んできた。聖奈はすぐに現実に引き戻される。
 どうやら、未だに不満が止まらない杏子に向けて言ったようだった。

「はあ? なにが?」
「なにが、じゃねー。残り時間は30分しかねーんだぞ。さっさと次いかないといけねーって時に、無駄な時間使ってんじゃねーよ」

 大毅の言葉は、この場にいる誰もが思っていたことだ。時計に目を向けると、15時20分を指している。
 杏子もそのことに気づいたようだが、フンと鼻で笑い返した。

「はっ、ウザ。さっきの質問タイムで無駄な時間使ってたのはどこのどなたでしたっけー?」
「なんだと?」
「あれー? そこにいるのはスピーカー女から怒られた大毅くんじゃないですかー? どの口が言ってるのかな~?」
「てめえっ!」
「はいはい。ストップ。平野、暴力はいけないって」

 小馬鹿にするような杏子に思わず掴みかかろうとした大毅を定彦が止めた。

「柚木も。これ以上時間使うとまずいから、いったん矛は収めて」
「は? 告白して証明して出るなんて1分あればいけるでしょ? うちにはカンケーねーし」
「まあまあ、そう言わずに。大毅も抑えて抑えて」

 自分のことしか考えていない杏子の言葉に、定彦は小さく肩をすくめる。これ以上の問答は無駄と判断したのだろう。それ以上は特に言い返すこともなく、顔に怒りをたぎらせている大毅を落ち着かせると、取り巻いているクラスメイトの方を向いて口を開いた。

「さっ、みんな。時間があるにしろないにしろ、早くこんなゲームはクリアするに限る。次に出てくれる人はいないか?」
「じゃあ、次は俺らが行くわー」

 待ってましたとばかりに手を挙げたのは、3年2組のカップルといえばでお馴染み、望月竜輝と日野菜々だった。
 二人は1年生の時から周囲が呆れるほどのラブラブっぷりを見せつけており、このクラスどころか3年生で竜輝と菜々が付き合っていることを知らない人はほぼいないほどだった。勇輔の一幕に僅かな波乱があったにせよ、何をすれば教室から出られるのかがわかった以上、二人が行くのは納得できた。

「竜輝たちか。それじゃあ頼む。俺らもすぐに行くからな」
「はいはーい。任されました。先に教室出て警察に連絡しとくね。なぜか知らないけど、ここだと繋がらないし」

 菜々はひらひらと手に持ったスマホを振った。
 そうなのだ。先ほどまでルール説明やら配信のリンクやらと電波が繋がっていたのに、いつの間にかスマホの上部には圏外と表示されていた。おそらくは、電波を妨害する何らかの装置が起動しているのだろう。

「んじゃ、菜々」
「うん」

 竜輝はそっと菜々の手を引くと、先ほど勇輔たちが出て行った教室後方の出入り口に立つ。

「菜々。何度言ったかわからないけれど、出会って五年経った今でも、俺の気持ちは変わっていない。俺は、菜々のことが好きだ。大好きだ。その気持ちは、最初の頃よりも大きくなってる。だから、俺と付き合ってください」

 言葉少なく、竜輝は菜々の目を真っ直ぐに見つめて言った。

「はい! もちろん喜んで!」

 菜々も簡潔に答えると、勇輔たちと同様に互いの唇を交わしてから教室を出た。銃声やガラスの割れる音は聞こえない。二人は朗らかに笑顔を浮かべると、放送室のある方へ向かって駆けていった。

「大丈夫そう、かな」
「ああ。いけるかもしれねー」

 定彦の呟きに彰が答えた。
 そこから先は、思いのほか早く進んだ。

「おーい、拓篤。俺さ、お前のこと本気でマジでたぶんめっちゃ好きなんだ! だから、付き合ってくれ! そして早く教室出ようぜ!」
「って、蓮さ。そんな適当な感じで言って大丈夫かよ。まあ、俺としても願ってもないけどさ。じゃあ証明は……って、待て待て待て! 俺の心の準備がまだ……あ」

 3年2組の大馬鹿コンビ、倉木蓮と新藤拓篤がコントみたいな告白劇を繰り広げて外に出た。何事もなかった。

「輪花……あのね、好きです。凜々花と、その、えと、付き合ってくださいっ!」
「は、はいっ! ここ、こちらこそ……よろしくおねひゃいします……」

 クラスであまり目立たない内気な吹奏楽部女子、有田凜々花と有川輪花が蓮・拓篤コンビの後にそそくさと告白とキスをして出ていった。何事も起こらなかった。

「和也ー! 今度はあんたの方から告白してよー! あたしがあの時味わった恥ずかしさ、あんたにも味わってほしい! ちゃんと了承してあげるから、ほら、せーの!」
「え、ええっ!? 俺はそういうこと言うの苦手っていうか……あれ。これ、既に告白じゃ?」

 クラスの中で付き合っていそうと噂の、江田佳代と八方和也もその真実を面前に晒して飛び出していった。何事も、なかった。
 あっという間に、3年2組の教室に残っているのは14人となった。「意外とヌルい?」なんて声まで上がる始末だった。
 聖菜は麻耶と出るつもりでいた。しかし、いくぶん落ち着いたとはいえ麻耶は混乱している様子だったので、未だに手を挙げられずにいた。

「こ、光誠! あたしたちも!」

 その時、またひとつ声があがった。紛れもなく、桃香の声だった。

「ん、ああ。そうだな」

 制服の袖を引かれた浅間光誠は、桃香に引きずられるようにして前に出て行く。そこそこ後のタイミングになったのは意外だったが、どうやら桃香も外に出られそうな感じだ。
 しかし、ゲームの状況が動いたのは、この時からだった。

「こ、光誠……早く、告白してほしいんだけど」
「え、俺から?」

 桃香の催促に、光誠は驚いた様子で目を見開いた。まるで桃香から言われることが当然だとばかりの反応に、今度は桃香の方が驚嘆の声を漏らす。

「え、だって……光誠から、あたしに告白してくれて、付き合ったんじゃん」
「それはそうだけど。俺的には、今度は桃果から言ってほしいな。告白、一度されてみたかったし」

 光誠はにへらと口元を緩めた。人懐っこい笑顔が、そこにはあった。
 けれど、桃果は口籠った。
 告白することを、躊躇っているようだった。
 自然と聖菜の頭の中に、ルール説明の3つ目が思い出された。

 ③告白できるのは1人1回まで。告白を断られた場合は殺される。

 そしてそれは、おそらく光誠もそうだったのだろう。
 見てわかるほどに、浮かべていた笑顔が消えていった。

「はあー。桃香さ、もしかしなくても、告白を断られるかもって思ってる?」

 光誠の低い声が、桃香に向けられた。びくりと桃香の肩が跳ねる。

「そ、そんなこと!」
「どーだか。桃香ってさ、いつもそうだったよな。自分大好き構ってちゃんで、自分の思い通りにならないとすぐ不機嫌になる。しかも人の気持ちを試すようなこととかもしてるくせに、逆にされたら怒るんだもんな。ほんと、自分のことしか考えてねーよな」

 光誠は小さくため息をつくと、つと桃香の後方へ歩みを進めた。
 そして。二人の行く末を眺めていた3年2組のクラスメイトの中から、ひとりの手をとった。

「沙月。俺、やっぱりお前の方が好きだ。俺と、付き合ってくれ」

 能仲沙月。勇輔や智が所属するテニス部のマネージャー。ぶりっ子めいた仕草が女子からは不評でありつつも、男子からはかなりの人気を誇る女子だ。

「ほんと~! 嬉しい! もちろんだよ、こーせーくんっ!」

 それまで状況を静観していた沙月が、ゆるふわな声で甘える。近くにいた杏子たちが小さく舌打ちしたが、表立って沙月たちに意見することもなかった。

「ねえ待って、待ってよ。光誠……!」
「うるさい。話しかけてくるな」

 すがりつく桃香の手を、光誠は無情にも振り払った。桃香はバランスを崩し、尻もちをつく。

「告白を断らなかっただけでも、感謝してほしいな」

 光誠は短く吐き捨てるように言うと、そっと沙月の口元に顔を近づけた。「んっ……」と色っぽい声が沙月の口から漏れる。
 そのまま二人は手を繋ぐと、ゆっくりとした足取りで教室の出入り口に向かって歩いていく。

「桃香……」

 ほとんど衝動的に、聖奈は桃香に駆け寄ろうとした。
 呆然と立ち尽くす桃香の後ろ姿を、これ以上見ていられなかった。
 事件は、そこで起こった。

「……っ! 光誠! あたしは、それでも光誠のことが好き! 大好きなのっ! あたしと、あたしと……付き合ってよ……!」

 その場にいた全員が、息を呑んだのがわかった。
 あろうことか、桃香は自分を想いを口に出した。光誠と沙月が教室をあとにするまさにその寸前に、「告白」をしたのだ。

「ごめん、ごめん……光誠……。あたしが、間違ってた。確かにあたしは、自分の思い通りにならないと苛立ってた。自分に自信がないから、光誠があたしのことを本当に好きなのかどうかも信じられなくなって、試すようなこともたくさんしてた。本当に、本当にごめんなさい……! これからは、そんなことしないから……悪いところは直すように頑張るから……だから、お願い……あたしを、見捨てないで……」

 光誠は、驚愕の表情を顕わにしていた。
 あと一歩、足を踏み出せば教室から出られる。その状況で、自分が「告白」されたのだ。

「桃香、お前……」

 戸惑い。混乱。恐怖。様々な感情が、光誠の顔に浮かんでは消えていった。桃果は何度も光誠の名前を呼んでいた。

「……こーせーくん。ほら、行こ」

 しかし、そこでグイっと沙月が光誠の袖口を引っ張った。
 たった一度。たった一度呼ばれただけだった。それでも光誠は一瞬の逡巡のあと、「ごめん」と一言謝り、沙月とともに教室から出ていった。
 それが意味するところは、ひとつだった。
 破砕音が、すぐ真横を駆け抜けた。
 続いて、強烈な血糊の臭いが、鼻の粘膜を刺激する。

「桃果っ!」

 聖奈の叫びも虚しく、桃香は制服を鮮血に染めてリノリウムの床に倒れた。