「おい、大渕。お前、さっき考えがあるとか言ってたよな。聞かせろよ」
女の声が聞こえなくなってすぐ、倒れた机に腰を下ろしていた大毅が立ち上がった。その目は鋭く怒気を湛えたまま、勇輔を睨みつけている。
「ああ、説明するのはまあいいんだけど。ただ、ちょっと困ったことになった」
「どういうことだ?」
「えっと、時間もないしとりあえず策について説明するよ。って言っても、気づいている人もいると思うけどね」
続けて勇輔が話した策は、ちょうど聖奈が考えたものと同じ内容だった。
このクラスの生徒数は偶数であるため、仲の良い友達同士や席が近い見知った者同士で2人1組となり、その場限りの恋人関係となる。証明は恥ずかしいかもしれないが、命には代えられないのでできる限り本気でやってほしいとのことだ。
「ただ、ひとつ。この証明だが、さっきスポンサーに向けて配信されていると言っていた。そしておそらく、録画もされている」
「え、録画って……それってつまり、俊介先輩以外の人とそういうことしてる場面を撮られるってこと!?」
勇輔の言葉に、3年2組のムードメーカーである小畠美友香が小さく叫んだ。
彼女は、去年までこの高校に在籍していた卒業生でサッカー部に所属していた柳多先輩と付き合っており、自他ともに認めるラブラブっぷりをSNSにもあげていた。もっとも、柳多先輩はイケメンだが嫉妬深いと陰で噂されており、そこまで羨ましがる人も多くはなかったのだが。
「まあ、大丈夫でしょ。その場限りなんだし、柳多先輩もわかってくれるって」
「そーだよ、美友花。うちらからも説明してあげるしさー」
取り乱す美友香を、彼女と仲のいい大口奈波と柚木杏子が両側から抱きつくようにしてたしなめる。校則を完全に無視した短いスカートが揺れ、派手なネイルが美友香の頭を撫でていた。
「いやいや、勇輔が言ってるのはそーいうことじゃねーんだよ」
しかし、そんな二人の慰めの言葉も、話の輪に入ってきた3年2組の男子サイドムードメーカー、西条彰によって上書きされた。
「はあ? それ、どーいう意味?」
「録画された映像がスポンサーに見せられるんだぜ? とーぜん、渡される可能性もあるだろ。何に使われるかわかったもんじゃねーよ」
首元が開いたカッターシャツや歪んだネクタイといった着崩しをしている見た目のわりに、彰は地頭がかなりいい。ヘラヘラと笑いながらも真面目な危険性を示唆してきたことに、3年2組の生徒たちはそれと見てわかるほどに狼狽えた。
「うそだろ」
「それだったらまだ同性が良くない?」
「相手選ばないとだよねー」
「変なやつとキスとかできねーよな」
「あと本当の恋人がメンヘラじゃないやつにしとかないとな」
「確かに。この場限りだとしても刺されそう」
「えー既に付き合ってるやつらズルすぎ」
「でもそんなことも言ってらんないよね」
方々で不満や懸念の声が上がっていく。もっとも、実際に口に出しているのは比較的社交的な生徒ばかりで、内向的な生徒は教室の隅に集まってひそひそと話していた。
かくいう聖奈もそのひとりで、飛び交う不安の声の下、そっと麻耶に近づいた。
「ねえ、麻耶。大丈夫?」
「う、うん……」
近くに来るまで聖奈は気がつかなかったが、麻耶は小刻みに震えていた。尋ねるまでもなく、至近距離で田町先生が撃たれて血を流すところを見てしまったせいだ。
「落ち着いて。窓際の方に行こう?」
「うん……ありがと、聖奈」
こくりと弱々しく頷く麻耶の手を引き、聖奈は窓際の後方まで歩いていく。その途中で桃果の姿を探したが、どうやらカレシである浅間光誠と喋っているようだった。
二人で教室から出るための手筈を整えているんだろうな、と聖奈は思った。先ほど誰かも言っていたが、既に3年2組内で付き合っている生徒にとっては、今回のお題はかなり難易度が下がる。今付き合っている恋人に再度告白をして、紛れもない本当の恋人同士の二人として堂々と証明をしてから教室を出ればいいのだから。桃果と光誠との仲が悪いという話も聞かないし、その意味では桃香はほぼ勝ち確の立ち位置にいる。
安心したやら羨ましいやらの複雑な感情が、聖奈の心に湧き上がる。けれど、仕方ないのだ。地味で勉強しか取り柄の無い聖奈は、これまで告白したことも告白されたこともないのだから。
聖奈が無理やり自分を納得させつつ麻耶の背中を撫でていると、クラスの中心で話していた勇輔がパンッと小気味良い音を立てて手を合わせた。
「よし、みんな聞いてくれ。今の時刻は15時13分。時間もあまりない。不安要素はいろいろあるが、死んだら元も子もないんだ。まずは言い出しっぺの俺が最初にいくから、その後は心の準備ができた人から告白していってくれ。それと、告白をされた方は本当の気持ちはどうであれ、必ずOKするようにな。断ったら、死んでしまうから」
透き通るような勇輔の発言に、クラスメイトは次々に首肯した。全員が助かるゲームの攻略法を提示するだけでなく、先陣を切って実行するその気概も含めて、否定する声はひとつも上がらない。
勇輔は小さく息を吐いてから、前を向いた。
緊張しているのがわかった。
それはそうだ。一瞬だけでも、自分の命を他人に預けることになるのだ。緊張しないはずがない。
勇輔は、いったい誰に告白するのだろう。
いつも仲の良い爽やか秀才男子の定彦か、あるいは中学からテニスで競っているらしいライバルの水戸部智か。
いや、もしかしたらここぞとばかりに女子の誰かに告白するかもしれない。奈波や杏子とは休み時間にしばしば親し気に話しているし、テニス部のマネージャーで男子からも可愛いと人気のある能仲沙月の可能性も考えられる。仮初の告白だとしても、勇輔のそれが意味するところは、少なくとも女子たちの中ではかなり大きなものとなる。果たして。
「――秋穂」
けれど、勇輔の口から出た名前は、その場にいる誰もが予想だにしていない名前だった。
いつもクラスの隅の席でひとり静かに本を読んでいる女子、山科秋穂は驚いた様子で勇輔を見た。
「高校に入ってから、話すのは初めてだよな。なんだかんだ二回も同じクラスになったのに、俺は結局三年の今になるまで話しかけられなかった」
勇輔の僅かに震えた声が教室に響く。さっきまでの透き通るような爽やかは、すっかりなくなっていた。
「でも、知ってる。テニスの大会にずっと応援に来てくれていたこととか、目立つのが嫌なのに体育祭で声を出して応援してくれていたこととか、中学の文化祭で……一緒に見て回ろうって、誘おうとしてくれた、こととか……」
「勇、ちゃん……」
「俺、昔から一緒に遊んでた秋穂と付き合うのが怖かった。付き合って、でもすれ違いとかしてしまって、それで喧嘩して別れたりなんかしたらって思うと、怖かった。だから、距離を置いてた。チキンだよな、俺。ほんと情けない」
そこで、勇輔は言葉を区切った。
みんな、勇輔の方を見ていた。
「でも言うよ、俺。チキンで臆病な俺に夢を見させてほしいっていう気持ちもあるんだけど、秋穂になら命を預けられるから。仮に断られても、恨んだりしない。それになにより、秋穂を置いて教室を出て行くことは……俺にはできない」
勇輔は、お腹の前で組まれた秋穂の手をとった。
「秋穂、好きです。俺と、付き合ってください」
その瞳は、眼差しは、とても真剣だった。
自分に言われているわけじゃないのに、胸の辺りが跳ねた。
まるでそれは、映画や漫画のようで。
不純物の混じっていない青春恋愛のワンシーンが、そこにあった。
「はい……はい……! 私も、勇ちゃんになら……命を預けられます……!」
秋穂は潤んだ瞳で勇輔を見つめて、何度も何度も頷いた。
そこからは、一瞬だった。
勇輔は顔を綻ばせ、秋穂を抱き寄せた。
「ありがとう。ありがとう……秋穂」
勇輔は、誰彼の視線も感情も眼中にないようだった。
みんなが見ている前で、彼はそっと秋穂と唇を重ねた。
それから、呆然としているクラスメイトの隙間を通り抜けて、二人は手を繋いだまま教室から出て行った。
どのくらいの時間か、3年2組には沈黙が漂っていた。
実際には、僅かな時間だったように思う。
「あれマジなの?」
けれど。その後には、杏子の苛立ちめいた言葉が吐き捨てられていた。
女の声が聞こえなくなってすぐ、倒れた机に腰を下ろしていた大毅が立ち上がった。その目は鋭く怒気を湛えたまま、勇輔を睨みつけている。
「ああ、説明するのはまあいいんだけど。ただ、ちょっと困ったことになった」
「どういうことだ?」
「えっと、時間もないしとりあえず策について説明するよ。って言っても、気づいている人もいると思うけどね」
続けて勇輔が話した策は、ちょうど聖奈が考えたものと同じ内容だった。
このクラスの生徒数は偶数であるため、仲の良い友達同士や席が近い見知った者同士で2人1組となり、その場限りの恋人関係となる。証明は恥ずかしいかもしれないが、命には代えられないのでできる限り本気でやってほしいとのことだ。
「ただ、ひとつ。この証明だが、さっきスポンサーに向けて配信されていると言っていた。そしておそらく、録画もされている」
「え、録画って……それってつまり、俊介先輩以外の人とそういうことしてる場面を撮られるってこと!?」
勇輔の言葉に、3年2組のムードメーカーである小畠美友香が小さく叫んだ。
彼女は、去年までこの高校に在籍していた卒業生でサッカー部に所属していた柳多先輩と付き合っており、自他ともに認めるラブラブっぷりをSNSにもあげていた。もっとも、柳多先輩はイケメンだが嫉妬深いと陰で噂されており、そこまで羨ましがる人も多くはなかったのだが。
「まあ、大丈夫でしょ。その場限りなんだし、柳多先輩もわかってくれるって」
「そーだよ、美友花。うちらからも説明してあげるしさー」
取り乱す美友香を、彼女と仲のいい大口奈波と柚木杏子が両側から抱きつくようにしてたしなめる。校則を完全に無視した短いスカートが揺れ、派手なネイルが美友香の頭を撫でていた。
「いやいや、勇輔が言ってるのはそーいうことじゃねーんだよ」
しかし、そんな二人の慰めの言葉も、話の輪に入ってきた3年2組の男子サイドムードメーカー、西条彰によって上書きされた。
「はあ? それ、どーいう意味?」
「録画された映像がスポンサーに見せられるんだぜ? とーぜん、渡される可能性もあるだろ。何に使われるかわかったもんじゃねーよ」
首元が開いたカッターシャツや歪んだネクタイといった着崩しをしている見た目のわりに、彰は地頭がかなりいい。ヘラヘラと笑いながらも真面目な危険性を示唆してきたことに、3年2組の生徒たちはそれと見てわかるほどに狼狽えた。
「うそだろ」
「それだったらまだ同性が良くない?」
「相手選ばないとだよねー」
「変なやつとキスとかできねーよな」
「あと本当の恋人がメンヘラじゃないやつにしとかないとな」
「確かに。この場限りだとしても刺されそう」
「えー既に付き合ってるやつらズルすぎ」
「でもそんなことも言ってらんないよね」
方々で不満や懸念の声が上がっていく。もっとも、実際に口に出しているのは比較的社交的な生徒ばかりで、内向的な生徒は教室の隅に集まってひそひそと話していた。
かくいう聖奈もそのひとりで、飛び交う不安の声の下、そっと麻耶に近づいた。
「ねえ、麻耶。大丈夫?」
「う、うん……」
近くに来るまで聖奈は気がつかなかったが、麻耶は小刻みに震えていた。尋ねるまでもなく、至近距離で田町先生が撃たれて血を流すところを見てしまったせいだ。
「落ち着いて。窓際の方に行こう?」
「うん……ありがと、聖奈」
こくりと弱々しく頷く麻耶の手を引き、聖奈は窓際の後方まで歩いていく。その途中で桃果の姿を探したが、どうやらカレシである浅間光誠と喋っているようだった。
二人で教室から出るための手筈を整えているんだろうな、と聖奈は思った。先ほど誰かも言っていたが、既に3年2組内で付き合っている生徒にとっては、今回のお題はかなり難易度が下がる。今付き合っている恋人に再度告白をして、紛れもない本当の恋人同士の二人として堂々と証明をしてから教室を出ればいいのだから。桃果と光誠との仲が悪いという話も聞かないし、その意味では桃香はほぼ勝ち確の立ち位置にいる。
安心したやら羨ましいやらの複雑な感情が、聖奈の心に湧き上がる。けれど、仕方ないのだ。地味で勉強しか取り柄の無い聖奈は、これまで告白したことも告白されたこともないのだから。
聖奈が無理やり自分を納得させつつ麻耶の背中を撫でていると、クラスの中心で話していた勇輔がパンッと小気味良い音を立てて手を合わせた。
「よし、みんな聞いてくれ。今の時刻は15時13分。時間もあまりない。不安要素はいろいろあるが、死んだら元も子もないんだ。まずは言い出しっぺの俺が最初にいくから、その後は心の準備ができた人から告白していってくれ。それと、告白をされた方は本当の気持ちはどうであれ、必ずOKするようにな。断ったら、死んでしまうから」
透き通るような勇輔の発言に、クラスメイトは次々に首肯した。全員が助かるゲームの攻略法を提示するだけでなく、先陣を切って実行するその気概も含めて、否定する声はひとつも上がらない。
勇輔は小さく息を吐いてから、前を向いた。
緊張しているのがわかった。
それはそうだ。一瞬だけでも、自分の命を他人に預けることになるのだ。緊張しないはずがない。
勇輔は、いったい誰に告白するのだろう。
いつも仲の良い爽やか秀才男子の定彦か、あるいは中学からテニスで競っているらしいライバルの水戸部智か。
いや、もしかしたらここぞとばかりに女子の誰かに告白するかもしれない。奈波や杏子とは休み時間にしばしば親し気に話しているし、テニス部のマネージャーで男子からも可愛いと人気のある能仲沙月の可能性も考えられる。仮初の告白だとしても、勇輔のそれが意味するところは、少なくとも女子たちの中ではかなり大きなものとなる。果たして。
「――秋穂」
けれど、勇輔の口から出た名前は、その場にいる誰もが予想だにしていない名前だった。
いつもクラスの隅の席でひとり静かに本を読んでいる女子、山科秋穂は驚いた様子で勇輔を見た。
「高校に入ってから、話すのは初めてだよな。なんだかんだ二回も同じクラスになったのに、俺は結局三年の今になるまで話しかけられなかった」
勇輔の僅かに震えた声が教室に響く。さっきまでの透き通るような爽やかは、すっかりなくなっていた。
「でも、知ってる。テニスの大会にずっと応援に来てくれていたこととか、目立つのが嫌なのに体育祭で声を出して応援してくれていたこととか、中学の文化祭で……一緒に見て回ろうって、誘おうとしてくれた、こととか……」
「勇、ちゃん……」
「俺、昔から一緒に遊んでた秋穂と付き合うのが怖かった。付き合って、でもすれ違いとかしてしまって、それで喧嘩して別れたりなんかしたらって思うと、怖かった。だから、距離を置いてた。チキンだよな、俺。ほんと情けない」
そこで、勇輔は言葉を区切った。
みんな、勇輔の方を見ていた。
「でも言うよ、俺。チキンで臆病な俺に夢を見させてほしいっていう気持ちもあるんだけど、秋穂になら命を預けられるから。仮に断られても、恨んだりしない。それになにより、秋穂を置いて教室を出て行くことは……俺にはできない」
勇輔は、お腹の前で組まれた秋穂の手をとった。
「秋穂、好きです。俺と、付き合ってください」
その瞳は、眼差しは、とても真剣だった。
自分に言われているわけじゃないのに、胸の辺りが跳ねた。
まるでそれは、映画や漫画のようで。
不純物の混じっていない青春恋愛のワンシーンが、そこにあった。
「はい……はい……! 私も、勇ちゃんになら……命を預けられます……!」
秋穂は潤んだ瞳で勇輔を見つめて、何度も何度も頷いた。
そこからは、一瞬だった。
勇輔は顔を綻ばせ、秋穂を抱き寄せた。
「ありがとう。ありがとう……秋穂」
勇輔は、誰彼の視線も感情も眼中にないようだった。
みんなが見ている前で、彼はそっと秋穂と唇を重ねた。
それから、呆然としているクラスメイトの隙間を通り抜けて、二人は手を繋いだまま教室から出て行った。
どのくらいの時間か、3年2組には沈黙が漂っていた。
実際には、僅かな時間だったように思う。
「あれマジなの?」
けれど。その後には、杏子の苛立ちめいた言葉が吐き捨てられていた。