「剛士、囲碁いる?」
夜、部屋の戸をノックした後、静かに開けてそう問いかけてきた柊人に「いるよ」と答えて俺はフローリングの上でお腹を丸出しにしたまま警戒心ゼロで寝転がる囲碁を指さした。
囲碁は自分の名前が出たことに気が付いたのか、仰向けのまま少しだけ顔を持ち上げて柊人のほうを見た。
「警戒してどっかに隠れてんのかと思ったのに。ほんとお前剛士が好きだな」
呆れたように柊人が言う。
「飼い主に似るっていうからな」
俺がそう笑うと「そこも似るのかよ」と柊人も笑う。
「んで仕事はどう?終わりそう?」
柊人が近づいてきて、俺の頭に顎を乗せるようにして聞いてきた。
「うん、ちょうど終わるとこ。ちょっと待って」
風呂に入った柊人から、自分と同じ石けんの香りがするのを感じながら、俺はパソコンの画面を見たままキーボードをたたく。俺の方も今日は一足先に入浴を済ませている。
邪魔をしてはいけないと思ったのか、柊人は俺から離れて囲碁のところへ行くと「新しい家に来たとは思えないくつろぎっぷりだな」と言いながら、まだ仰向けのまま寝転がるそのお腹をわさわさと撫でる。
それを横目で見つつ俺も微笑み、最後の行の締めの言葉を打ち込んだ後、最初から最後まで、ざっと目を通していく。書き終わってすぐは客観的に読むことができないので、ミスがないかだけをチェックして明日の午前中にもう一度確認して納品する予定だ。
大きなミスはないことを確認し、編集用のページを閉じた俺が「終わったよ」と立ち上がりながら声をかけると柊人が振り向いて「おつかれ」と笑顔を向けてくる。
そこに近づき、背中に抱き着くようにして柊人の肩越しに囲碁を見ると、のどのあたりを撫でられてうっとりとしていた。
分かる。柊人の手は気持ちがいいのだ。さすが普段から、いろんな人の身体に触れているだけのことはあると思う。
俺も囲碁に負けないくらいいっぱい撫でてもらわねばと、温かい首筋に顔を擦り寄せて「じゃ、そろそろ初夜といきますか?」と声をかけると「初夜か」と柊人が笑う。
「新居での初めての夜だから初夜で合ってるだろ」
「まあな」
「あのベッドで寝るのも初めてだし」
「そうだな」
「初夜じゃないとすれば姫はじめとか?」
ははは、と楽しそうに笑った柊人が「うちには姫はいないだろ」と言いながら背中に手を回し、抱きついたままの俺をおんぶするようにして立ち上がる。
「じゃあ殿はじめ」
「エロさのかけらもねーな」
そんな会話をしながら、まだ床に寝転がったままの囲碁を置いて仕事部屋を出て寝室へと入り、柊人は俺を左手で支えたまま右手でそっとドアを閉めた。
囲碁には申し訳ないが、さすがにこの時間だけは部屋に入れないようにしている。
半年以上ぶりに肌を重ねたとき、ドアを閉めることなく盛り上がっていよいよというところで、囲碁がベッドの枕元に飛び乗り俺の顔を至近距離でまじまじとのぞきこんできて思わず笑ってしまったからだ。
その後、真っ裸の柊人が囲碁のわきの下を支えて持ち上げ「ごめんなー」と言いながら部屋の外に連れ出すさまもなんだかシュールでやっぱり笑ってしまい、俺たちの久々の営みは何とも和んだ空気の中で行われることとなった。
それはそれで良かったのだが、いつ囲碁が来るかと思うと集中できないなということで、それ以降は中断されることがないように、その時間だけは寝室のドアをきっちり閉めるようになったというわけだ。
ベッドにそっと下ろされた俺は、すぐにこちらを向いてのしかかってくる柊人を両手を広げて迎え入れる。
キスの合間に柊人が俺の前髪を持ち上げるように撫でながら「そういえばさ」と囁く。
「お前が恋について書いたコラム読んだんだけど」
「え、いつ?」
「今日。阿藤が雑誌片付けてるときにこれ見ました?って言って持って来てさ」
「あー、どんなの書いてるんですかっていうから教えたんだっけ」
興味深そうに読んでくれているとは思っていたけど、そういや、最新号のコラムは退院直後に書いた恋について語ったものだったなと思い出す。
まあ別に柊人に読まれたからと言って恥ずかしいこともない。そもそも、父親に読まれることも分かりながら書いたものだ。
「あそこに書かれてた初恋の相手って俺?」
「他に誰がいるんだよ」
「あの当時の剛士がそんなこと考えたなんて思っても見なかったからさ」
「恋する乙女的な感じだっただろ。今でもよく覚えてるよ、あんときのこと。宇宙ステーションの中で人が浮くのはなんでかっていう先生の質問に対する四択で、柊人が自由落下を選んでさ」
「そうだったっけ」
「そう。で、お前が真っすぐ手をあげるのを後ろから見てて……」
そこまで言ったときに、ふとある光景が思い浮かんできて俺は口を閉じる。
「どうした?」
柊人が俺のシャツを脱がしながら聞いてくる。俺は手をばんざいするように上げて脱がしてもらいながら、懐かしさに少し目を細める。
「俺さ、お前のこといつ好きになったんだっけなって思ってたんだけど、自覚するきっかけになったこと、今思い出した」
「え、聞きたいんだけど」
「すげー些細なことだよ」
「いいよいいよ」
「あのさ。高校のときって六月に衣替えがあったろ」
「うん」
頷いた柊人が、自分もTシャツを脱ぎ、隣に寝転ぶと半裸になった俺を抱きしめてまたキスをする。
あたたかい肌が直接触れる心地よさに安心感を覚えながら俺は抱きしめてくる二の腕に触れて続けた。
「半袖になった日にお前と一緒に帰ってて、なんか話しながらお前が上に両手を伸ばしてさ、そんときに柊人の両腕が太陽に照らされてなんかすげー綺麗だったんだよな」
青空と白いシャツと少しだけ日に焼けた肌と。それは俺の目にやけに眩しく映って目が離せなかった。
「へぇ」
「で、あんときまだキスはしてなかったけど、まあたまに柊人が抱きしめてきたりとかはしてたからさ。俺、この腕に抱きしめられてんのかって思ったら急になんか意識しちゃって」
「それがきっかけなんだ」
「その前から好きだったとは思うけど、はっきり自覚したのはそんときだな。その後しばらくお前の手とか腕とか見るたんびにドキドキしてたし。自由落下の授業のときもさ、お前があげた腕をすごい見てたの思い出した」
「言ってくれればもっと腕アピールしたのにな」
「アピールしなくても十分だって。今もお前の腕好きだし、俺」
「腕だけ?」
柊人がちょっと拗ねたような声音で聞いてくる。
「手も好きだよ」
「あとは?」
「顔も好き。髪の毛の手触りも」
そう言いながら触れていくと、柊人が嬉しそうに笑う。
「あと首から肩にかけてのラインもいいし、胸も弾力があって好き」
そうして順に好きなところを告げ、手を這わせ口を当てていく俺の髪を柊人が優しく撫で「じゃあ中身は?」と静かに聞いてくる。
「一番好き」
顔をあげてそう答えると「俺も中身も外見も全部好き」と言ってまた柊人がキスをし、口を離した後にもそっと髪の毛を撫で続けながら俺をじっと見つめる。
「だからさ。きっとこの先もいろいろあると思うけど、でも、ずっと一緒に未来に進んでいこうな」
「……プロポーズみたいだな」
「俺もお前のコラム、プロポーズみたいだなって思ったよ」
「言われてみたらそうかも」
「だろ。だから改めて言いたくなった。今さらだけど、これからもよろしくな」
優しい顔でそう言った柊人にキスを返して「こちらこそ」と答える。
微笑み合った俺たちは、そのまままた呼吸と肌をより深く重ねていく。
首筋にキスをされ少しだけのけぞると、カーテンの隙間から星が瞬く夜空が見えた。
今この瞬間も自由落下を続けている宇宙ステーションが、そこを横切っているかもしれない。
見えるはずもない広大な宇宙を飛び続ける船に思いを馳せながら、俺は吐息を漏らして柊人の髪の毛に指をくぐらせた。
Fin.
夜、部屋の戸をノックした後、静かに開けてそう問いかけてきた柊人に「いるよ」と答えて俺はフローリングの上でお腹を丸出しにしたまま警戒心ゼロで寝転がる囲碁を指さした。
囲碁は自分の名前が出たことに気が付いたのか、仰向けのまま少しだけ顔を持ち上げて柊人のほうを見た。
「警戒してどっかに隠れてんのかと思ったのに。ほんとお前剛士が好きだな」
呆れたように柊人が言う。
「飼い主に似るっていうからな」
俺がそう笑うと「そこも似るのかよ」と柊人も笑う。
「んで仕事はどう?終わりそう?」
柊人が近づいてきて、俺の頭に顎を乗せるようにして聞いてきた。
「うん、ちょうど終わるとこ。ちょっと待って」
風呂に入った柊人から、自分と同じ石けんの香りがするのを感じながら、俺はパソコンの画面を見たままキーボードをたたく。俺の方も今日は一足先に入浴を済ませている。
邪魔をしてはいけないと思ったのか、柊人は俺から離れて囲碁のところへ行くと「新しい家に来たとは思えないくつろぎっぷりだな」と言いながら、まだ仰向けのまま寝転がるそのお腹をわさわさと撫でる。
それを横目で見つつ俺も微笑み、最後の行の締めの言葉を打ち込んだ後、最初から最後まで、ざっと目を通していく。書き終わってすぐは客観的に読むことができないので、ミスがないかだけをチェックして明日の午前中にもう一度確認して納品する予定だ。
大きなミスはないことを確認し、編集用のページを閉じた俺が「終わったよ」と立ち上がりながら声をかけると柊人が振り向いて「おつかれ」と笑顔を向けてくる。
そこに近づき、背中に抱き着くようにして柊人の肩越しに囲碁を見ると、のどのあたりを撫でられてうっとりとしていた。
分かる。柊人の手は気持ちがいいのだ。さすが普段から、いろんな人の身体に触れているだけのことはあると思う。
俺も囲碁に負けないくらいいっぱい撫でてもらわねばと、温かい首筋に顔を擦り寄せて「じゃ、そろそろ初夜といきますか?」と声をかけると「初夜か」と柊人が笑う。
「新居での初めての夜だから初夜で合ってるだろ」
「まあな」
「あのベッドで寝るのも初めてだし」
「そうだな」
「初夜じゃないとすれば姫はじめとか?」
ははは、と楽しそうに笑った柊人が「うちには姫はいないだろ」と言いながら背中に手を回し、抱きついたままの俺をおんぶするようにして立ち上がる。
「じゃあ殿はじめ」
「エロさのかけらもねーな」
そんな会話をしながら、まだ床に寝転がったままの囲碁を置いて仕事部屋を出て寝室へと入り、柊人は俺を左手で支えたまま右手でそっとドアを閉めた。
囲碁には申し訳ないが、さすがにこの時間だけは部屋に入れないようにしている。
半年以上ぶりに肌を重ねたとき、ドアを閉めることなく盛り上がっていよいよというところで、囲碁がベッドの枕元に飛び乗り俺の顔を至近距離でまじまじとのぞきこんできて思わず笑ってしまったからだ。
その後、真っ裸の柊人が囲碁のわきの下を支えて持ち上げ「ごめんなー」と言いながら部屋の外に連れ出すさまもなんだかシュールでやっぱり笑ってしまい、俺たちの久々の営みは何とも和んだ空気の中で行われることとなった。
それはそれで良かったのだが、いつ囲碁が来るかと思うと集中できないなということで、それ以降は中断されることがないように、その時間だけは寝室のドアをきっちり閉めるようになったというわけだ。
ベッドにそっと下ろされた俺は、すぐにこちらを向いてのしかかってくる柊人を両手を広げて迎え入れる。
キスの合間に柊人が俺の前髪を持ち上げるように撫でながら「そういえばさ」と囁く。
「お前が恋について書いたコラム読んだんだけど」
「え、いつ?」
「今日。阿藤が雑誌片付けてるときにこれ見ました?って言って持って来てさ」
「あー、どんなの書いてるんですかっていうから教えたんだっけ」
興味深そうに読んでくれているとは思っていたけど、そういや、最新号のコラムは退院直後に書いた恋について語ったものだったなと思い出す。
まあ別に柊人に読まれたからと言って恥ずかしいこともない。そもそも、父親に読まれることも分かりながら書いたものだ。
「あそこに書かれてた初恋の相手って俺?」
「他に誰がいるんだよ」
「あの当時の剛士がそんなこと考えたなんて思っても見なかったからさ」
「恋する乙女的な感じだっただろ。今でもよく覚えてるよ、あんときのこと。宇宙ステーションの中で人が浮くのはなんでかっていう先生の質問に対する四択で、柊人が自由落下を選んでさ」
「そうだったっけ」
「そう。で、お前が真っすぐ手をあげるのを後ろから見てて……」
そこまで言ったときに、ふとある光景が思い浮かんできて俺は口を閉じる。
「どうした?」
柊人が俺のシャツを脱がしながら聞いてくる。俺は手をばんざいするように上げて脱がしてもらいながら、懐かしさに少し目を細める。
「俺さ、お前のこといつ好きになったんだっけなって思ってたんだけど、自覚するきっかけになったこと、今思い出した」
「え、聞きたいんだけど」
「すげー些細なことだよ」
「いいよいいよ」
「あのさ。高校のときって六月に衣替えがあったろ」
「うん」
頷いた柊人が、自分もTシャツを脱ぎ、隣に寝転ぶと半裸になった俺を抱きしめてまたキスをする。
あたたかい肌が直接触れる心地よさに安心感を覚えながら俺は抱きしめてくる二の腕に触れて続けた。
「半袖になった日にお前と一緒に帰ってて、なんか話しながらお前が上に両手を伸ばしてさ、そんときに柊人の両腕が太陽に照らされてなんかすげー綺麗だったんだよな」
青空と白いシャツと少しだけ日に焼けた肌と。それは俺の目にやけに眩しく映って目が離せなかった。
「へぇ」
「で、あんときまだキスはしてなかったけど、まあたまに柊人が抱きしめてきたりとかはしてたからさ。俺、この腕に抱きしめられてんのかって思ったら急になんか意識しちゃって」
「それがきっかけなんだ」
「その前から好きだったとは思うけど、はっきり自覚したのはそんときだな。その後しばらくお前の手とか腕とか見るたんびにドキドキしてたし。自由落下の授業のときもさ、お前があげた腕をすごい見てたの思い出した」
「言ってくれればもっと腕アピールしたのにな」
「アピールしなくても十分だって。今もお前の腕好きだし、俺」
「腕だけ?」
柊人がちょっと拗ねたような声音で聞いてくる。
「手も好きだよ」
「あとは?」
「顔も好き。髪の毛の手触りも」
そう言いながら触れていくと、柊人が嬉しそうに笑う。
「あと首から肩にかけてのラインもいいし、胸も弾力があって好き」
そうして順に好きなところを告げ、手を這わせ口を当てていく俺の髪を柊人が優しく撫で「じゃあ中身は?」と静かに聞いてくる。
「一番好き」
顔をあげてそう答えると「俺も中身も外見も全部好き」と言ってまた柊人がキスをし、口を離した後にもそっと髪の毛を撫で続けながら俺をじっと見つめる。
「だからさ。きっとこの先もいろいろあると思うけど、でも、ずっと一緒に未来に進んでいこうな」
「……プロポーズみたいだな」
「俺もお前のコラム、プロポーズみたいだなって思ったよ」
「言われてみたらそうかも」
「だろ。だから改めて言いたくなった。今さらだけど、これからもよろしくな」
優しい顔でそう言った柊人にキスを返して「こちらこそ」と答える。
微笑み合った俺たちは、そのまままた呼吸と肌をより深く重ねていく。
首筋にキスをされ少しだけのけぞると、カーテンの隙間から星が瞬く夜空が見えた。
今この瞬間も自由落下を続けている宇宙ステーションが、そこを横切っているかもしれない。
見えるはずもない広大な宇宙を飛び続ける船に思いを馳せながら、俺は吐息を漏らして柊人の髪の毛に指をくぐらせた。
Fin.