剛士が地元から戻ってきた二日後、俺も休みを使って一年ぶりの実家へと帰るために、囲碁を連れて剛士の部屋へと向かった。
「夜とかうるさくしたらごめんな」
「もし隣に迷惑になるくらいうるさく鳴くようなら、囲碁と一緒にお前の部屋で寝るよ」
「あぁ、そうして」
玄関で床に下ろすと、囲碁はしっぽをぴんと立てて、迷うことなく部屋の奥へと入っていった。もうここは囲碁にとって第二の我が家となっているのがよく分かる。
「あと、ちゃんと飯、食えよ」
「大丈夫だって」
野菜も忘れずにな、と言おうとして、あ、また口うるさいと思われるかもといったん言葉を飲み込み「えーと、じゃあ、行ってくるから」と剛士に言う。
「うん。楽しんできて」
「お前も仕事頑張ってな」
「うん」
そう答えた剛士が「あ、そういやちょっと待ってて」と言って、部屋に戻っていく。
なんだろう、と待っていると、剛士が下駄箱の上に置いていったスマホが鳴り出した。
「剛士! スマホ鳴ってる。電話みたいだけど」
「え、誰から?」
「えーと」
スマホを手に取って表示されている名前を見た俺は、一瞬固まった。
「……真田さんから」
「あー、じゃあいいや。後でかけ直すから」
その剛士の言葉に、思った以上に真田さんへの親しみが感じられて何も言えなくなる。
なんの電話だろう、と疑問に思うようなこともないくらい、真田さんから電話が来るのは普通のことになっているんだろうか。
そんなこちらの気持ちなど知らない剛士は、また玄関に戻ってくると「はい」と数枚の紙きれを渡してきた。
「なにこれ」
「あっちの駅前のショッピングセンターで買い物したらもらった。今週末まで、この券十枚で抽選一回できるっていうから。もしお前も買い物したら合わせて十枚になるかもしんないし、使って」
「おばさんにあげれば良かったんじゃないの」
「帰ってくるときに寄ったからあげる暇もなかったし。お前がいらなかったらお姉さんにでもあげればいいよ」
「あー、まあそうだな。分かった」
抽選補助券と書かれたそれを財布に入れて「じゃあ、今度こそ行ってくる」と言うと、剛士は笑顔で「気をつけてな」と答えてくれた。
その笑顔がやけに嬉しそうに見えて、少しだけもやっとする。
俺がいない間、真田さんと会う予定があったりするんだろうか。
ちょっと前に真田さんと食事に行って、楽しかったという話は聞いている。知らないような流行りを教えてもらったりもしたと。
『女の子はお喋りだっていうのは聞いたことあるけど、確かにあれだけいろいろ話せたらお喋りも楽しいだろうなって思ったよ。自分が口下手なのが気にならないくらい、どんどん話題が出てきたし。面白かった』
笑いながらそんなことを言う剛士に、俺は『良かったな』と答えながらも、お喋りでそんなふうに剛士を楽しませたことがない自分を思い返して、少し焦るような気分にもなった。
でも、隠すことなく話してくれるってことは、やっぱりなんとも思っていないんだろうと、そう自分に言い聞かせてそのときは納得していたのだが、こうして剛士が真田さんとつながっているという事実を知ってしまったことで、蓋をして抑え込んでいた不安な気持ちが隙間からにじみ出て胸の中を徐々に塗りつぶしていくのを感じる。
「行かなくていいの? バスの時間、大丈夫?」
じっと玄関に立ち尽くす俺を、剛士が首を傾げてのぞきこんでくる。
その黒目がちな瞳を見返した俺は、剛士の身体に腕を回して抱き寄せた。
「な、どうしたの」
胸の中でびっくりしたように言う剛士の右肩に顔を埋めて「一人にしていくのが心配」と小さな声で言う。
剛士は少し黙っていたが、ゆっくりと俺の背中に両腕を回し、その手で背中をそっとさすってきた。
「大丈夫。囲碁のこともちゃんと面倒見るし、ご飯も自炊は無理だけどちゃんと食べる。仕事もできるだけ昼間に終わらせて夜は寝るようにする。だから心配しなくても大丈夫だから」
どこかあやすような落ち着いた剛士の話し方は、今まであまり聞いたことのないようなもので、それがますます俺を不安にさせる。
剛士は。
少し天然で、頼りなくて。
マイペースで自分勝手なところもあって。
だから俺が面倒を見て、守ってやらないといけなくて。
それなのに、俺がいなくても大丈夫だなんて、そんなことを言われたら、どうすればいいのか分からなくなってしまう。
やっぱり俺は、お前にとって必要な存在ではなくなってきてるんじゃないだろうか。
「……剛士」
俺のこと、好きか。
そう聞こうとしたところで、ザッザッという音が洗面所のほうから聞こえてきた。
「あ、囲碁がトイレ片付けろって言ってる」
剛士が笑いを含んだ声でそう言って「こうなると、片付けるまで止まんないからな」と、背中にまわしていた腕をはなして、俺の胸を両手で軽く押すようにして顔をあげた。
「本当に大丈夫だから。三日だけだし、心配しすぎだろ」
たぶん、不安気な顔になっているのであろう俺を見上げながら剛士は苦笑する。
「……そうだな」
その間もザッザッという音は止まることなく「あー、囲碁、今いくから!」と剛士が声をかけた。
「じゃあ、気をつけてな」
笑顔の剛士にそれ以上何も言えず、俺も抱きしめていた腕をほどいて、笑顔を返す。
「ん。明後日は十時くらいまでには帰ってくるつもりでいるから」
「了解」
そのまま剛士に背を向け、玄関のドアを開けて外に出る。
閉まっていくドアをふと振り返ると、その隙間からスマホを手に持った剛士がこちらに背を向けるのが一瞬見えた。
早くトイレを片付けないと、なのか、早く真田さんに電話をしないと、なのか。
俺の腕から抜け出した剛士の気持ちはどっちだったんだろう。
ため息をついてスマホを見ると、バスが来る時間まであと五分しかなかった。
小走りでバス停に向かいながら、俺は軽く頭を振る。
冷静になれ。
あんな状況で、自分を好きかどうか聞こうとするなんてどうかしてる。
不安だとか嫉妬だとか、そんなものを原動力に行動してしまったら、うまくいくものもいかなくなってしまうんだから。
抱きしめたら、抱きしめ返してくれた。
今はその事実だけを大切にしておいたほうが、きっといい。
*
実家に昼過ぎに到着すると、仕事に行っている両親の代わりに、同じ町内に住んでいる姉が四歳と六歳の息子二人と一緒に待っていた。
「あのさ、帰ってきてそうそう悪いんだけど、この子ら二時間くらい預かってくんない?」
「え、なんで?」
「もうずっと痛み止めでだまし続けてた奥歯がそろそろ無理そうな気がするから歯医者いきたくて。子連れだと落ち着いて治療受けられないから」
「まぁ……いいけど」
テレビから流れている戦隊物のDVDに釘付けになっている甥っ子たちを見る。
「これ見終わったら公園とか連れてけばいい?」
「うん。お願い」
「オッケー。歯医者って駅前?」
「そう」
「あー、じゃあさ、これあげる」
そう言ってバッグから財布を取り出し、抽選補助券を渡して「なんか買い物して十枚たまったら抽選できるらしいよ」と伝える。
「あ、そうなの? じゃあ時間があったら帰りに寄ってこようかな。って、これどうしたの」
「んー……友達にもらった」
「どこで」
「ちょっと会って」
「あぁ、矢島くんから?」
「は!? なんで?」
驚いて聞き返す声が大きくなる。なんで急に剛士の名前が出てくるんだ?
「あれ? これ言っちゃいけないやつだっけ?」
「は? なにそれ?」
「いや、なんでもない。忘れて」
そう言って、そそくさと玄関に向かおうとする姉の後姿に「何も言わないなら預かるのも断るけど」と声をかけると、困ったような顔でゆっくりと振り向く。
「えーと、あんたたち今も一緒に住んでるんでしょ?」
「……住んでないけど」
厳密に言えば住んでいない。隣の部屋同士だから。
「え、別れたの?」
「はぁ?」
そろえた右手の指先を口元にあてた姉と、そのまま無言で見つめ合う。
俺たちの関係は、剛士の希望もあり、当然のことながら家族にも秘密だ。
もちろん住所は伝えているものの、一緒のアパートに住んでいるとは一言も言っていない。
「ちょっと意味が分かんないんだけど。え、俺と剛士が付き合ってるって思われてるってこと?」
「むしろ、付き合ってないとしたら、大学卒業してからわざわざあんな地元から離れた街でずっと一緒にいる理由がわかんないんだけど」
「ちょちょちょちょっと待って。え、ごめん。俺と剛士が一緒にいるって、なんで」
「うちのお母さんと矢島くんのお母さんが、ショッピングセンターで偶然会って話したときに、住んでるところが一緒だって分かったって言ってたけど」
「……いつの話」
「確か三、四年前くらいかな?」
「……」
だから、彼女について聞かれたり結婚はまだかって言われたりすることがなかったのか、と今さらながらに腑に落ちる。単に放任主義だからかと思っていた。
それに、確かに剛士も言われたことがないと言っていた。フリーランスっていう職業だから無理って思われてるんだと思うって本人は納得してたけど、そうではなくバレてたからということだ。
「ごめん。ちょっと歯が痛くてうっかり口が滑った」
明るくそう言った姉は「じゃ。そういうことで行ってくる!」と今度こそ引き留める間もなく家を出ていってしまった。
声をそろえて「いってらっしゃーい!」と言って、またテレビに目を向けた甥っ子たちの後ろで俺は思わず頭を抱える。
数年前から知られてた?だとしたら、なんで親は何も言ってこなかったんだろう。
男同士なんて長続きしないだろうと静観することにしたとか。
いや、それよりも男同士で付き合ってるのかなんて、聞きにくかったというほうがあり得そうだ。
「うあ――――――」
頭を抱えたまま床にごろんと寝転ぶ。
お互いの実家はそこそこ離れたところにあるし、親同士もルームシェアをする部屋に荷物を運びこむときに顔を合わせて挨拶をしたくらいで親しく交流はしてなかったから、バレることはないと思っていたけど、甘かったと言うことだ。
でも、この際、親バレしていたことはまあいいとしよう。良くはないけど、もうどうしようもない。
それより問題は。
親バレしていることを剛士に知られたらヤバいんじゃないかということだ。
あれだけ親に知られたくないって言っていたのに、もし知られていたとなったらどういう行動に出るのかまったく予測ができない。
たぶん、あいつは付き合っていることを認めようとはしないだろう。そして、一緒に住むどころか、俺と別れて別の場所に引っ越していってしまうとか、場合によっては行方をくらませてしまうことも考えられる。剛士の仕事はパソコンさえあればどこでも可能だから、その気になればすぐ行動もできるわけで。
――よりによってこんな微妙な関係にあるときに。
両手で顔をおさえて、はーっと息を吐く。だめだ。絶対知られないようにしないといけない。
そのためにも、まずは、うちの親の中でどういう認識になっているのかを確認する必要があるだろう。あと、どんなことを剛士の親と話したのかも。ものっすごく気まずいけど。
「しゅうとー!DVD終わったー!」
顔をおさえたまま仰向けに寝転がっていた俺の腹の上に、急に甥っ子がダイブしてきて、思わず「ぐへっ!」と声が出る。
「公園!公園いこ!」
「わかったわかった。行くか。お前ら帽子は?」
「これー」
「飲み物とかある?」
「なーい」
「ま、自販機で買えばいいか。よし、んじゃ行くぞ」
そう声をかけ、財布とスマホをポケットに突っ込んだ俺は、自分に気合いを入れるように「よし!」ともう一度声をかけて立ち上がった。
「夜とかうるさくしたらごめんな」
「もし隣に迷惑になるくらいうるさく鳴くようなら、囲碁と一緒にお前の部屋で寝るよ」
「あぁ、そうして」
玄関で床に下ろすと、囲碁はしっぽをぴんと立てて、迷うことなく部屋の奥へと入っていった。もうここは囲碁にとって第二の我が家となっているのがよく分かる。
「あと、ちゃんと飯、食えよ」
「大丈夫だって」
野菜も忘れずにな、と言おうとして、あ、また口うるさいと思われるかもといったん言葉を飲み込み「えーと、じゃあ、行ってくるから」と剛士に言う。
「うん。楽しんできて」
「お前も仕事頑張ってな」
「うん」
そう答えた剛士が「あ、そういやちょっと待ってて」と言って、部屋に戻っていく。
なんだろう、と待っていると、剛士が下駄箱の上に置いていったスマホが鳴り出した。
「剛士! スマホ鳴ってる。電話みたいだけど」
「え、誰から?」
「えーと」
スマホを手に取って表示されている名前を見た俺は、一瞬固まった。
「……真田さんから」
「あー、じゃあいいや。後でかけ直すから」
その剛士の言葉に、思った以上に真田さんへの親しみが感じられて何も言えなくなる。
なんの電話だろう、と疑問に思うようなこともないくらい、真田さんから電話が来るのは普通のことになっているんだろうか。
そんなこちらの気持ちなど知らない剛士は、また玄関に戻ってくると「はい」と数枚の紙きれを渡してきた。
「なにこれ」
「あっちの駅前のショッピングセンターで買い物したらもらった。今週末まで、この券十枚で抽選一回できるっていうから。もしお前も買い物したら合わせて十枚になるかもしんないし、使って」
「おばさんにあげれば良かったんじゃないの」
「帰ってくるときに寄ったからあげる暇もなかったし。お前がいらなかったらお姉さんにでもあげればいいよ」
「あー、まあそうだな。分かった」
抽選補助券と書かれたそれを財布に入れて「じゃあ、今度こそ行ってくる」と言うと、剛士は笑顔で「気をつけてな」と答えてくれた。
その笑顔がやけに嬉しそうに見えて、少しだけもやっとする。
俺がいない間、真田さんと会う予定があったりするんだろうか。
ちょっと前に真田さんと食事に行って、楽しかったという話は聞いている。知らないような流行りを教えてもらったりもしたと。
『女の子はお喋りだっていうのは聞いたことあるけど、確かにあれだけいろいろ話せたらお喋りも楽しいだろうなって思ったよ。自分が口下手なのが気にならないくらい、どんどん話題が出てきたし。面白かった』
笑いながらそんなことを言う剛士に、俺は『良かったな』と答えながらも、お喋りでそんなふうに剛士を楽しませたことがない自分を思い返して、少し焦るような気分にもなった。
でも、隠すことなく話してくれるってことは、やっぱりなんとも思っていないんだろうと、そう自分に言い聞かせてそのときは納得していたのだが、こうして剛士が真田さんとつながっているという事実を知ってしまったことで、蓋をして抑え込んでいた不安な気持ちが隙間からにじみ出て胸の中を徐々に塗りつぶしていくのを感じる。
「行かなくていいの? バスの時間、大丈夫?」
じっと玄関に立ち尽くす俺を、剛士が首を傾げてのぞきこんでくる。
その黒目がちな瞳を見返した俺は、剛士の身体に腕を回して抱き寄せた。
「な、どうしたの」
胸の中でびっくりしたように言う剛士の右肩に顔を埋めて「一人にしていくのが心配」と小さな声で言う。
剛士は少し黙っていたが、ゆっくりと俺の背中に両腕を回し、その手で背中をそっとさすってきた。
「大丈夫。囲碁のこともちゃんと面倒見るし、ご飯も自炊は無理だけどちゃんと食べる。仕事もできるだけ昼間に終わらせて夜は寝るようにする。だから心配しなくても大丈夫だから」
どこかあやすような落ち着いた剛士の話し方は、今まであまり聞いたことのないようなもので、それがますます俺を不安にさせる。
剛士は。
少し天然で、頼りなくて。
マイペースで自分勝手なところもあって。
だから俺が面倒を見て、守ってやらないといけなくて。
それなのに、俺がいなくても大丈夫だなんて、そんなことを言われたら、どうすればいいのか分からなくなってしまう。
やっぱり俺は、お前にとって必要な存在ではなくなってきてるんじゃないだろうか。
「……剛士」
俺のこと、好きか。
そう聞こうとしたところで、ザッザッという音が洗面所のほうから聞こえてきた。
「あ、囲碁がトイレ片付けろって言ってる」
剛士が笑いを含んだ声でそう言って「こうなると、片付けるまで止まんないからな」と、背中にまわしていた腕をはなして、俺の胸を両手で軽く押すようにして顔をあげた。
「本当に大丈夫だから。三日だけだし、心配しすぎだろ」
たぶん、不安気な顔になっているのであろう俺を見上げながら剛士は苦笑する。
「……そうだな」
その間もザッザッという音は止まることなく「あー、囲碁、今いくから!」と剛士が声をかけた。
「じゃあ、気をつけてな」
笑顔の剛士にそれ以上何も言えず、俺も抱きしめていた腕をほどいて、笑顔を返す。
「ん。明後日は十時くらいまでには帰ってくるつもりでいるから」
「了解」
そのまま剛士に背を向け、玄関のドアを開けて外に出る。
閉まっていくドアをふと振り返ると、その隙間からスマホを手に持った剛士がこちらに背を向けるのが一瞬見えた。
早くトイレを片付けないと、なのか、早く真田さんに電話をしないと、なのか。
俺の腕から抜け出した剛士の気持ちはどっちだったんだろう。
ため息をついてスマホを見ると、バスが来る時間まであと五分しかなかった。
小走りでバス停に向かいながら、俺は軽く頭を振る。
冷静になれ。
あんな状況で、自分を好きかどうか聞こうとするなんてどうかしてる。
不安だとか嫉妬だとか、そんなものを原動力に行動してしまったら、うまくいくものもいかなくなってしまうんだから。
抱きしめたら、抱きしめ返してくれた。
今はその事実だけを大切にしておいたほうが、きっといい。
*
実家に昼過ぎに到着すると、仕事に行っている両親の代わりに、同じ町内に住んでいる姉が四歳と六歳の息子二人と一緒に待っていた。
「あのさ、帰ってきてそうそう悪いんだけど、この子ら二時間くらい預かってくんない?」
「え、なんで?」
「もうずっと痛み止めでだまし続けてた奥歯がそろそろ無理そうな気がするから歯医者いきたくて。子連れだと落ち着いて治療受けられないから」
「まぁ……いいけど」
テレビから流れている戦隊物のDVDに釘付けになっている甥っ子たちを見る。
「これ見終わったら公園とか連れてけばいい?」
「うん。お願い」
「オッケー。歯医者って駅前?」
「そう」
「あー、じゃあさ、これあげる」
そう言ってバッグから財布を取り出し、抽選補助券を渡して「なんか買い物して十枚たまったら抽選できるらしいよ」と伝える。
「あ、そうなの? じゃあ時間があったら帰りに寄ってこようかな。って、これどうしたの」
「んー……友達にもらった」
「どこで」
「ちょっと会って」
「あぁ、矢島くんから?」
「は!? なんで?」
驚いて聞き返す声が大きくなる。なんで急に剛士の名前が出てくるんだ?
「あれ? これ言っちゃいけないやつだっけ?」
「は? なにそれ?」
「いや、なんでもない。忘れて」
そう言って、そそくさと玄関に向かおうとする姉の後姿に「何も言わないなら預かるのも断るけど」と声をかけると、困ったような顔でゆっくりと振り向く。
「えーと、あんたたち今も一緒に住んでるんでしょ?」
「……住んでないけど」
厳密に言えば住んでいない。隣の部屋同士だから。
「え、別れたの?」
「はぁ?」
そろえた右手の指先を口元にあてた姉と、そのまま無言で見つめ合う。
俺たちの関係は、剛士の希望もあり、当然のことながら家族にも秘密だ。
もちろん住所は伝えているものの、一緒のアパートに住んでいるとは一言も言っていない。
「ちょっと意味が分かんないんだけど。え、俺と剛士が付き合ってるって思われてるってこと?」
「むしろ、付き合ってないとしたら、大学卒業してからわざわざあんな地元から離れた街でずっと一緒にいる理由がわかんないんだけど」
「ちょちょちょちょっと待って。え、ごめん。俺と剛士が一緒にいるって、なんで」
「うちのお母さんと矢島くんのお母さんが、ショッピングセンターで偶然会って話したときに、住んでるところが一緒だって分かったって言ってたけど」
「……いつの話」
「確か三、四年前くらいかな?」
「……」
だから、彼女について聞かれたり結婚はまだかって言われたりすることがなかったのか、と今さらながらに腑に落ちる。単に放任主義だからかと思っていた。
それに、確かに剛士も言われたことがないと言っていた。フリーランスっていう職業だから無理って思われてるんだと思うって本人は納得してたけど、そうではなくバレてたからということだ。
「ごめん。ちょっと歯が痛くてうっかり口が滑った」
明るくそう言った姉は「じゃ。そういうことで行ってくる!」と今度こそ引き留める間もなく家を出ていってしまった。
声をそろえて「いってらっしゃーい!」と言って、またテレビに目を向けた甥っ子たちの後ろで俺は思わず頭を抱える。
数年前から知られてた?だとしたら、なんで親は何も言ってこなかったんだろう。
男同士なんて長続きしないだろうと静観することにしたとか。
いや、それよりも男同士で付き合ってるのかなんて、聞きにくかったというほうがあり得そうだ。
「うあ――――――」
頭を抱えたまま床にごろんと寝転ぶ。
お互いの実家はそこそこ離れたところにあるし、親同士もルームシェアをする部屋に荷物を運びこむときに顔を合わせて挨拶をしたくらいで親しく交流はしてなかったから、バレることはないと思っていたけど、甘かったと言うことだ。
でも、この際、親バレしていたことはまあいいとしよう。良くはないけど、もうどうしようもない。
それより問題は。
親バレしていることを剛士に知られたらヤバいんじゃないかということだ。
あれだけ親に知られたくないって言っていたのに、もし知られていたとなったらどういう行動に出るのかまったく予測ができない。
たぶん、あいつは付き合っていることを認めようとはしないだろう。そして、一緒に住むどころか、俺と別れて別の場所に引っ越していってしまうとか、場合によっては行方をくらませてしまうことも考えられる。剛士の仕事はパソコンさえあればどこでも可能だから、その気になればすぐ行動もできるわけで。
――よりによってこんな微妙な関係にあるときに。
両手で顔をおさえて、はーっと息を吐く。だめだ。絶対知られないようにしないといけない。
そのためにも、まずは、うちの親の中でどういう認識になっているのかを確認する必要があるだろう。あと、どんなことを剛士の親と話したのかも。ものっすごく気まずいけど。
「しゅうとー!DVD終わったー!」
顔をおさえたまま仰向けに寝転がっていた俺の腹の上に、急に甥っ子がダイブしてきて、思わず「ぐへっ!」と声が出る。
「公園!公園いこ!」
「わかったわかった。行くか。お前ら帽子は?」
「これー」
「飲み物とかある?」
「なーい」
「ま、自販機で買えばいいか。よし、んじゃ行くぞ」
そう声をかけ、財布とスマホをポケットに突っ込んだ俺は、自分に気合いを入れるように「よし!」ともう一度声をかけて立ち上がった。