今日は、剛士の意思を絶対に尊重する。
 そう心に決めて、このショッピングセンターに来た。
 まずはペットショップに行って、どの玩具がいいと思うかを剛士に聞いて、剛士が『囲碁が好きそう』と言った縞模様の紐の玩具と、またたびが入っているというネズミのぬいぐるみ、それからおやつを買った。
 ペットショップを出た後には、剛士に服を買いたいから着いてきてくれと頼み、お前も最近服買ってないし、何かいいのがあったら買えば?と言ってみた。
 そして、どんな服を買っても、剛士の意思を絶対に尊重すると改めて心に誓って服売り場に来た俺の前で、現在剛士はゼブラ柄のシャツを広げて嬉しそうに見ている。
 確かにおしゃれだ。おしゃれなのだ。きっとおしゃれ上級者でワイルドな感じの人がTシャツとかの上に羽織ったりすれば、すごくかっこよく決まるそんなシャツだが、残念ながら、剛士はゼブラ柄が似合うようなワイルド系ではない。
 むしろ、本人に一度言ったら不満げな顔をされたのでそれっきり口にだしたことはないが、動物に例えたらオコジョっぽいのだ。黒目がちな目とか、小さい顔とかほっそりとした身体つきとか。
 オコジョがゼブラ柄。無理があるだろう。
 言いたいが言いたくないという葛藤の中、俺はそっと訊ねてみる。
「……そのシャツ欲しいの?」
「うん。まだ決まってないけど、もしかしたら真田さんと食事に行くかもしれないし、お前の職場の人とも食事するし、やっぱTシャツじゃなくて、襟付きのちゃんとしたシャツがあったほうがいいかなって思って。俺、長袖のは持ってるけど半袖の襟付きは持ってないから」
「そうだな……」
 ちゃんとしたシャツと言いながら、ゼブラ柄をチョイスしようとするセンスよ。
 このシャツを着て剛士が待ち合わせ場所に現れてももし動揺しなかったら、俺は真田さんを認めざるを得ないような気がする。
 せめて、ここが東京で、待ち合わせ場所が都心だったらいけたかもしれない。都会はファッションの多様性にも寛容だ。
 しかし、残念なことにここはそこそこ田舎で、どこで待ち合わせるにせよ目立つことは避けられないだろう。
 あ、でも、逆に剛士がこのシャツを着ていって真田さんにちょっと引かれたらそれはそれでいいのか。
 一瞬そんなことを考えてしまった自分を、いや、だめだろうともう一人の自分が諫める。
 剛士には楽しく過ごしてほしいのだ。真田さんにこれ以上好かれてほしくはないが、だからと言って引かれるようなことにもさせたくない。
 でも、剛士の選ぶものに口を出さないつもりで来たし、ここは黙って見守るべきか。
……でもさすがにこれは。
「こっちもいいな」
 悶々と悩む俺の前で次に剛士が手に取ったのは、黒の地に幾何学模様が入っているシャツだった。
 ポップな感じで、これならば剛士が着たら可愛い雰囲気になってぎりセーフかなと思う。
 ただ、個人的な意見を言わせてもらえれば、柄ものがいいのであれば、その隣の隣に置いてある、茶系のアロハ風のシャツが剛士には似合うのではないかと思う。
 あーでも、ここは剛士の気持ちを……と天を仰いでいると「今日はなんも言わねーの?」と剛士が見上げてきて慌てて視線を下げる。
「いつも、どっちが似合うとか他のがいいとかアドバイスくれるのに」
「……うーん、でもやっぱり剛士が好きな服を着るのが一番かなって……」
「そっか……確かに服もお前に頼りすぎだもんな」
 反省したように言う剛士に「いやいや、頼ってくれていいんだけどさ」と俺は慌てて言う。
「でも、なんていうか、自分が本当に気に入った服を着てる剛士が見たくなったっていうか」
「そっか」
 俺の言葉に少し不思議そうな顔を浮かべつつも、気を取り直したらしい剛士がゼブラ柄と幾何学模様のシャツを並べて真剣に悩み始める。その隣にそっとアロハ柄を置いてもいいだろうかと考えているところに、男性の店員が近づいてきた。
「どのようなものをお探しですか?」
 こういうところで声をかけられるのが苦手な剛士が「あ」と少しひるんだような雰囲気になる。
 俺はいつものように大丈夫です、と助け舟を出そうとして、思いとどまる。剛士が放っておいてほしいかどうかは俺が判断することではないのだ。
 すると、剛士は少し小さい声ではあったが、はっきりと「襟付きのシャツが欲しいんですけど」と店員に向かって言った。
「襟付きのシャツですね。えー……」
 一瞬言葉に詰まった店員さんは、しかし何事もなかったように笑顔で「その2枚で悩まれてるってことですか?」と続けた。たぶん、剛士に似合うのはこれじゃないと、このお兄さんも思っている気がする。
「そうです。どっちがいいかなって。でも、他にもいいのがあれば」
「一度着てみた方が分かるかもしれないですね。柄ものがいいってことであれば、こちらでお客様に似合いそうなものをあと数枚見繕いましょうか」
「あ、お願いします」
「じゃあ、まず試着室へご案内しますね」
 そう言って歩き出した店員さんと一緒に試着室に向かう剛士の後ろを、俺は黙ってついていった。



 バスの中、左肩にもたれて眠る剛士の寝息を聞きながら、窓の外を眺める。
今日出かけるために昨日遅くまで、というより今朝早くまで仕事してくれていたみたいだし、うたた寝してしまうのも仕方がないだろう。
 今までの自分なら、今朝のように剛士が相当眠そうな様子を見せていたら、今日は無理しないで家にいようと、そう言っていたはずだ。またいつでも出かけられるんだしと。
 剛士が大丈夫だと言っても、身体を壊したら大変だと気遣って、剛士は自分を案じてくれる俺の言葉を最終的には分かった、と受け入れて、そんなことを繰り返しているうちに出かけることもすっかりなくなっていたんだよな、と思い返す。
 それは、外出に限ったことではない。夜、ベッドに誘うときもそうだ。剛士に無理はさせたくなかったし、もともと剛士は欲が旺盛なほうではないから、自分が我慢すればいいだろうと思って誘わないでいるうちに、身体を重ねることもなくなってしまった。
 買い物袋を抱えていた剛士の右手が、するっと落ちて太ももに乗っかってきたのに気づいて、目をやる。自分たちの周りには他に乗客もいないので、そのまま剛士の右手をそっと左手で握って、再び窓の外を見る。
――でも、それもこれも剛士の意見を結局は無視してたのと同じってことなんだろうな。
 今日は、剛士が俺と出かけるために頑張ってくれた気持ちを大事にしようと思い、途中でやっぱりしんどいってなったら帰ればいいだろうと思って出かけることにしてみた。
 しかし、確かに最初こそ眠そうではあったが、買い物中の剛士はだるそうな様子を欠片も見せることはなく、とても楽しそうだった。
 試着した結果、ゼブラ柄はちょっと自分には強すぎると気づいたのか、幾何学模様のものと店員さんが持って来てくれたブルーを基調にしたアロハ風のシャツの2枚を購入することに決めたときもとても満足そうな顔をしていたし、仕事関係以外の本を見るのは久しぶりだと言って本屋でも嬉しそうに何冊か手にしていた。
 レストランで食べたお昼でも、デザートにアイスをつけて笑顔で頬張る姿が可愛かった。
 キスするきっかけが作れるようなデートではなく、中学生みたいな健全なデートだったけど、一緒に出掛けることができて本当によかったし、ちゃんと剛士の気持ちを尊重できてよかった。
 ふと、つい先週ケースワーカーも含め、カンファレンスを開いたある患者さんのことを思いだす。
 脳梗塞を発症した五十代の女性の実母が、仕事に行くご主人の代わりに昼間の介護を請け負っている、というご家族だった。
 ご家族の関係性もスタッフとのコミュニケーションも良好なのだが、一つだけ、女性の母親が「可哀そう可哀そう」と言ってなんでも手を出してしまい、女性のADL(日常生活動作)の能力が退院時よりも落ちているという点が問題となっていた。
 本当に女性のことを思うのであれば、時間がかかったとしてもうまくできなかったとしても、本人が頑張るのを見守って、やりたいという気持ちを引き出していくのが必要だと伝えても、どうしても手を出してしまう。しかし、それは愛情から来る行動であるから、その気持ちは受け止めつつ理解してもらえるように、スタッフ間でも対応を統一しようということになった。
 もちろん、状況はまったく違うけれど、俺も似たようなことを剛士相手にしていたということだろう。
 本人が出かけたいと思ってるのに、つらそうだから可哀そうだと言ってやめさせて、代わりに自分が洋服なんかも買ってきて。
『優しさも、方向性を間違うと相手のためにならないってことですよね』
 カンファレンスでしたり顔でそんなことを言っていた自分に、まず己を見直せとチョップしてやりたい気分だ。
 車内アナウンスで、自分たちの降りるバス停の名前が流れ、壁のボタンを押し「剛士」と声をかける。
「もう着くぞ。起きれるか」
「あぁ……うん」
 開ききらない目をパチパチとさせていた剛士は、ふと俺が握ったままの右手に目を向ける。
「なんか手がだらっとしてたから」
「そっか」
 そう答える剛士もそのまま手を離そうとはしない。
「そういえば、コンビニ寄ってみる?あの子にまだ会ってないんだろ」
「あー、日曜日はどうなんだろう。いるのかな。一応覗いてみようかな」
 前を向いたままそう答える剛士の顔は落ち着いている。
 やっぱり、大丈夫だ。あの子と会うのは、あくまでも仕事のためと、今なら信じられる。
 バスの扉が開き、一瞬力を入れて俺の手を握ったひんやりとした手が、指先の力をゆるめてするりと離れていく。
 最後の最後に、なんかデートらしかったなとちょっとだけ笑って、俺も剛士に続いて立ち上がった。