林さんに紹介された、和田さんと言う編集者さんは、自分と同学年の女性だった。
「彼氏募集中らしいぞ」
和田さんに会う前にそう言われたが、俺にとってこれほどどうでもいい情報はなく「はあ」と答えると「お前はちょっと頼りない感じはあるけど、顔はけっこういいんだからこういう出会いのチャンスを逃すなよ」と背中を叩かれてしまった。
その和田さんはと言うと、電話で感じたとおり明るい雰囲気のある人だった。
「矢島さんのコラム、毎回楽しく読ませていただいているので、今回一緒にお仕事できてうれしいです」
そう笑って言ってくれた和田さんに俺も笑顔で挨拶をし、会議室に移動した後、雑誌内で紹介する予定の本や漫画に、あらすじを聞きながら一緒にひととおり目を通した。
「一応、カギになりそうなところには付箋を貼っておきましたが、ここを絶対に取り上げて欲しいというわけではありませんので、基本的には矢島さんが興味を持った部分について書いていただければ。ただ、紹介の仕方としては、ストーリーについて半分、それからその中で猫がどのように活躍しているのか、どのように描かれているのかといったことを半分といった感じでお願いします」
「分かりました」
思ったより冊数が多いが、このくらいなら1日で読み終えられるかな、と考える。
昔から読書ばかりしていたせいか、柊人に『本当に読んでる?』と言われるくらいには、俺は読むのが早い。この仕事を始めてからは、そのスピードが役に立っている。
「それから、矢島さんは猫ちゃんを飼ってらっしゃるんですよね?だとすると、その猫ちゃんのエピソードなんかも交えていただくと、読んでる方もぐっと親近感が湧くような記事になるかなとも思うんですが」
「あぁ、えっと実は猫を飼ってるわけではなくて、平日の昼間だけ預かってるんですよね」
「え、そうなんですか?」
俺は軽く頷く。
「隣の部屋に住む友人が飼い主で、でも、ちょっと前に網戸を破って脱走したもんで、昼間も家にいる俺に預かって欲しいってことで」
「あぁ、あのコラムの話ですね。虚無のおやつの」
「あ、それです。まあでも、俺の猫ではないですけど何かしらエピソードを交えられるように書いてみますね」
「助かります、ありがとうございます」
「それで、いつごろまでに納めれば」
「あまり時間がなくて申し訳ないのですが、来月の五日で大丈夫でしょうか」
「そうですね……大丈夫だと思います」
今抱えている仕事を思い出しながら答える。この記事だけに二日は割くことができるだろう。
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
会議室の時計を見上げると、四時前だった。この時間ならそのまま帰る感じかなと思っていると「それで、打ち合わせは以上なんですが、終わったら声をかけるように林に言われていますので、少々ここでお待ちくださいね」と和田さんに言われた。
あ、これは飲みにいくってことだなと察した俺は「分かりました」と返事をし、和田さんの後姿を見送りつつ小さくため息をついた。林さんは酔うと少しだけめんどくさいのだ。
*
「え、矢島さん今まで彼女いたことないんですか? 嘘ですよね?」
親睦を図るためということで、林さんだけでなく和田さんも含めての三人での飲み会はすでに二時間を超していた。
いい加減帰りたいなと思うが、言い出すきっかけもつかめず、俺はまたビールをお替りする。あと一時間もすれば、終電の時間がと言って帰れるはずだ。
「ほんとだって。けっこう可愛い顔してんのにもったいないよな。まあでも昔っから女には興味ないって感じだったもんなぁ矢島は」
「はぁ」
彼女はいたことがないのは事実だから、素直にそう答える。
「もしかして、二次元が好きとか……?」
「そういうわけでもないんですけどね」
「じゃあお前、どんな女の子がタイプなんだよ」
林さんはもうすでに酔っ払っていて、声も大きくなっている。
「タイプですか……」
昔からタイプは、と聞かれたことは何度もあるが、そのたびに困ってしまう。
そしていつも、坂口安吾の「理想の女」に書かれていた内容を漠然と思い出す。どんな大作家でも理想の女を書き表すのは難しいもので、それなのに俺なんかが自分の理想を語るなんて無理に決まっているじゃないかと心の中で思いつつ「優しい人ですかね」という無難な言葉を今日も口にしてしまう。
「出た出た」
林さんは呆れたような声を出す。
「もっと外見とかあんだろ。背が高いとか低いとかやせてるとかぽっちゃりとか胸が大きいとか小さいとか」
「セクハラセクハラー!!」
こちらもそこそこ酔い始めている和田さんが林さんをバシバシと叩く。昼間の落ち着いた姿とは打って変わってなかなかテンションが高い。
見た目と言われても困ったなと思う。自分がおかしいんだろうとは思うが、もともと人にあまり興味がないから分からない。
「うーん、俺、あまり外見にこだわりなくて……」
苦し紛れにそう答えると「あー。確かに守備範囲が広すぎると、逆に好きな人ってできないんですよ」と和田さんが言う。
「そういうもんですか」
「そうです。だから、こうフェチ的なものを持ってる人のほうが相手を見つけやすいって言うか」
「おー、矢島のフェチとかマニアックで面白そうだな。なんかないのか? 眼鏡とか好きそうだけど」
「フェチ……」
「エロ動画を、選ぶときの基準とかさ」
「またセクハラー!!」
「そもそも見たことないですね……」
そう答えると林さんも和田さんも目を見開いた。
「え、嘘だよな」
「え、じゃあ一人でするときってどうしてるんですか」
「お前も大概セクハラだぞ、和田」
「いやだって気になりますよね。漫画とか?」
「いえ、えーと、想像とか」
「あーなるほどな~。お前妄想力ありそうだしな。分からんでもない」
「ちょっと待って、そのときに何を想像してるかって話ですよ」
さすがに柊人に抱かれているところ、とは言えない。
だからと言って、下手に嘘をついていろいろつっこまれてもめんどくさい。
「初恋の相手ですね」
これなら嘘ではないし無難だろうと答えると、和田さんが「うそでしょー!」と両手で顔を覆った。
「待ってください矢島さん、ということは未だに初恋の人を引きずってるってことですか?だから恋愛できないみたいな」
「……そう、かも」
「ピュアピュアすぎてなんかしんどい」
顔を覆った指の隙間からこちらを見てくる和田さんにそう言われ戸惑っていると、林さんにぽん、と肩を叩かれる。
「よく分かった。いいか矢島。お前は、早急に誰かと付き合う必要がある。たぶん、初恋の相手を美化しすぎてるんだって。ちょっと他に目を向けてみろよ。女はその初恋の相手だけじゃないし、こう言ったらなんだけど、一回ヤったらたぶんその初恋相手のことはいい思い出として割り切れるようになるから」
そういうもんなんだろうか、と思う。
柊人以外を好きになったことがない自分が、割り切れるようになるんだろうか。っていうかその前に、俺、柊人以外とヤれるんだろうか。
想像できなさすぎてフリーズしていると、林さんが続けた。
「だいたい、お前だって初恋の相手をずーっと好きだったわけでもないだろうし、今でも本気で好きなわけじゃないだろ。単にその思い出に執着してるだけなんじゃないの。」
「……」
それをすぐに否定できないのは、ほんの数か月前の自分を今でも覚えているからだ。
推進力を無くして地に落ちた恋心を、なんの感慨もなく見つめていた自分を。
その自分が今、柊人の気を引きたくて頑張っているのは、柊人に捨てられるという危機感からきたもので、これが愛なのか、執着なのかと聞かれたら。
俺は、柊人のことを好きでもないのに執着してるだけ?
「ちなみに矢島さん、その人に告白したんですか?」
「告白?」
「そう、告白です。もししてないんだとしたら、それで自分の中で引きずってるのかもしれないですよね。きっぱり振られていたら忘れられるかもしれないけど」
「はっきりと告白……はしてないですね」
柊人に向かって、態度ではもちろん示してきたことはあるけど、はっきりと好きだと口に出したことはない。
「じゃあ、その初恋の人と会うことできないですかね?同窓会とかでもいいとは思いますけど。もし会えるなら、自分が好きだったことを伝えて、ちゃんと思い出としてケリをつけたらどうでしょう」
「いや、それは……」
柊人に今さら好きだと言って、ごめん、と言われることを考えると、胃のあたりがひゅっと縮むような気分になる。
無理だ。今の俺にはそれだけの勇気はない。
「んー、じゃあやっぱり他に目を向けるしかないですね……って、そもそも矢島さんに恋愛する気があるのかどうかって話ですけど」
「個人的には矢島に恋愛してほしいけどな~。それで恋愛ものの本の書評にもっと深みを与えて欲しい。ほら、こうなったらフリー同士、和田と矢島で恋愛すればいいんじゃないの」
「あー無理! 仕事がらみは別れたときとか面倒ですし」
和田さんがぶんぶんと手を振って否定する。こういうときには社交辞令でいいですね、とか言うべきなのか迷っていた俺はほっとする。
「別れが前提ってどうかと思うけどまあ確かにそうだな。んー、矢島は誰か身近に連絡取ってるような子いないの?」
「あー……」
「お?」
「いるんですか?」
「いえ、家の近くのコンビニに財布忘れたときに、そこで働いてる子が財布の中から名刺を見つけて連絡してきてくれたんですよね。で、ちょっと話すようになったんですけど。少し前に最近コンビニに来ないけど元気ですかって連絡が」
俺がそう言った途端、林さんと和田さんがテーブルの上に身を乗り出した。
「それ!」
「それだな!」
「これ?」
「それそれ。お前に好意がなけりゃ連絡なんてしてこないって」
「いや……俺の買う食事が偏ってるって心配してたから、気にかけてくれただけだと思うんですけど……」
「いいなと思わなければ、そもそも気にかけることもしないんですって!」
「よし、矢島。その子に自分から連絡して一回くらいデートしてみろ。うまくいくにしろいかないにしろ、絶対いい経験になるから」
「でも、よく知らない相手なのに連絡取ったりしていいんですかね……」
「恋愛の場合、それをしないと何も始まらないだろ」
そういうもんか、と考える。でも柊人は気安く連絡先教えることをダメだって言ってたし、連絡を取ろうとすることもダメだって言うだろうなと思う。
そもそも、俺あの子になんの興味もないのにいいんだろうかと思って、俺は二人に聞いてみる。
「あの、でも、好きでもないのに連絡取るって失礼にはなりませんか」
「ピュアピュア……」
「大人になって恋愛しようと思ったら、お試しみたいな期間があるのも普通だから大丈夫。別にデートって言わないでもいいだろ。一緒にご飯食べにいくくらいなら友達ともするだろうし」
「なるほど」
久しぶりに飲んだお酒で酔いが回ってきた頭の中を、ここまで聞いたいろいろなことがぐるぐるする。
初恋。執着。割り切り。告白。ケリ。デート。お試し。
今まで、恋愛に関してこんなふうに誰かにアドバイスをされたことなんてなかった。大学のときに仲良くしていたやつは、みんな恋愛に奥手なやつばっかりだったし、卒業してからは俺の世界にはほぼ柊人しかいなくて、それ以外の人と会うとなるとそれこそ林さんくらいだけど、飲みに行ってもここまで突っ込んだ話になる前に林さんの下ネタに舵が切られていたから。
目の前のビールを見てじっと考える。
柊人との間に自分から波風を立てたいとは思わない。
でも、波風を立てないと分からないこともあるのかもしれない。
とりあえず、食事に誘うかどうかは別にして、真田さんに会いに一度コンビニまで行ってみようと心の中で決めた俺は、手に持ったビールを勢いよく飲み干した。
「彼氏募集中らしいぞ」
和田さんに会う前にそう言われたが、俺にとってこれほどどうでもいい情報はなく「はあ」と答えると「お前はちょっと頼りない感じはあるけど、顔はけっこういいんだからこういう出会いのチャンスを逃すなよ」と背中を叩かれてしまった。
その和田さんはと言うと、電話で感じたとおり明るい雰囲気のある人だった。
「矢島さんのコラム、毎回楽しく読ませていただいているので、今回一緒にお仕事できてうれしいです」
そう笑って言ってくれた和田さんに俺も笑顔で挨拶をし、会議室に移動した後、雑誌内で紹介する予定の本や漫画に、あらすじを聞きながら一緒にひととおり目を通した。
「一応、カギになりそうなところには付箋を貼っておきましたが、ここを絶対に取り上げて欲しいというわけではありませんので、基本的には矢島さんが興味を持った部分について書いていただければ。ただ、紹介の仕方としては、ストーリーについて半分、それからその中で猫がどのように活躍しているのか、どのように描かれているのかといったことを半分といった感じでお願いします」
「分かりました」
思ったより冊数が多いが、このくらいなら1日で読み終えられるかな、と考える。
昔から読書ばかりしていたせいか、柊人に『本当に読んでる?』と言われるくらいには、俺は読むのが早い。この仕事を始めてからは、そのスピードが役に立っている。
「それから、矢島さんは猫ちゃんを飼ってらっしゃるんですよね?だとすると、その猫ちゃんのエピソードなんかも交えていただくと、読んでる方もぐっと親近感が湧くような記事になるかなとも思うんですが」
「あぁ、えっと実は猫を飼ってるわけではなくて、平日の昼間だけ預かってるんですよね」
「え、そうなんですか?」
俺は軽く頷く。
「隣の部屋に住む友人が飼い主で、でも、ちょっと前に網戸を破って脱走したもんで、昼間も家にいる俺に預かって欲しいってことで」
「あぁ、あのコラムの話ですね。虚無のおやつの」
「あ、それです。まあでも、俺の猫ではないですけど何かしらエピソードを交えられるように書いてみますね」
「助かります、ありがとうございます」
「それで、いつごろまでに納めれば」
「あまり時間がなくて申し訳ないのですが、来月の五日で大丈夫でしょうか」
「そうですね……大丈夫だと思います」
今抱えている仕事を思い出しながら答える。この記事だけに二日は割くことができるだろう。
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
会議室の時計を見上げると、四時前だった。この時間ならそのまま帰る感じかなと思っていると「それで、打ち合わせは以上なんですが、終わったら声をかけるように林に言われていますので、少々ここでお待ちくださいね」と和田さんに言われた。
あ、これは飲みにいくってことだなと察した俺は「分かりました」と返事をし、和田さんの後姿を見送りつつ小さくため息をついた。林さんは酔うと少しだけめんどくさいのだ。
*
「え、矢島さん今まで彼女いたことないんですか? 嘘ですよね?」
親睦を図るためということで、林さんだけでなく和田さんも含めての三人での飲み会はすでに二時間を超していた。
いい加減帰りたいなと思うが、言い出すきっかけもつかめず、俺はまたビールをお替りする。あと一時間もすれば、終電の時間がと言って帰れるはずだ。
「ほんとだって。けっこう可愛い顔してんのにもったいないよな。まあでも昔っから女には興味ないって感じだったもんなぁ矢島は」
「はぁ」
彼女はいたことがないのは事実だから、素直にそう答える。
「もしかして、二次元が好きとか……?」
「そういうわけでもないんですけどね」
「じゃあお前、どんな女の子がタイプなんだよ」
林さんはもうすでに酔っ払っていて、声も大きくなっている。
「タイプですか……」
昔からタイプは、と聞かれたことは何度もあるが、そのたびに困ってしまう。
そしていつも、坂口安吾の「理想の女」に書かれていた内容を漠然と思い出す。どんな大作家でも理想の女を書き表すのは難しいもので、それなのに俺なんかが自分の理想を語るなんて無理に決まっているじゃないかと心の中で思いつつ「優しい人ですかね」という無難な言葉を今日も口にしてしまう。
「出た出た」
林さんは呆れたような声を出す。
「もっと外見とかあんだろ。背が高いとか低いとかやせてるとかぽっちゃりとか胸が大きいとか小さいとか」
「セクハラセクハラー!!」
こちらもそこそこ酔い始めている和田さんが林さんをバシバシと叩く。昼間の落ち着いた姿とは打って変わってなかなかテンションが高い。
見た目と言われても困ったなと思う。自分がおかしいんだろうとは思うが、もともと人にあまり興味がないから分からない。
「うーん、俺、あまり外見にこだわりなくて……」
苦し紛れにそう答えると「あー。確かに守備範囲が広すぎると、逆に好きな人ってできないんですよ」と和田さんが言う。
「そういうもんですか」
「そうです。だから、こうフェチ的なものを持ってる人のほうが相手を見つけやすいって言うか」
「おー、矢島のフェチとかマニアックで面白そうだな。なんかないのか? 眼鏡とか好きそうだけど」
「フェチ……」
「エロ動画を、選ぶときの基準とかさ」
「またセクハラー!!」
「そもそも見たことないですね……」
そう答えると林さんも和田さんも目を見開いた。
「え、嘘だよな」
「え、じゃあ一人でするときってどうしてるんですか」
「お前も大概セクハラだぞ、和田」
「いやだって気になりますよね。漫画とか?」
「いえ、えーと、想像とか」
「あーなるほどな~。お前妄想力ありそうだしな。分からんでもない」
「ちょっと待って、そのときに何を想像してるかって話ですよ」
さすがに柊人に抱かれているところ、とは言えない。
だからと言って、下手に嘘をついていろいろつっこまれてもめんどくさい。
「初恋の相手ですね」
これなら嘘ではないし無難だろうと答えると、和田さんが「うそでしょー!」と両手で顔を覆った。
「待ってください矢島さん、ということは未だに初恋の人を引きずってるってことですか?だから恋愛できないみたいな」
「……そう、かも」
「ピュアピュアすぎてなんかしんどい」
顔を覆った指の隙間からこちらを見てくる和田さんにそう言われ戸惑っていると、林さんにぽん、と肩を叩かれる。
「よく分かった。いいか矢島。お前は、早急に誰かと付き合う必要がある。たぶん、初恋の相手を美化しすぎてるんだって。ちょっと他に目を向けてみろよ。女はその初恋の相手だけじゃないし、こう言ったらなんだけど、一回ヤったらたぶんその初恋相手のことはいい思い出として割り切れるようになるから」
そういうもんなんだろうか、と思う。
柊人以外を好きになったことがない自分が、割り切れるようになるんだろうか。っていうかその前に、俺、柊人以外とヤれるんだろうか。
想像できなさすぎてフリーズしていると、林さんが続けた。
「だいたい、お前だって初恋の相手をずーっと好きだったわけでもないだろうし、今でも本気で好きなわけじゃないだろ。単にその思い出に執着してるだけなんじゃないの。」
「……」
それをすぐに否定できないのは、ほんの数か月前の自分を今でも覚えているからだ。
推進力を無くして地に落ちた恋心を、なんの感慨もなく見つめていた自分を。
その自分が今、柊人の気を引きたくて頑張っているのは、柊人に捨てられるという危機感からきたもので、これが愛なのか、執着なのかと聞かれたら。
俺は、柊人のことを好きでもないのに執着してるだけ?
「ちなみに矢島さん、その人に告白したんですか?」
「告白?」
「そう、告白です。もししてないんだとしたら、それで自分の中で引きずってるのかもしれないですよね。きっぱり振られていたら忘れられるかもしれないけど」
「はっきりと告白……はしてないですね」
柊人に向かって、態度ではもちろん示してきたことはあるけど、はっきりと好きだと口に出したことはない。
「じゃあ、その初恋の人と会うことできないですかね?同窓会とかでもいいとは思いますけど。もし会えるなら、自分が好きだったことを伝えて、ちゃんと思い出としてケリをつけたらどうでしょう」
「いや、それは……」
柊人に今さら好きだと言って、ごめん、と言われることを考えると、胃のあたりがひゅっと縮むような気分になる。
無理だ。今の俺にはそれだけの勇気はない。
「んー、じゃあやっぱり他に目を向けるしかないですね……って、そもそも矢島さんに恋愛する気があるのかどうかって話ですけど」
「個人的には矢島に恋愛してほしいけどな~。それで恋愛ものの本の書評にもっと深みを与えて欲しい。ほら、こうなったらフリー同士、和田と矢島で恋愛すればいいんじゃないの」
「あー無理! 仕事がらみは別れたときとか面倒ですし」
和田さんがぶんぶんと手を振って否定する。こういうときには社交辞令でいいですね、とか言うべきなのか迷っていた俺はほっとする。
「別れが前提ってどうかと思うけどまあ確かにそうだな。んー、矢島は誰か身近に連絡取ってるような子いないの?」
「あー……」
「お?」
「いるんですか?」
「いえ、家の近くのコンビニに財布忘れたときに、そこで働いてる子が財布の中から名刺を見つけて連絡してきてくれたんですよね。で、ちょっと話すようになったんですけど。少し前に最近コンビニに来ないけど元気ですかって連絡が」
俺がそう言った途端、林さんと和田さんがテーブルの上に身を乗り出した。
「それ!」
「それだな!」
「これ?」
「それそれ。お前に好意がなけりゃ連絡なんてしてこないって」
「いや……俺の買う食事が偏ってるって心配してたから、気にかけてくれただけだと思うんですけど……」
「いいなと思わなければ、そもそも気にかけることもしないんですって!」
「よし、矢島。その子に自分から連絡して一回くらいデートしてみろ。うまくいくにしろいかないにしろ、絶対いい経験になるから」
「でも、よく知らない相手なのに連絡取ったりしていいんですかね……」
「恋愛の場合、それをしないと何も始まらないだろ」
そういうもんか、と考える。でも柊人は気安く連絡先教えることをダメだって言ってたし、連絡を取ろうとすることもダメだって言うだろうなと思う。
そもそも、俺あの子になんの興味もないのにいいんだろうかと思って、俺は二人に聞いてみる。
「あの、でも、好きでもないのに連絡取るって失礼にはなりませんか」
「ピュアピュア……」
「大人になって恋愛しようと思ったら、お試しみたいな期間があるのも普通だから大丈夫。別にデートって言わないでもいいだろ。一緒にご飯食べにいくくらいなら友達ともするだろうし」
「なるほど」
久しぶりに飲んだお酒で酔いが回ってきた頭の中を、ここまで聞いたいろいろなことがぐるぐるする。
初恋。執着。割り切り。告白。ケリ。デート。お試し。
今まで、恋愛に関してこんなふうに誰かにアドバイスをされたことなんてなかった。大学のときに仲良くしていたやつは、みんな恋愛に奥手なやつばっかりだったし、卒業してからは俺の世界にはほぼ柊人しかいなくて、それ以外の人と会うとなるとそれこそ林さんくらいだけど、飲みに行ってもここまで突っ込んだ話になる前に林さんの下ネタに舵が切られていたから。
目の前のビールを見てじっと考える。
柊人との間に自分から波風を立てたいとは思わない。
でも、波風を立てないと分からないこともあるのかもしれない。
とりあえず、食事に誘うかどうかは別にして、真田さんに会いに一度コンビニまで行ってみようと心の中で決めた俺は、手に持ったビールを勢いよく飲み干した。