三話
パンっと頬に平手が飛んでくる。些細な事で、叩かれたり蹴られたり、罵倒されたりするこの家が嫌いだった。怒っている母さんも嫌いだった。
『あなたなんていなければよかったのに……!』
涙ぐんだ母さんの瞳は俺の事を本当に嫌っているように思えた。どうして俺は母さんに嫌われてしまったんだろう。どうして母さんには愛してもらえなかったのだろう。
何で俺がそんな事言われないといけないの?
どうして母さんは父さんばかりで俺の事を愛してくれないの?
俺は母さんに認められたくて、頑張ってきたのに。
殴られたって蹴られたって、どうしてもあの時の優しさを忘れられなくて、必死に耐えていた。あの時撫でてくれたあの時の母さんが戻ってくると信じて。
何度も何度も、死んで欲しい、消えてくれなんて冷たい言葉をぶつけられた。ただでさえ、そんな言葉を人に言ってはいけないというのに。まだ五歳か六歳か、そのぐらいの子供には尚更絶対に言って良い言葉じゃない。
なのに、俺がそれを素直に受け取って死のうとしたら止められる。
「お願いだから、死なないで!」
ほら、また。いつだって同じだ。俺が死のうと試みる度に梛、梛と何度も縋られて、泣きつかれて。俺も疲れて諦める。
「母さん……もう俺の名前呼ばないで」
もう、あなたに梛と呼ばれる事すら嫌になりました。あなたがつけたこの名前も嫌いです。
だから、俺のためを思うなら、早く俺の視界から消え去ってくれ。
「……何も出来なくて、ごめんね」
ぽろりと、母さんは涙を溢す。
「謝るなら、あんな事するなよ」
結局謝るなら、俺に謝るくらいなら、何であんな酷い事するんだよ。謝ったって、この傷が癒えることはないというのに。謝られたって、俺を愛してくれるわけじゃないくせに。
だからどうしても、俺にはその謝罪は受け取れなかった。
「私、あなたのお母さんじゃないよ……」
急にそんな事を言われても、意味がわからなかった。何を言ってるのかと思って、ようやく理解した。
「あぁ、あんたらにとって俺はいらない存在なんだもんな」
母さんにとっても、父さんにとっても俺は必要ない。邪魔な存在なんだ。もう今更、こんな事で傷つくわけもない。
「違う!」
「何も違わないだろ、良いよもう死ぬから」
ほら、そうやって強く言えばまた泣く。何でお前が泣いてるんだよ。俺にはもっと酷い言葉を吐きかけたくせに。それでも、俺が泣いたら母さんはうるさいって蹴るから滲んだ涙を溢さないように頑張って耐えてたのに。
泣いたらどうにかなるとでも思ってんのか?
泣けば俺が心を開いて許すとでも思うのか?
残念だったな、もう俺は死ぬんだ。ようやくお前らから解放されるんだ。
俺は窓の外に乗り出そうとしたその時だった。
「待てよ梛……おい、梛!!」
抱きつかれて、そのままぐいっと後ろに引っ張られた。すると、ぼすっという音と共に柔らかいベッドに倒された。その時に疑問が生まれた。
あれ、母さんって俺が成長した時にまだ一緒に居たっけ。
抱きついた人を見るなり、驚いた。
「え、昴……? なんで俺の家にいるの? あ、もしかして助けに来てくれたの?」
昴は苦しそうに「ここは俺の家だし、りさはお前の母さんじゃないし、ここにはお前を傷つけようとする人はいない!」と叫んだ。そこで靄がかかっていた頭の中がすぅっと澄み渡った。
そうだ、俺は昴に助けられて一緒に住んでいたんだ。母さんがこんな所にいるわけなかった。さっきのはただの夢だったんだ。
「俺の誕生日だから妹のりさが来てくれたんだよ」
「え、もしかして。いや、もしかしなくてもそうだよな」
俺は気付いてしまった。母さんと昴の妹を重ねてしまっていたという事に。
ひょこっと、涙目のふわふわした黒髪ロングの小さい女の子が昴の後ろから顔を出した。きっと、この子がりさちゃんなんだろう。
「梛、さん……大丈夫?」
自分だって怖かった筈なのに、心配してくれるりさちゃんは昴に似ていて優しいと思った。
それと同時に罪悪感が俺を襲った。
「うん、俺は平気。ごめんな、初対面なのに酷い事して……もしかして初めから、かな」
初めからりさちゃんだったのだろう、きっと。
りさちゃんは小さく頷いて「お兄ちゃんの誕生日だからケーキ持ってきたんだけど、その時に梛さんが飛び降りようとしてて、私はそれを止めたの」と言った。
「怪我してない? 本当にごめんな」
「大丈夫! これでも十八だよ?」
りさちゃんは「それと、りさでいいよ」と付け加えて、ニコッと笑ってくれた。
「……じゃあ、りさが買ってきてくれたケーキでも食べるか!」
昴は仕切り直しみたいにそう言ってパーティーが始まった。
夜になると、昴の誕生日パーティーは終わり、りさは家に帰った。高校生だから、まだ実家暮らしだそうだ。
パーティーはすごく楽しかったけれど、昴の誕生日なのにトラウマがフラッシュバックしてしまうなんて、とずっと引きずっていた。申し訳なさと自己嫌悪がぐるぐる混ざって、心の中でぐちゃぐちゃになる。
カーテンの隙間から、月明かりがベッドに転がった昴の顔を照らしている。
その顔を隣でじっと見つめていると、昴は口を開いた。
「今日は、祝ってくれてありがとな」
「こちらこそ、ごめん」
昴は、おいで、と手を広げて俺を抱き寄せてくれた。俺より少しだけ背が高いだけなのにどうしてか昴は俺よりずっとずっと大きく思えた。
昴はぽんぽんと背中を優しく叩いてくれる。もう会えない、ばあちゃんと同じ温もり。
懐かしくて、温かくて。そんな昴に縋りたいと思ってしまった。
「お前、相当頑張ってきたんだよな? 多分、昔大変だったんだろ」
黙ったままの俺に昴は「詳しくは、話したくないかもだから聞かないけど」と続けてくれた。
たまに、俺が話そうとも思っていないプライベートな話を聞いてくるようなデリカシーの無い人間に会う事がある。そう思うと、俺が話そうとしていない事を聞いてこない昴は、ちゃんと弁えているんだとわかった。
「昴になら、話してもいいかも」
気付けば、そう口にしていた。
俺は、自分の過去を昴に話し出した。
昴は時折、相槌を打ちながら静かに話を聞いてくれた。
思い出したくも無いような、どろどろで真っ黒な過去。それなのに、その記憶は鮮明に頭にこびりついて離れない。もう二度とあの場所には帰りたく無いと思うほどのトラウマを植え付けられたのに、だ。
機嫌が悪いと、何もしていなくても俺に手を出してくる母さんに、そんな母さんに何も言わず、俺に関心のかけらもない父さん。母さんは父さんの事が好きだったから、俺が邪魔だった。幼いながらに、そうわかっていた。
そんな中でも、どれだけ殴られようが蹴られようが、捨てられる事はないと信じ切っていた。それが唯一の希望だったのだ。
俺はサンドバッグと同じ存在なのだから、母さんがストレス発散に使う駒が無くなってしまったら困るから。
でも、実際はそうじゃなかった。母さんは、本当に俺にいなくなって欲しかったのだとあの日知った。
あれは、とある日曜日の昼の事だった。俺は目覚まし時計を見て、慌てて飛び起きた。こんなに遅くまで寝ていたら、叩かれるのは当たり前だったのだ。
でも、いつまで経っても怒鳴り声は聞こえてこない。更には、人の気配すら無い。
恐る恐るリビングを覗いてみると、いつも散らかった部屋はもぬけの殻だった。母さんの化粧品も、父さんの仕事の資料も何も無い。
あるのは、俺の私物と俺が幼稚園くらいの頃に画用紙に描いた母さんへの手紙。信じたくなかった、捨てられたなんて。
一日中、ボロボロ泣いて、泣いて泣き続けた。
一日中泣き続けた俺は喉も枯れ、何も食べていないから腹も減っていたのに、食べ物も飲み物もないから、俺はここで死ぬのかもしれないと思った。
そんな時、ふっと思い出したばあちゃんの電話番号。
俺は家の固定電話にそれを打ち込み、電話をかけた。
『た……け……! ば、ちゃ……』
枯れ果てて、声にならない声だったと思う。それでもばあちゃんは察してくれた。「梛ちゃん、すぐ行くね」と言ってくれたばあちゃんの声に安心して、俺はいつしか意識を失っていた。
気付けば、ばあちゃんに膝枕をしてもらって俺は横になっていた。
ばあちゃんの匂い、温もり、ぽんぽんと叩いてくれる背中。ずっと我慢していたのに、張り詰めていた糸がぷつんと切れた。わぁわぁとばあちゃんに縋りついて泣く俺に、ばあちゃんは頭を撫でてくれた。
「大変だったね、よく頑張ったね」と言いながら。その言葉で、今までしんどかった思いが全て報われた気がした。
俺は、ばあちゃんに育てて貰えることになった。ばあちゃんの家で、二人きりで。
ばあちゃんはもう定年退職していて、年金生活だったからあまり裕福な暮らしではなかった。それでも、俺は凄く幸せだった。
俺はばあちゃんの事が大好きで、ばあちゃんも俺に大好きと言ってくれる。
それだけで良かった筈なのに。もうそれ以上は何も求めていなかったのに。
神様は俺からばあちゃんを奪った。
病院から電話がかかってきて、確認をされた。ご家族の方ですか?と。何度病院の人に聞き直しても、それはばあちゃんの名前で。
事故に遭ったらしかった。居眠り運転をしていた車とぶつかったという事だった。居眠り運転をしていた運転手を恨もうとしても、運転手もばあちゃんと同じでもうこの世にはいない。
信じたくなくても、これが現実で。
認めたくなくても、認めるしかなくて。
俺はそれから空っぽになった。
俺は、愛が欲しかった。
ばあちゃんが注ぎ続けてくれていた愛は、もう貰えない。
だから俺には、そういう行為をする事でしか、愛を供給する事ができなかった。俺の事好き?と聞いたら必ず好きだよと返ってくる。俺は母さん譲りのこの容姿のおかげで、その相手には困らなかった。
でも、そんな物で愛が埋まる筈もなく。まぁ、強いて言うなら『空っぽの愛』だろうか。形はあっても中身は無い。だから足りない、足りないと貪欲に愛を求める。
街中で、カップルを見た時に羨ましく思う。俺だってあんな純愛がしてみたかった。
「一人だけで良いから、俺の事愛してくれる人が欲しかったな……」
「?探せば良いじゃん」
さも簡単そうにそういう昴に苛立って「じゃあ、お前がなってくれんの?」と笑うと「え、良いけど」と予想外の返事が返ってきた。
冗談だったのが、もしかすると本当の事になるかもしれない。鼓動が早く脈打った。
パンっと頬に平手が飛んでくる。些細な事で、叩かれたり蹴られたり、罵倒されたりするこの家が嫌いだった。怒っている母さんも嫌いだった。
『あなたなんていなければよかったのに……!』
涙ぐんだ母さんの瞳は俺の事を本当に嫌っているように思えた。どうして俺は母さんに嫌われてしまったんだろう。どうして母さんには愛してもらえなかったのだろう。
何で俺がそんな事言われないといけないの?
どうして母さんは父さんばかりで俺の事を愛してくれないの?
俺は母さんに認められたくて、頑張ってきたのに。
殴られたって蹴られたって、どうしてもあの時の優しさを忘れられなくて、必死に耐えていた。あの時撫でてくれたあの時の母さんが戻ってくると信じて。
何度も何度も、死んで欲しい、消えてくれなんて冷たい言葉をぶつけられた。ただでさえ、そんな言葉を人に言ってはいけないというのに。まだ五歳か六歳か、そのぐらいの子供には尚更絶対に言って良い言葉じゃない。
なのに、俺がそれを素直に受け取って死のうとしたら止められる。
「お願いだから、死なないで!」
ほら、また。いつだって同じだ。俺が死のうと試みる度に梛、梛と何度も縋られて、泣きつかれて。俺も疲れて諦める。
「母さん……もう俺の名前呼ばないで」
もう、あなたに梛と呼ばれる事すら嫌になりました。あなたがつけたこの名前も嫌いです。
だから、俺のためを思うなら、早く俺の視界から消え去ってくれ。
「……何も出来なくて、ごめんね」
ぽろりと、母さんは涙を溢す。
「謝るなら、あんな事するなよ」
結局謝るなら、俺に謝るくらいなら、何であんな酷い事するんだよ。謝ったって、この傷が癒えることはないというのに。謝られたって、俺を愛してくれるわけじゃないくせに。
だからどうしても、俺にはその謝罪は受け取れなかった。
「私、あなたのお母さんじゃないよ……」
急にそんな事を言われても、意味がわからなかった。何を言ってるのかと思って、ようやく理解した。
「あぁ、あんたらにとって俺はいらない存在なんだもんな」
母さんにとっても、父さんにとっても俺は必要ない。邪魔な存在なんだ。もう今更、こんな事で傷つくわけもない。
「違う!」
「何も違わないだろ、良いよもう死ぬから」
ほら、そうやって強く言えばまた泣く。何でお前が泣いてるんだよ。俺にはもっと酷い言葉を吐きかけたくせに。それでも、俺が泣いたら母さんはうるさいって蹴るから滲んだ涙を溢さないように頑張って耐えてたのに。
泣いたらどうにかなるとでも思ってんのか?
泣けば俺が心を開いて許すとでも思うのか?
残念だったな、もう俺は死ぬんだ。ようやくお前らから解放されるんだ。
俺は窓の外に乗り出そうとしたその時だった。
「待てよ梛……おい、梛!!」
抱きつかれて、そのままぐいっと後ろに引っ張られた。すると、ぼすっという音と共に柔らかいベッドに倒された。その時に疑問が生まれた。
あれ、母さんって俺が成長した時にまだ一緒に居たっけ。
抱きついた人を見るなり、驚いた。
「え、昴……? なんで俺の家にいるの? あ、もしかして助けに来てくれたの?」
昴は苦しそうに「ここは俺の家だし、りさはお前の母さんじゃないし、ここにはお前を傷つけようとする人はいない!」と叫んだ。そこで靄がかかっていた頭の中がすぅっと澄み渡った。
そうだ、俺は昴に助けられて一緒に住んでいたんだ。母さんがこんな所にいるわけなかった。さっきのはただの夢だったんだ。
「俺の誕生日だから妹のりさが来てくれたんだよ」
「え、もしかして。いや、もしかしなくてもそうだよな」
俺は気付いてしまった。母さんと昴の妹を重ねてしまっていたという事に。
ひょこっと、涙目のふわふわした黒髪ロングの小さい女の子が昴の後ろから顔を出した。きっと、この子がりさちゃんなんだろう。
「梛、さん……大丈夫?」
自分だって怖かった筈なのに、心配してくれるりさちゃんは昴に似ていて優しいと思った。
それと同時に罪悪感が俺を襲った。
「うん、俺は平気。ごめんな、初対面なのに酷い事して……もしかして初めから、かな」
初めからりさちゃんだったのだろう、きっと。
りさちゃんは小さく頷いて「お兄ちゃんの誕生日だからケーキ持ってきたんだけど、その時に梛さんが飛び降りようとしてて、私はそれを止めたの」と言った。
「怪我してない? 本当にごめんな」
「大丈夫! これでも十八だよ?」
りさちゃんは「それと、りさでいいよ」と付け加えて、ニコッと笑ってくれた。
「……じゃあ、りさが買ってきてくれたケーキでも食べるか!」
昴は仕切り直しみたいにそう言ってパーティーが始まった。
夜になると、昴の誕生日パーティーは終わり、りさは家に帰った。高校生だから、まだ実家暮らしだそうだ。
パーティーはすごく楽しかったけれど、昴の誕生日なのにトラウマがフラッシュバックしてしまうなんて、とずっと引きずっていた。申し訳なさと自己嫌悪がぐるぐる混ざって、心の中でぐちゃぐちゃになる。
カーテンの隙間から、月明かりがベッドに転がった昴の顔を照らしている。
その顔を隣でじっと見つめていると、昴は口を開いた。
「今日は、祝ってくれてありがとな」
「こちらこそ、ごめん」
昴は、おいで、と手を広げて俺を抱き寄せてくれた。俺より少しだけ背が高いだけなのにどうしてか昴は俺よりずっとずっと大きく思えた。
昴はぽんぽんと背中を優しく叩いてくれる。もう会えない、ばあちゃんと同じ温もり。
懐かしくて、温かくて。そんな昴に縋りたいと思ってしまった。
「お前、相当頑張ってきたんだよな? 多分、昔大変だったんだろ」
黙ったままの俺に昴は「詳しくは、話したくないかもだから聞かないけど」と続けてくれた。
たまに、俺が話そうとも思っていないプライベートな話を聞いてくるようなデリカシーの無い人間に会う事がある。そう思うと、俺が話そうとしていない事を聞いてこない昴は、ちゃんと弁えているんだとわかった。
「昴になら、話してもいいかも」
気付けば、そう口にしていた。
俺は、自分の過去を昴に話し出した。
昴は時折、相槌を打ちながら静かに話を聞いてくれた。
思い出したくも無いような、どろどろで真っ黒な過去。それなのに、その記憶は鮮明に頭にこびりついて離れない。もう二度とあの場所には帰りたく無いと思うほどのトラウマを植え付けられたのに、だ。
機嫌が悪いと、何もしていなくても俺に手を出してくる母さんに、そんな母さんに何も言わず、俺に関心のかけらもない父さん。母さんは父さんの事が好きだったから、俺が邪魔だった。幼いながらに、そうわかっていた。
そんな中でも、どれだけ殴られようが蹴られようが、捨てられる事はないと信じ切っていた。それが唯一の希望だったのだ。
俺はサンドバッグと同じ存在なのだから、母さんがストレス発散に使う駒が無くなってしまったら困るから。
でも、実際はそうじゃなかった。母さんは、本当に俺にいなくなって欲しかったのだとあの日知った。
あれは、とある日曜日の昼の事だった。俺は目覚まし時計を見て、慌てて飛び起きた。こんなに遅くまで寝ていたら、叩かれるのは当たり前だったのだ。
でも、いつまで経っても怒鳴り声は聞こえてこない。更には、人の気配すら無い。
恐る恐るリビングを覗いてみると、いつも散らかった部屋はもぬけの殻だった。母さんの化粧品も、父さんの仕事の資料も何も無い。
あるのは、俺の私物と俺が幼稚園くらいの頃に画用紙に描いた母さんへの手紙。信じたくなかった、捨てられたなんて。
一日中、ボロボロ泣いて、泣いて泣き続けた。
一日中泣き続けた俺は喉も枯れ、何も食べていないから腹も減っていたのに、食べ物も飲み物もないから、俺はここで死ぬのかもしれないと思った。
そんな時、ふっと思い出したばあちゃんの電話番号。
俺は家の固定電話にそれを打ち込み、電話をかけた。
『た……け……! ば、ちゃ……』
枯れ果てて、声にならない声だったと思う。それでもばあちゃんは察してくれた。「梛ちゃん、すぐ行くね」と言ってくれたばあちゃんの声に安心して、俺はいつしか意識を失っていた。
気付けば、ばあちゃんに膝枕をしてもらって俺は横になっていた。
ばあちゃんの匂い、温もり、ぽんぽんと叩いてくれる背中。ずっと我慢していたのに、張り詰めていた糸がぷつんと切れた。わぁわぁとばあちゃんに縋りついて泣く俺に、ばあちゃんは頭を撫でてくれた。
「大変だったね、よく頑張ったね」と言いながら。その言葉で、今までしんどかった思いが全て報われた気がした。
俺は、ばあちゃんに育てて貰えることになった。ばあちゃんの家で、二人きりで。
ばあちゃんはもう定年退職していて、年金生活だったからあまり裕福な暮らしではなかった。それでも、俺は凄く幸せだった。
俺はばあちゃんの事が大好きで、ばあちゃんも俺に大好きと言ってくれる。
それだけで良かった筈なのに。もうそれ以上は何も求めていなかったのに。
神様は俺からばあちゃんを奪った。
病院から電話がかかってきて、確認をされた。ご家族の方ですか?と。何度病院の人に聞き直しても、それはばあちゃんの名前で。
事故に遭ったらしかった。居眠り運転をしていた車とぶつかったという事だった。居眠り運転をしていた運転手を恨もうとしても、運転手もばあちゃんと同じでもうこの世にはいない。
信じたくなくても、これが現実で。
認めたくなくても、認めるしかなくて。
俺はそれから空っぽになった。
俺は、愛が欲しかった。
ばあちゃんが注ぎ続けてくれていた愛は、もう貰えない。
だから俺には、そういう行為をする事でしか、愛を供給する事ができなかった。俺の事好き?と聞いたら必ず好きだよと返ってくる。俺は母さん譲りのこの容姿のおかげで、その相手には困らなかった。
でも、そんな物で愛が埋まる筈もなく。まぁ、強いて言うなら『空っぽの愛』だろうか。形はあっても中身は無い。だから足りない、足りないと貪欲に愛を求める。
街中で、カップルを見た時に羨ましく思う。俺だってあんな純愛がしてみたかった。
「一人だけで良いから、俺の事愛してくれる人が欲しかったな……」
「?探せば良いじゃん」
さも簡単そうにそういう昴に苛立って「じゃあ、お前がなってくれんの?」と笑うと「え、良いけど」と予想外の返事が返ってきた。
冗談だったのが、もしかすると本当の事になるかもしれない。鼓動が早く脈打った。