外の世界に出たのはいつ以来なのか。しかし心はまったく弾まない。絲は軍専用の自動車に乗せられ、後部座席でぎゅっと肩を縮め、うつむいていた。

 どこに連れていかれるの? 私、これからどうなるの?

 隣に座る男に尋ねたい気持ちと、仮に答えが返ってきたとしてもそれを素直に信じていいものか。

 この人……結婚って言ったの?

『いいや。彼女は俺の妻にする』

 信じられるわけがない。初対面の、ましてや人とは異なるような自分を選ぶ理由など皆目見当がつかない。

 やっぱり、このまま軍で実験かなにかに使われるの?

「大佐。一度、戻りますか?」

 運転席からミラー越しに問いかける犬伏の声で我に返る。

「いや、予定通り累ヶ丘の後藤田医院へ」

 端的な返事には、助手席の泉下から反応があった。

「明け方に四人目ですか……。ウェルテル効果にしては、同じ場所と同じ年代。さすがに偶然で片付けるわけにはいきませんね」

 立て続けに若い女性の飛び降りがあった後藤田医院で、また新たな犠牲者が出たらしい。どんな理由があったのか。顔どころか名前も知らないが、同年代の女性が亡くなるのは、胸が痛む。

「念のため天明(てんめい)を向かわせているが、どうなっているのか……」

 極夜は軽く口元を押さえ、考え込む。

 なんの話か絲にはさっぱりわからないが、関係ない。それよりもこのあとの自分の状況だ。後藤田医院の前には、すでに何人もの軍の人間が到着しており、建物のそばに車をつけると、極夜たちはドアを開けた。

「少し待っていろ。すぐに戻る」

 一方的に告げ、彼らはさっさと行ってしまう。鍵はかかっておらず、逃げ出すなら今だ。

 でも、逃げ出してどうなるの?

 血縁者も頼る者もいない。読み書きなどはできても、めったに出してもらえなかった外の世界は絲にとって未知数だ。

 匣、みたい。

 おそらく外側からは中が見えないようになっている車窓に張り付き、絲は後藤田医院を見上げた。

 白く四角い建物には規則正しく窓が並び、下から見上げると大きな匣に見える。建物横には黒い非常階段が取り付けられており、屋上まで続いていた。

 先ほど、降りていった際の動作を見ていたので、絲は思いきって車のドアを開け、外に出た。

 古びた着物と乱れた髪、おまけに草履も下駄も履かずに足袋のまま。あきらかに注目を浴びそうだが、そこは人が多いからか。極力前髪で目を隠し、さまざまな人が行き交う中で、絲は非常階段を目指す。

 調べている途中だからか、終わったばかりだからか、幸い非常階段は封鎖されておらず、軍の人間に咎められずに絲は階段を上っていく。

 四階建ての屋上までやってくる頃には、息がすっかり切れてしまっていた。激しい風が吹き、空気の流れる音が耳を掠める。