翌日、瑶子の縁談相手を迎える準備で武藤家は朝から慌ただしかった。

 瑶子は上等な着物を身にまとい、絹のリボンで髪を結われ、白粉や紅で化粧を施されている。

 一段と気合いの入った姿は、この縁談にかける意気込みの強さがうかがえた。 

「あなたはけっして表に出ないでちょうだい。あなたみたいな化け物が瑶子のそばにいるなんて沢木(さわき)様に知られたら、どう思われるか……。武藤家の、瑶子の足を引っ張る真似をしたら、ここから叩き出してやるから」

 鼻を鳴らし、瑶子の母親である京子は言い捨てた。

 客人を迎え入れるため、使用人たちが右往左往する中、絲はひたすら裏方に徹するよう命じられる。絲も瑶子や彼女の縁談相手の前に現れる気など微塵もない。

 いっそ叩き出された方がいいのではないか。

 そうこうしているうちに玄関の方が騒がしくなる。おそらく縁談相手が来たのだろう。しかし、絲はひたすら炊事場で洗い物に徹する。

「ねぇ、瑶子お嬢様の相手の沢木様?とても素敵ね」

 広間にお茶を出しにいって帰ってきた使用人が部屋に入るなり、うっとりした声で漏らす。一緒にいたもうひとりが相槌を打った。

「本当、軍の人間を間近で見る機会が少ないけれど、軍服姿は凛々しいし、なにより少尉ですもの。……そういえば今朝、後藤田医院での飛び降り、四人目ですって」

 誰かから聞いたのか、新聞か。相手は小さく悲鳴をあげた。

「まぁ、怖い。やはりなにかあるのかしら?」

 好き勝手話しだすふたりを横目に、絲は洗濯に向かう。この屋敷では、使用人たちからも絲はいないものとして扱われていた。裏で好き放題言われているかもしれないが、暴力を振るわれるよりはいい。

 洗濯物を干そう庭に降りたところで違和感に気づく。今日は、やけに静かだ。昨日は小鳥の鳴き声が賑やかだったのに。

 視線をなにげなく下ろした瞬間、絲は目を見開いた。

 何羽もの小鳥が横たわりぐったりしている。

「嘘……。なんで!?」

 慌てて腰を落とし小鳥を確認するが、どれも息絶えていた。原因は地面に撒かれた餌だとすぐに気づく。

 あきらかに人為的なものであり、今までこんなことはなかった。ここは武藤家の敷地内で外部の者の仕業だとは考えにくい。

 誰がこんなことを……?

「きゃああああ!」

 涙が滲みそうになっていると、背後から叫び声が聞こえる。

 振り返ると、そこには瑶子と見知らぬ男性の姿があった。男性は軍服を身にまとい、瑶子の縁談相手だと悟る。黒を基礎に袖や肩、襟口などに赤があしらわれ、所属によって徽章の形や数が異なる軍服は大和国日神軍のものだ。

 とはいえ、ふたりがここにいる理由がまったく理解できない。

 瑶子は、絲の存在を徹底的に隠したがっていたはずだ。しかし、叫んだのは瑶子で、彼女は真っ直ぐに絲を見据える。

「化け物! ついに小鳥まで殺めて……見た目だけじゃなく、ああやって行動もおかしいんです」

 最後は隣にいる縁談相手に訴えかける。そこで絲は理解した。

 これは瑶子に仕組まれたのだ。

「ち、違います。私は――」

「瑶子さんから話を聞いたが、その見た目、まさに異常存在。小鳥を殺し、次は人間か? 他者に危害を加える前に軍で捕らえる!」

 まるで話が通じず、絲はそのまま正面の門へと走り出した。瑤子の叫び声と沢木の怒号に、家の者たちも外に出てくる。奇異なものを見る眼差し、渦巻く嫌悪、どれも息が詰まりそうだ。

 なぜ? 突然の事態に頭がついていかない。

「無駄だ。応援を要請している。観念するんだ!」

 沢木は抜刀し、絲の後を追う。洗濯を干すためにはいていた下駄は走るうちに脱げてしまい、背後から沢木の振り下ろされた刀をよけようとして、絲は派手に転んでしまった。

「痛っ」

 古い着物の膝の部分が擦り切れ、流血する。続けて起こった事態に沢木は目を瞠った。

 割かれた布も、布に付着した血もそのままだが、膝の傷を負った箇所はあっという間に回復したのだ。絲の傷ひとつない白い肌だけが露わになり、その事態を目の当たりにした沢木は大声で叫ぶ。

「この、異常存在が!」

 声には恐怖も混じっていた。高く振り上げられた刀の先が光り、今にも振り下ろされそうな状況なのに絲は動けない。やけに動きがゆっくりに見えたものの、目を閉じたときには、もう遅かった。