再び、屋上に鵺雲とふたりになり絲は妙な気まずさを感じた。

「あの――」

「危険に晒して悪かった」

 唐突な謝罪に意表を突かれる。目を丸くする絲に鵺雲は続けていく。

「川崎が絲に目をつけていたのは、なんとなくわかっていた。屋上を封鎖すると告げ、動くと確信もしていたが」

 口元に手を遣り、わずかに悔しそうに鵺雲は告げる。

「最初から川崎先生が怪しいって思っていたんですか?」

 そういえば絲が入院となって川崎とやりとりしているときから鵺雲はずっとそばにいた。

「屋上で川崎が現れたときから不信感を抱いていた」

 鵺雲は呟く。そういえばあのとき軍の人間と共に川崎もやってきた。しかし、なにかおかしいことはあったのか。

「あのとき絲が飛び降りようとしたのは人目にはつきにくい正面とは逆の方だった。そのときは俺もそばにいたし、そうやって屋上で動く人影が見え、軍の人間も心配になって様子を見に来たのだろう」

『おい、無事か!?』

『屋上に人影があるとの情報が入り、誰かが飛び降りようとしているのではと、こちらへ参りました』

 そうだ。飛び降りがあったばかりで、皆神経質になっていた。

「けれど、院内にいて騒ぎを聞いた川崎は、はっきりと飛び降りようとしたのが女性だと言っていた」

『女性は無事? 大丈夫?』

「あっ」

 実際に騒ぎを起こしたのは絲自身だったので、あのときはなにも思わず受け入れていた。しかし下から見てもはっきりしない性別をどうして彼女は確信を持っていたのか。

「あいつはわかっていたんだ。術をかけているのは女しかいないからな。飛び降りるのなら女性だと」

 納得する一方で、絲は悟る。鵺雲が自分を心配してそばにいたのは、あくまで一連の飛び降り事件の黒幕である川崎を捕えるためだったのだ。

「少しでもお役に立てたのなら……うれしいです」

 こんな自分でも価値があったのなら。

 絲が続けようとすると、不意に体が宙に浮いた。鵺雲に抱き上げられ、とっさに彼にしがみつく。

「帰るか。もう入院は必要ないだろ?」

「か、帰るってどこにですか?」

 状況にも彼の発言にもついていけない。鵺雲は歩を進め出す。

「もちろん極夜家に連れて行く」

「冗談ですよね。私も軍に連れていかれて、実験とかされるんでしょ?」

 その言葉に鵺雲は足を止めた。

「私が普通じゃないのは、わかっています」

『あなた、やっぱり普通じゃないのね』

 武藤家の人間だけではない。瞳の色、傷や怪我が早く治る体質……マレビトである川崎にまで指摘されたのだ。

「私……自分のことがわかりません。あなたのことだって……」

「なら、これから知っていけばいい」

 薄暗い想いを吐露していると、優しい声色が降ってくる。顔を上げて鵺雲を見ると、彼は微笑んでいた。

「なにが知りたい?」

 まるで子どもに対する言い方だ。

「なにって……。そもそもなぜ初対面の私に結婚なんておっしゃるんですか?」

「誰よりも絲を大事に思っているからだ」

 間髪を入れず、迷いない返事があった。信じられない。どうして鵺雲が自分を大事にするのかが理解できない。詰め寄ってしまいたい。それなのに――

「思う、だけなんですか?」

 絲の問いかけに鵺雲は目を見開き、ややあって今度こそ彼は相好を崩した。

「そうだな。誰よりも大事にする。だから俺と結婚してほしい」

 返事はできない。正確には声にならなかった。目の奥から熱いものが込み上げ、絲は鵺雲にぎゅっとしがみつく。そんな彼女に応えるように鵺雲は絲をさらに抱き寄せる。

 彼をすべて信じきったわけではない。自分が誰かに大事にされるなど想像もつかない。

『お前が本気なら、一緒に落ちてやる』

 けれど、あのときの鵺雲は本気だった。それだけで十分だ。