横になる前に入院着に着替える。川崎は他の患者のところへ行き、鵺雲も部下に呼ばれ部屋を出ていった。ひとりになり、絲は改めて真っ白な部屋を見渡す。

 当然だが、物はほぼなく、ベッドのそばに備え付けの小さな箪笥があるくらいだ。傾き始めた太陽から漏れる光が部屋に差し込んでくる。

 長閑な空間だ。飛び降りの件で大きく話題となった後藤田医院だが、本来は病気になった者を治し、回復させる場所だ。

 絲の前にこの部屋に入院していた者は、無事に元気になり退院したのだろうか。

 そんなことをぼんやり考える。ひとまずベッドに腰を下ろし、横になろうとした瞬間、何気なく小さな箪笥が目を引き、呼ばれるように絲は引き出しに手を伸ばした。

 どうせなにも入っていない、入っていたとしても病室の説明書かなにかだろう。

 そっと開けると、紙が入っている。しかし絲が予想していたものではない。

【真知子江】

 覚束ない震えた文字で宛名のみが書かれた小さな用紙と映画の券が二枚。

 真知子って……。

 今日、飛び降りて亡くなったとされる高野真知子を指すのだと直感で悟り、絲は背筋を震わせた。

 なら、この部屋は……。

『三人目の飛び降りた女性は……高野さんと親しかったようです』

 川崎の言葉に、絲は息を呑んだ。続けて立ち上がり、ベッドから閉め切られた窓にそっと近づく。窓越しに外を覗くと、高さがあり自然と見下ろす形になった。

 目に映る光景にぎょっとする。視界に捉えているのは、屋上から見た景色とよく似ていた。妙な既視感は、おそらくこの階の上が屋上で、さらに今立っている位置は、先ほど絲がちょうど下を見た地点に重なるのだろう。

 ぐらりと目眩を起こしそうになる。鼓動が速くなり、絲は目を見開いたままでいた。もしかすると、ここで入院していた彼女は――。

「なにをしている?」

 低い声が耳に届いたのと同時に、背後から腕を回され強く抱きしめられた。

「な、なんですか?」

 驚きで声が上擦る。誰なのか確認する間でもない。ずっと恐れられ忌み嫌われていた絲をこんなふうに躊躇いもなく触れる人間は、今日出会ったばかりの男――極夜鵺雲くらいだ。