先ほどは鵺雲のおかげで武藤家に連絡を入れられないで済んだものの彼の考えは読めない。自分に対してやけにいろいろと言い切るが、彼とは今日が初対面……のはずだ。

 軍の人間であるのを忘れてはいけない。瑤子の言っていたとおり軍の研究に使う目的で、油断させようとしているのか。

 軍に連れていかれる前に、たとえば入院中にでもここを逃げ出せないかしら?

 そんな考えがちらっと過ぎる。

 通された部屋は五階にある個室だった。とはいえ広さはない。ベッド、シーツ、布団、カーテン、すべて白で統一されていて、消毒の匂いが鼻についた。それでも武藤の館で絲に与えられていた部屋より幾分もマシだ。

 視線を巡らせ、不意にあることに気づく。

「窓は開かないんですか?」

 内側の鍵の部分には、錠がかかっていた。絲の指摘に川崎の顔が強張る。

「ええ。飛び降りが続いて、念のため三階以上の窓は勝手に開けられないようにしたの」

「そうなんですね」

 まさかここまで飛び降りが続くとは、誰も予想していなかっただろう。

「高野真知子が飛び降りたとき、当直であなたはここにいたらしいな」

 そこに鵺雲が口を挟む。容赦のない声に絲まで緊張してしまう。彼女をちらりと見ると、川崎は静かに口を開いた。

「ええ。まだ空が暗いうちに、地響きに似た大きな音が外から聞こえて……。まさかまた飛び降りがあって、しかも高野さんだったなんて……」

 川崎は肩を震わせて、後悔を滲ませている。彼女は一度唇を真一文字に引き結んだ後、ゆるゆると語りだす。

「高野さんは私の患者だったんです。入院はしていませんでしたが、生まれつき顔にある痣のためここに通っていました。そのせいで人目に触れるのを嫌っていましたが、結婚が決まったと言っていたのに……」

 この時代、自身の意思だけで結婚相手は決められない。女性ならなおさらだ。結婚が決まったことが高野真知子にとって、いいものなのか悪いものなのかは判断できない。

「他の者にも聞かれただろうが、最後に会ったときに変わった様子は?」

 川崎の言葉にとくに感想は漏らさず、鵺雲はさらに尋ねた。

「三人目の飛び降りた女性は……高野さんと親しかったようです。だから彼女、とても落ち込んでいました」

 高野真知子は、親しかった者の死に引っ張られてしまったのか。少女から女性へと成長する青年期特有の情緒不安定さと閉塞的な世界は大人よりも死への扉を開けやすい傾向にある。

「あの……やっぱり非常階段も封鎖しますか?」

 今度は川崎がおずおずと聞いてきた。先ほど絲は非常階段を使って難なく屋上に行けたが、高野真知子の影響を受ける者がいないとも限らない。それほど四人という数は多すぎる。

「そうなるだろうな」

「そんな……」

 鵺雲の返答に川崎は項垂れる。そこまで落ち込むことなのか。

「窓も簡単には開けられず、非常階段まで使用できなかったら万が一緊急事態が起きた際、どうなるのかが不安で……」

 なるほど。彼女の心配はもっともだ。飛び降りの予防をするあまり、非常時に患者がなかなか病院から出られなくなるのは、本末転倒だ。

「しばらくは夜間を含め、軍の人間が院内外を巡回をする」

 軍の威信にも関わっているのかもしれないが、病院側としては頼もしいことこのうえないだろう。逆に絲は彼らの目を盗んで逃亡するのは不可能だと悟り、なんとも言えない気持ちになった。

「だから、もう終わりだ」

 飛び降りの犠牲者が、という意味だろうか。なんとなく掴みづらい鵺雲の言葉を、絲はどこか他人事のように聞いていた。