どうせなら屋上を見ておくべきだったかもしれない。
湯浴みを終え、髪を拭きながらせつなは自室でぼんやり考える。
医院を出たあと、一度屋上に上がろうかと試みたが、なにやら現場が騒がしく軍の人間も慌ただしくしていたので、侃彌とも顔を合わさないまま天明の館まで戻ってきたのだ。
高野家に弔問に向かう話は伝わっており、そのため黒の一つ紋の着物に着替え、支度を済ませる。さすがにこればかりは子どもひとりで向かうわけにもいかず、侃彌の代理人として天明家に仕える者と共に足を運んだ。
男爵家である高野の館は天明家ほどではないが十分に立派で、提灯で照らされた玄関には大勢の弔問客がひしめきあっていた。広間で横たわっている真知子は、たくさんの花と供え物に囲まれ、まるで眠っているようだった。せつなは手を合わせ静かに彼女の死を悼む。
ここに亜里沙を連れてきたら、すべてが解決するのだろうか。……そうだったらどれほどよいか。
せつなはため息をついた。日付が間もなく変わろうとしている夜半の刻。
生ける多くの者が眠りにつき、辺りは静まり返っている。とくにここ、天明家の敷地内は。
『お互いのために生きていこうって。なんで?』
亜理沙の悲痛な声と表情が頭を離れない。所詮は他人事だ。今の自分の立場を鑑みれば深入りすべきではない。
『最後に会ったとき、映画を見に行く約束もしたのに……必ず行こうねって……』
それでも――。
せつなは夜着の帯を緩め、着替えを始める。月白の着物に真朱色の袴。月と星の月紋が描かれ、掛け衿と大袖の袖括りの紐は青藍になっている。
独特な装いだが、この服装自体が護符だ。首元の包帯がしっかり巻かれているのを確認する。
「杠」
小さく呼ぶと、すぐに彼は現れた。しかしせつなの格好を見て目を剥く。
「せつな様、なにを……」
「時間がないの! 自信はないけれど、動くなら今しかない」
せつながなにをしようとしているのか察した杠は、慌てて彼女を制する。
「危険です! 今宵は旦那様がいらっしゃいませんし、せめて報告してから――」
「手遅れなってからじゃ、余計に危ないわ!」
杠の言葉を遮り、せつなは言い切った。逆に彼女は杠をじっと見つめる。
「杠はどう思った? 彼女のあの状態を見て」
「それは……」
せつなから視線を外し、杠は言いよどむ。そして、しばし迷った表情を見せたあと、彼は意を決した顔になった。
「わかりました。裏に馬車を用意させます。私もお供しますが、くれぐれも無茶をなさらないように」
「多少は無茶をしないと、どうにもならなそうだけれどね」
苦笑するせつなに、杠はなにも返さない。それでも自分の希望に寄り添ってくれる彼には感謝している。せつなは気を引き締め、行動に移しはじめた。
湯浴みを終え、髪を拭きながらせつなは自室でぼんやり考える。
医院を出たあと、一度屋上に上がろうかと試みたが、なにやら現場が騒がしく軍の人間も慌ただしくしていたので、侃彌とも顔を合わさないまま天明の館まで戻ってきたのだ。
高野家に弔問に向かう話は伝わっており、そのため黒の一つ紋の着物に着替え、支度を済ませる。さすがにこればかりは子どもひとりで向かうわけにもいかず、侃彌の代理人として天明家に仕える者と共に足を運んだ。
男爵家である高野の館は天明家ほどではないが十分に立派で、提灯で照らされた玄関には大勢の弔問客がひしめきあっていた。広間で横たわっている真知子は、たくさんの花と供え物に囲まれ、まるで眠っているようだった。せつなは手を合わせ静かに彼女の死を悼む。
ここに亜里沙を連れてきたら、すべてが解決するのだろうか。……そうだったらどれほどよいか。
せつなはため息をついた。日付が間もなく変わろうとしている夜半の刻。
生ける多くの者が眠りにつき、辺りは静まり返っている。とくにここ、天明家の敷地内は。
『お互いのために生きていこうって。なんで?』
亜理沙の悲痛な声と表情が頭を離れない。所詮は他人事だ。今の自分の立場を鑑みれば深入りすべきではない。
『最後に会ったとき、映画を見に行く約束もしたのに……必ず行こうねって……』
それでも――。
せつなは夜着の帯を緩め、着替えを始める。月白の着物に真朱色の袴。月と星の月紋が描かれ、掛け衿と大袖の袖括りの紐は青藍になっている。
独特な装いだが、この服装自体が護符だ。首元の包帯がしっかり巻かれているのを確認する。
「杠」
小さく呼ぶと、すぐに彼は現れた。しかしせつなの格好を見て目を剥く。
「せつな様、なにを……」
「時間がないの! 自信はないけれど、動くなら今しかない」
せつながなにをしようとしているのか察した杠は、慌てて彼女を制する。
「危険です! 今宵は旦那様がいらっしゃいませんし、せめて報告してから――」
「手遅れなってからじゃ、余計に危ないわ!」
杠の言葉を遮り、せつなは言い切った。逆に彼女は杠をじっと見つめる。
「杠はどう思った? 彼女のあの状態を見て」
「それは……」
せつなから視線を外し、杠は言いよどむ。そして、しばし迷った表情を見せたあと、彼は意を決した顔になった。
「わかりました。裏に馬車を用意させます。私もお供しますが、くれぐれも無茶をなさらないように」
「多少は無茶をしないと、どうにもならなそうだけれどね」
苦笑するせつなに、杠はなにも返さない。それでも自分の希望に寄り添ってくれる彼には感謝している。せつなは気を引き締め、行動に移しはじめた。