今朝の事件を受けてか元からなのか、人々が忙しなく行き交っているものの院内は薄暗くどこか空気が淀んでいる。そして、驚くほどに静かだ。

 クレゾールの独特の匂いに眉をひそめ、せつなは受付へ向かった。

「あの、すみません」

「はい、なんでしょう?」

 受付に座る中年の女性は愛想のひとつもない。しかし、こういうとき子どもは便利だ。相手の機嫌や都合などおかまいなしに振る舞える。

「高野真知子さんは、どこですか?」

 無邪気に尋ねたせつなの言葉に、受付の中年女性はもちろんそばを通った医院スタッフも固まった。

「前にお世話になったことがあって……。この病院にいるって聞いたんです!」

「お嬢ちゃん、知らないの?」

 無邪気に答えたせつなに対し、中年女性が眉根を寄せて声を潜める。

「どうしたの?」

 そのとき別の方向から声がして、せつなと彼女の視線がそちらに向く。そこには白衣を着た若い女性の姿があった。

「あ、川崎(かわさき)先生」

 受付の女性が反応し、そのあとちらりとせつなを見る。

「この子が、高野真知子さんに会いたいと……」

 説明を受け、川崎は背を屈めて、せつなと目線を合わせた。 

「高野真知子さんはここに入院していないわよ」

 優しく、言い聞かせるような口調で告げる。対するせつなはおもむろに首を傾げた。

「でも、後藤田院医院に来ているって……」

「たしかに、彼女はここに通っていたわ。私の患者だったもの」

 川崎の言葉にせつなは目を見開く。

「先生の?」

「ええ」

 小さく頷くと、川崎はしばらく迷う素振りを見せた。

「高野真知子さんとは、残念だけれどもう会えないの。彼女、亡くなったの」

 もちろん知っているが、顔には出さない。せつなはショックを受けた表情で何度も目を瞬かせた。

「死んじゃったの? どうして?」

 詰め寄るせつなに川崎の顔が歪む。

「事故、よ。屋上から足を滑らせてね。きっとお月様を取ろうとしたんじゃないかしら?」

 子どもに対する説明としては十分だ。彼女が屋上から飛び降りたのは事実らしい。月を取る、という言い方から飛び降りた時刻が黎明なのも間違いないだろう。親の目を盗み、人の目を避けて飛び降りるなら、いい時間だ。入院していなくても、備え付けの非常階段を使えば外から屋上へ行ける。

 でも、本当に……?

「あなたと高野さんの関係は?」

 今度は川崎から尋ねられるが、せつなは動揺ひとつ見せずに答える。

「お友達のお友達なの!」

「そう。なら、そのお友達にも高野さんのことを伝えておいてくれる?」

「うん」

 せつなの返答に川崎はにこりと微笑んで、立ち上がった。背を向ける川崎にせつなは叫ぶ。

「あ、先生」

 振り返った川崎に、せつなは一度、きゅっと唇を引き結んだ。

「もうひとつ、聞きたいことがあるんです―――」