それから深は頻繁に夜の図書館を訪れるようになっていた。

それまでなんの接点もなかった深と毎日のように顔を合わせることになり、
楓子も初めの頃は戸惑っていたけれど、
だんだん孤独な夜の時間が心細くなくなっていたことに気がついた。

深は勉強する楓子の隣で、ほとんど何も話さずただ本を読み、楓子が寮に戻るとき共に戻る。

これまでと変わらない日常の隣にただいてくれる存在ができた。

何も変わっていないはずなのに、感情は大きく動いている。

落ちていく砂を見つめる時間は、きいと開く扉の音、足音と軋む木の床の音を待つ楽しみな時間になっていた。

「小説は読まないんですか。こんなにたくさんあるのに」

今日も机に向かう楓子の後ろで、深が本棚を物色しながら言う。

「そうね。これまで勉強ばかりで、あまり娯楽を知らないの」

楓子が頁をはらりとめくる音が、一定のリズムで静かに鳴っている。

「なぜこの学校を選んだんですか?
女人が多く来る場所ではないし、医学校なら他にもあるでしょう。
全寮制でなくてもいいし」

答えに迷った楓子が分厚い医学書を閉じると、その下にある白紙の便箋が顕になる。

「その便箋は?今まで一文字も書いてるところを見てません」

「今日は質問が多いわね」

「すみません。知りたくてつい」

大きな肩を小さくすくめる正直な深に、楓子もつい笑って正直に話してしまう。

「兄がいるの。これは兄さんへの手紙」

「書かないんです?」

「何を書けばいいか、わからなくて」

「何でもいいでしょう。今日食べたものとか」

「好きなの」

「え?」

「私、兄が好きなの」

「はあ。いいですね」

「そうではなくて、恋愛の意味で」

「えっ」

「兄は養子だから血の繋がりはないけれど、本当の兄妹として育った」

楓子の兄はまだ楓子が4歳か5歳のころ、道端で泣いていたところを父親に拾われ月見家にやってきた。
兄は家も家族も食べるものもなく、路上で生活する孤児だった。

楓子にその当時の記憶はほとんどなく、物心ついた頃には兄は兄で、気がつけば兄を恋慕っていた。

「兄さんにも両親にも、こんな気持ち言えるわけがない。
だから家を出たかった。だからこの学校に来た。

これで伝わった?」

「いつかは言うの?楓子さんの気持ち」

楓子は便箋に皺がつくほどそれをくしゃりと握りしめた。

なぜ出会ったばかりのこの後輩にそんなことを言われなければならないのか。
ではなぜ私は、出会ったばかりのこの男にこんなことを話してしまったのか。

楓子は自分で自分の感情に追いつくことができなかった。

「言わない。一生」

誰にも言えなかったこの気持ちを、口にしたのは初めてだった。