いずれの御時にか。

 この年、齢十七を数えた茜子(あかねこ)には、三年前より繰り返し見る夢があった。……正確には、繰り返し夢を訪れる公達がいた。

 この時代、夢に現れる人というのは、自分がかの人を恋うるためではなく、かの人が自分を恋うて夢を渡って来るのだと思われていた。けれどとある理由から、茜子は彼が実在する公達ではなく、自分の願望が生んだ夢の棲み人に過ぎないことを理解していた。

 それでも、夜ごと彼の(おとな)いを願って、春霞立つ今宵も茜子は早々に眠りに就く。

 だが今夜は、眠ってはいけない――――眠ってしまえば身中に棲む三尸(さんし)の虫が身体を抜け出して天に昇り、天帝に宿主の所業を告げるという庚申(かのえさる)の十六夜。寝殿の南庭では、父の友人たちを招き終夜(よもすがら)の宴が開かれていた。姉の梓子(あづさこ)も女房らと共に東対(ひがしのたい)から呼ばれ、御簾の内で筝の琴をかき鳴らしたり古今の歌を諳んじていたりしているはずだ。

 本来なら茜子は、その宴席に侍れない我が身を恥じ、嘆き、そして惨めに思いながら、邸の片隅に息を潜めて生きていかなければいけないのだろう。

 悲しみをまったく感じないと言えば、さすがに嘘になる。けれど茜子は既に、自分に無関心で冷たい現実(うつつ)から目を背け、儚くも甘美な夢幻(ゆめ)に心を奪われていた。毎夜彼の夢を見られるわけではないが、己の無価値を改めて思い知らされるこんな夜にこそ、彼との逢瀬を切に願う。

 果たして、既望の月はその祈りを聞き届けてくれた。

「あかね姫」

 左瞼の裏で星がちかっと瞬き、閉ざされた蔀格子の向こうより呼ばう声に、茜子は夢の中で目を覚ました。褥から立ち上がって袴と袿単衣(うちぎひとえ)を身につけ、妻戸の掛け金を外して扉を押し開くと、下りた御簾に訪い人の輪郭が映っている。

 せっかくの夢なのに、舞台はいつも、女房からも見放された東北対(ひがしきたのたい)。母屋と簀子縁の間に広廂さえない造りで、畳や棚などの調度もすべて姉のお下がりという有り様は、現実と寸分違わない。せめて夢でくらい、やんごとなき出自に相応しいきらきらしい部屋で彼を迎えたいのに。

「お待ちしておりました」

 それでも、茜子は胸の高まりのまま、精一杯の心を込めて夢の訪れを歓迎した。釣灯籠に(あか)き火が灯り、御簾越しに声が応じる。

「今夜は月が綺麗だ」

 そう笑う彼の右目は、(みやこ)を照らす遥かな月と同じ輝きを宿していた。