それからも、その声は聞こえてきた。
千秋に聞いても何も応えないので、少なくとも自分の手は必要ないのだと、そう思ってからのことだ。
今自分にできることと言ったら、掃除と洗濯と諸々のお遣いなどの雑用ばかりだ。千秋から離れて、それらの用事をこなしていると、決まって声が聞こえるのだった。
――千秋の助けになりとうないか?
そう、耳元よりももっと近いどこかで、囁いてくる。庭で洗濯物を干している今、当然、りん以外は誰もそこにいない。
はじめこそ驚き、恐ろしく思ったものだが、慣れてしまうとそれほどでもない。今では、声をかけてくることを予期している。その上、面倒にも感じていた。
(もう……ええ加減にしてくれへんかな。仕事してるのに)
――お前の仕事は、千秋の役に立つこととちがうんか?
りんの胸の内を読んでいるのだろうか。声に出していない言葉に、返事を返されてしまった。一瞬、背筋がヒヤリとした。
――掃除より洗濯よりお遣いより、役に立てることがあるんと違うか?
心なしか、声が調子づいているように感じた。りんの一瞬の怯えにつけ込み、手玉に取ろうとするような口調に、なんだか苛立ちを感じた。
「家のことするんも立派な仕事です。他に役に立てることがあったとしても、これかて必要なことですやろ」
反論すると、これまた何やらクスクス笑われている声が聞こえた。
(もう……何なん? 人のこと揶揄うて……!)
むっとして、洗った手ぬぐいをやや乱暴にはたいて、物干し竿にかけた。
だけど物に当たってはいけない。次の洗濯物は優しく手に持つと、また声が聞こえた。
「おーい、りん。ちょっと来てくれ」
不思議な声ではなく、千秋の声だ厨房から呼ばれているらしい。
「はい、今まいります」
ほら、お役に立てること、他にもあるやないの……なんて、見えない誰かに言いながら、りんは店の方へと走った。
「若様、お呼びですか」
「おう。ちょぉ、これ見てくれ」
そう言って千秋は卓の上を指した。そこには、真っ赤な丸いものが大量に置かれていた。
「な、何ですのん、これ?」
形からして、野菜か果実のようだ。血のような赤い色をしていて、手に取るのも恐ろしい。
だが千秋は、何も気にせずにひょいっと一つ手に取った。
「これはな、赤茄子ていうんやって。西洋から伝わってきたもんや」
「赤茄子? 茄子が赤いんですか? 毒なんとちゃいますのん?」
「毒のあるもんやったら誰かて勧めへんやろ。ちゃんと食べもんやから、安心しぃ」
そう言うと、視線で、手に取ってみろと言われた。おそるおそる、一つ手に取る。想像したより柔らかい。身がギッシリ詰まっていそうな感触だ。
だが、この感触はともかく、真っ赤な見た目はどちらかと言うと、別の物を連想させた。
「なんや、これ……南天のえらい大きい物みたいやわ」
「南天! ははは、なるほどな。確かに似てるかもしれんな」
おもしろがる千秋に対し、りんは顔をしかめたまま、赤茄子とやらをまじまじと見つめる。赤すぎて、なんだか毒々しい。
「これ、ホンマに食べてもええんですか? 南天は食べるもんやないって言われますけど……」
「南天はな。邪気払いのために添えとくことは多いけんど、まぁ食べるのはな……そやけど赤茄子は違うで。ちゃんと食べられとる」
本当に? そう思ったのが思い切り顔に出ていたらしい。千秋は苦笑いを浮かべていた。そして、同時にニヤリと笑った。いいことを思いついた……と思っているらしい顔だ。
「よっしゃ。ほな、試食してくれへんか」
「へ? 試食? これ……うちが食べるんですか?」
「当たり前やろ。客で試す店がどこにおるねん」
ごもっとも。だけど自分が試すのかと思うと、なんだか冷や汗が出てきた。
本当に、お腹を壊したりしないだろうか。
りんの頭をそれだけが占めるようになった。
「そんな顔せんでも平気や。いくつか赤茄子を使た料理も聞いたよって。美味かったら、今日からでも客に出そか」
千秋は、楽しそうにそう言う。ますますもって試食を断れないし、不味くても不味いと言えないのではないか。
(……あれ? 今一番困ってるん、うちなんとちゃうやろか)
そう思うも、千秋はいそいそと赤茄子を以て厨房に行ってしまった。これはもう、止められない。つまりはりんの運命も、変えられない……。
「うち、洗濯の続きしてきます」
そう告げて、とぼとぼと庭に戻っていくのだった。
千秋に聞いても何も応えないので、少なくとも自分の手は必要ないのだと、そう思ってからのことだ。
今自分にできることと言ったら、掃除と洗濯と諸々のお遣いなどの雑用ばかりだ。千秋から離れて、それらの用事をこなしていると、決まって声が聞こえるのだった。
――千秋の助けになりとうないか?
そう、耳元よりももっと近いどこかで、囁いてくる。庭で洗濯物を干している今、当然、りん以外は誰もそこにいない。
はじめこそ驚き、恐ろしく思ったものだが、慣れてしまうとそれほどでもない。今では、声をかけてくることを予期している。その上、面倒にも感じていた。
(もう……ええ加減にしてくれへんかな。仕事してるのに)
――お前の仕事は、千秋の役に立つこととちがうんか?
りんの胸の内を読んでいるのだろうか。声に出していない言葉に、返事を返されてしまった。一瞬、背筋がヒヤリとした。
――掃除より洗濯よりお遣いより、役に立てることがあるんと違うか?
心なしか、声が調子づいているように感じた。りんの一瞬の怯えにつけ込み、手玉に取ろうとするような口調に、なんだか苛立ちを感じた。
「家のことするんも立派な仕事です。他に役に立てることがあったとしても、これかて必要なことですやろ」
反論すると、これまた何やらクスクス笑われている声が聞こえた。
(もう……何なん? 人のこと揶揄うて……!)
むっとして、洗った手ぬぐいをやや乱暴にはたいて、物干し竿にかけた。
だけど物に当たってはいけない。次の洗濯物は優しく手に持つと、また声が聞こえた。
「おーい、りん。ちょっと来てくれ」
不思議な声ではなく、千秋の声だ厨房から呼ばれているらしい。
「はい、今まいります」
ほら、お役に立てること、他にもあるやないの……なんて、見えない誰かに言いながら、りんは店の方へと走った。
「若様、お呼びですか」
「おう。ちょぉ、これ見てくれ」
そう言って千秋は卓の上を指した。そこには、真っ赤な丸いものが大量に置かれていた。
「な、何ですのん、これ?」
形からして、野菜か果実のようだ。血のような赤い色をしていて、手に取るのも恐ろしい。
だが千秋は、何も気にせずにひょいっと一つ手に取った。
「これはな、赤茄子ていうんやって。西洋から伝わってきたもんや」
「赤茄子? 茄子が赤いんですか? 毒なんとちゃいますのん?」
「毒のあるもんやったら誰かて勧めへんやろ。ちゃんと食べもんやから、安心しぃ」
そう言うと、視線で、手に取ってみろと言われた。おそるおそる、一つ手に取る。想像したより柔らかい。身がギッシリ詰まっていそうな感触だ。
だが、この感触はともかく、真っ赤な見た目はどちらかと言うと、別の物を連想させた。
「なんや、これ……南天のえらい大きい物みたいやわ」
「南天! ははは、なるほどな。確かに似てるかもしれんな」
おもしろがる千秋に対し、りんは顔をしかめたまま、赤茄子とやらをまじまじと見つめる。赤すぎて、なんだか毒々しい。
「これ、ホンマに食べてもええんですか? 南天は食べるもんやないって言われますけど……」
「南天はな。邪気払いのために添えとくことは多いけんど、まぁ食べるのはな……そやけど赤茄子は違うで。ちゃんと食べられとる」
本当に? そう思ったのが思い切り顔に出ていたらしい。千秋は苦笑いを浮かべていた。そして、同時にニヤリと笑った。いいことを思いついた……と思っているらしい顔だ。
「よっしゃ。ほな、試食してくれへんか」
「へ? 試食? これ……うちが食べるんですか?」
「当たり前やろ。客で試す店がどこにおるねん」
ごもっとも。だけど自分が試すのかと思うと、なんだか冷や汗が出てきた。
本当に、お腹を壊したりしないだろうか。
りんの頭をそれだけが占めるようになった。
「そんな顔せんでも平気や。いくつか赤茄子を使た料理も聞いたよって。美味かったら、今日からでも客に出そか」
千秋は、楽しそうにそう言う。ますますもって試食を断れないし、不味くても不味いと言えないのではないか。
(……あれ? 今一番困ってるん、うちなんとちゃうやろか)
そう思うも、千秋はいそいそと赤茄子を以て厨房に行ってしまった。これはもう、止められない。つまりはりんの運命も、変えられない……。
「うち、洗濯の続きしてきます」
そう告げて、とぼとぼと庭に戻っていくのだった。