あれから一月ほど。
 自分にも役に立てることができた。そう思い、喜び勇んでお客を待つりんであったが……
「お客さん、来はらへん……」
「まぁ、珍しいことでもないしな」
 厨房から千秋がけろりと言ってのける。何やら料理しているが、二人分のまかないを作っているのであって、客用の仕込みじゃない。
 窓の外は、茜と藍が混ざり合う色に染まっている。千秋曰くの、この店の書き入れ時に近づいている。だというのに、店の中は閑古鳥が鳴きっぱなし。
 この店構えでこの客入りだと、『珍しいことでもない』のは大変困るのではないのか。そう思うが、そんなときはふと、以前言っていた言葉を思い出す。
『持つべきもんは太い実家っちゅうことや』
 本家の当主が書いた手紙の宛名にも、納得がいく。
 なるほど、あやかし祓いの力をなくせば、とんだ『ぼんくら』のようだ。
 ちなみに、人間の客も時折訪れるのだが、千秋の料理を見て逃げ出すか、奇天烈な料理に関する噂を聞いて来た愉快客ばかりで、大抵は二度と来ないらしい。
 必然的に、この店のお客はあやかしばかりということになったのだとか。そのあやかしの客も、そうそう頻繁に来るわけじゃない。
 閑古鳥が鳴いて、数日客の入りがないということだってある。
(何もできひんまま、美味しいもの食べるばっかりで、ええんやろか……)
「ええがな、別に。困ってはるお客さんがおらんてことやねんから」
「そら、そうですけど……」
 がっかりしている様子のりんを見て、千秋は呆れてそう言った。まったくもってその通りなのだが……。
 また、何の役にも立てないようになってしまうのか。やっと何か人のためにできることがあると思えたのに。そう思えてならない。
――困っとる(もん)なら、おるやないか
「……へ?」
 どこかから、そんなことを囁かれた。厨房を覗き込むと、千秋は鍋にかかりきりのようだった。
「若様、何か言わはりましたか?」
「いや、なんも言うてへんで?」
「ほな、今の声は……」
 店の中を見回すも、りんと千秋以外の姿はない。では、いったい誰の声だったのか。  
――困っとる(もん)なら、ほら、すぐそこにおるやろうに
 また、声だけが聞こえた。姿は見えないと言うのに、不思議とその存在が、何かを指さしたように感じた。
 その見えない何かが指した先にいるのは……
「若様……?」
 言われてみれば、と思う。
 そもそもここにいるのも、霊力を封じられたことがきっかけだった。それこそ、もっとも困っているんじゃないのか。
 気付けばりんは、千秋をじっと見つめ……いや、凝視していた。
「……なんや?」
「若様、困ってませんか?」
「……訳もわからんと、じーっと睨まれて困っとる」
「睨んでるんとちゃいます。見てるんです」
「どっちでもええわい。()よまかない食うてんか」
 そう言って、強引にまかないの入った器を押しつけられ、そして追い払おうとするのだった。困った状況のはずなのに、千秋はそんな様子を見せない。
 困っていることを表に出さないのか、それとも本当に困っていないのか。
 まかないのご飯を食べても、それは判然としないのだった。