ほくほくと湯気の上るご飯を掬い、口の中に運び入れる。
 ああ、温かい。
 最初に、そう思った。次いで、ツンと刺激のある味がした。そして、ほんのりとした甘みが包み込み、まぁるい味になって、気付いたらごくんと飲み込んでいた。
「美味しいです……ホンマに、美味しいです。このご飯……」
 涙がご飯に落ちないように気をつけて、りんは夢中で匙を動かした。もう一口、もう一口……食べる手が止まらなかった。口に入れれば入れるほど、またもう一口、欲しくなってしまうのだ。
 焼き加減から来る香ばしさか、あるいは牛の乳と米が合わさった優しい甘みか、魚や野菜の旨味か……それらすべてと、これを一緒に食べた家族の想いとが合わさっていく。だから、愛おしくて、たまらないのだろうか。
 気付くと、器は空になっていた。りんの方は、お腹がいっぱいになっていた。
 満たされているのに、あの満たされていく幸福をまだ味わっていたいとも思っていた。だから、こう言うのは、とても悔やまれた。
「ごちそうさまでした」
「うん。お粗末様」
 どちらからともなく、お辞儀を交わす。
 すると、先ほど感じた奇妙な冷気を感じた。それも一瞬のこと、すぐにまたあの人肌のような温かみを感じた。
 りんにはわかった。あの紳士が、りんから離れたのだと。
「おおきに、ありがとう」
 そう、頭の中に直接響いた。そしてそれきり、紳士の声も、姿も、消えてしまった。
「お客さんは……?」
「行かはったわ」
「どこへです?」
「あやかしの棲むところへ、や」
 意味がわからず首を傾げているりんに、千秋はニッコリと笑って見せた。
「まぁつまり……ようやったな」
 そう言って、頭をがしがし撫でた。いや撫で回しすぎて、ぐらぐら振り回された。
「い、痛いです……!」
「悪い悪い。そやけど、あんたみたいなんは初めてやわ」
「うちみたいなんて……何です?」
「飯を食うてあやかしを祓う(もん)なんぞ他におらんで」
 ようやく手を放してくれてため息をつこうとしたりんだったが、その一言に、はき出しかけた息を飲み込んだ。
「あやかしを、祓う? うちが?」
「『祓う』いうか……『帰した』いうんかいな?」
「……どう違うんです?」
「まぁ……ここが人の暮らす現世なら、あやかしの暮らす幽世(かくりよ)があるんや。その境には門がある。色んな場所に点々と存在しとるもんなんやけど、稀に人が開拓したせいで、その門がなくなってまうことがあるんや」
「西洋のものが入ってきたせい、ですか?」
「それだけやないけど、この店の周辺は、そうやな。昔はこの辺りにも門があったんやけど、『大阪すてんしょ』やら鉄道やらができて、のうなってしもた。そのせいで、幽世に帰れんようになってもうたあやかしが、ぎょうさんおってな。さっきのお客さんもそうや」
「そう、やったんですか……」
「七種の(もん)は、あやかしは害やと信じて祓ってまう。それは、殺すのと同じや。ただ帰られへんで彷徨うとるだけの(もん)まで、十把一絡(じゅっぱひとから)げに、容赦なしにやる。そやけど、あんたは違う」
「何が、違うんですか?」
「あんたは今、門を開いたんや」
 ますますわからない。りんはただ、お腹いっぱい食べただけだったというのに。
「おそらく、何もないときは力が足らんのや。そやけど満腹になったことで、門を開く力が出たんやな」
「でもそんなん……今までやったことありまへん」
「今まではそれほど腹が膨れることがなかったか……もしかしたら、わしの作った料理やからか……」
「若様の料理が、何かあるんですか?」
「あやかしが腹空かせたら、人間を喰おうとするもんやから、わしの霊力を料理に籠めてちょっと分けたってたんや。それがええ具合に働いたんかもな」
「じゃあ……若様の料理を食べれば、私も何かお役に立てるいうことですか?」
「……うん? まぁ、そういうことになるんか?」
「ほな、明日も明後日も、食べさせてくれまへんか? それやったら若様にも、困って来はるあやかしのお客さんにも、お役に立てます」
「えぇ? いや、そこまでは……」
「お願いします!」
「う、ううん……まぁ考えとくわ」
 こまったて後退る千秋に、りんはぐいぐい迫ってそう言う。
 ようやく『役立たず』から脱却できるのかもしれない……そう、思ったのだ。