良い角度、とトモナリは思った。
 入ってきた先生からもトモナリの机のいたずら書きはバッチリ見えた。

 それを担任の先生が消そうとしているのだからひどく怒りの表情を浮かべて担任の先生を止めに入った。

「えっ、いや……これは……」

 困ったような担任の先生が振り返るとトモナリの態度は一変していた。
 偉そうに椅子に座っていたはずのトモナリは足を閉じて座り、ややうなだれて泣きそうな目をしていた。

 内心少し恥ずかしいがこれぐらいやってみせる。
 トモナリの変わり身に担任の先生は言葉を失う。

「来なさい! 授業は自習だ! 机はそのままにしておきなさい!」

 どうなることかと思ったがたまたま最初の授業の先生は学年主任を務める真面目な人だった。
 担任の先生は怒りで赤っぽくなった学年主任の先生に連れて行かれて教室は騒然となった。

 自習でラッキーなんて喜べる生徒はいない。

「おい!」

 この状況にまずいと思ったのはいたずら書きをした男子生徒たちである。
 誰が書いたのか周りの生徒も見ている。

 言い逃れできる状況ではなくトモナリに詰め寄る。
 トモナリに詰め寄ってきた伊佐見海斗(いさみかいと)という生徒が今回のいじめの主犯なのである。

「消せよ!」

「なんでだよ? 消すなって言われたろ?」

 先生たちがいなくなってまたもトモナリはふてぶてしい態度に戻る。
 学年主任の先生に言われずとも消すつもりはないけど言われたからと言葉を盾にする。

「うるせぇ! さっさと消せよ!」

 トモナリのひょうひょうとした態度にカイトは怒りで顔を赤くする。

「はっ、お前が消えろ」

「何だとテメェ!」

 トモナリの挑発にカイトが乗せられた。
 カイトがトモナリに殴りかかる。

 一発顔に食らったトモナリはそのまま椅子から転げ落ちて床に倒れる。

「早く消せっつってんだよ!」

「ヤダね」

 トモナリは床に転がったまま笑った。
 それで完全にカイトの頭に血が上った。

「ぶっ殺してやる!」

 カイトがトモナリに馬乗りになった。
 トモナリは振り下ろされた拳を腕でガードするとカイトの胸元に手を伸ばした。

 胸ぐらを掴むと一度上半身を持ち上げ、体ごとグッと引き寄せる。
 地面に倒れたトモナリにカイトが覆いかぶさるような形になる。

 ほとんど密着状態で殴ろうにもその隙間がなくなる。

「テメ……放しやがれ!」

「放してくださいだろ?」

(こいつ……こんな目してたっけ?)

 額が触れ合いそうになりながらカイトはトモナリがこんなに燃えるような瞳をしていただろうかと疑問に思った。

「放せ」

「こんなのも振り解けないのか?」

 バカにしたように笑うトモナリにまた怒りが込み上がる。
 トモナリは冷静だった。

 周りはトモナリとカイトのことを固唾を飲んで見守っていて思いの外静か。
 音がよく聞こえる。

 担任を連れ出した学年主任の先生が慌ただしく戻ってくる足音もしっかりとトモナリの耳には聞こえていた。

「ほら、殴ってみろよ」

 トモナリはカイトから手を放して頬を差し出した。

「ぶっ殺す!」

「伊佐見さん!」

 カイトがトモナリの頬を殴った。
 それより一瞬早く入ってきていた先生たちはカイトがトモナリを殴るのをバッチリ見ていてすぐさま止めに入った。

 こんなパンチなんてことはない。
 下半身が消し飛んだことに比べればダメージなんてあってないようなものだ。

 ただこのまま余裕の態度で立ち上がればカイトの罪は軽くなる。
 ここはカイトが極限まで悪くなるように振る舞わねばならない。

(そういえば……眠かったな)

 朝ももっと寝ていたかった。
 ふとそんなことを思ったトモナリはそのまま目を閉じて動くことをやめた。

「愛染さん? 愛染さん!」

 殴られたトモナリは教室の真ん中で大の字になって寝転んだまま動かない。
 学年主任の先生が慌ててトモナリの肩を揺するけれど全く反応がなくて顔が真っ青になる。

「殺した……」

 誰かがボソリとつぶやいた。

「こ、殺してなんかない!」

 たかだか一発殴っただけ。
 普通ならば人が死ぬなんて思いもしないがぶっ殺すと言って激しく殴りつけた相手が動かなくなった。

 普段は冷静な学年主任の先生の顔が青くなっていて教室の空気はとてもじゃないが普通ではない。

「殺してない……殺してなんかいない!」

「早く救急車を呼んでください!」

 トモナリのそばにいる学年主任の先生にはトモナリが呼吸をしていることは分かっている。
 しかし気を失うほどに殴られたらどんな影響があるか分からない。

 学年主任の先生が救急車を呼ぶようにいっても先生たちすら動けないでいる。

「早く!」

 怒鳴りつけられるようにして担任とは別の先生がスマホを取り出した。
 程なくして救急車のサイレンが鳴り響いてきて学校全体が騒然となったのは言うまでもなかった。