鳴り響く目覚まし時計の音が気持ちよくまどろんでいたトモナリの意識を無理矢理覚醒させる。
 目覚まし時計のアラームを止めて起きることに抵抗するように布団を引き寄せて丸くなった。
 
 死ぬほど頑張って戦ったんだ、少しぐらい寝ていてもいいだろうにと思った。

「トモナリ! いつまで寝てるの!」

 再び眠ろうとしていたら部屋のドアが激しく開かれる音がしてトモナリは飛び起きた。
 思わず腰に手をやったけれどパジャマ姿のトモナリの腰には何もない。

「……何やってるの?」

 ベッドの上で低い奇妙な体勢を取ったトモナリを怪訝そうな顔で見つめているのは母親のゆかりだった。

「母さん?」

「そうよ。この家に他に誰がいるってのよ?」

 トモナリは腰に手をやったままの体勢で大きく目を見開いてゆかりの顔を見つめる。
 ゆかりはトモナリの様子がおかしくて不思議そうに片眉を上げた。

「母さん!」

「……どうしたのよ、いきなり」

 トモナリはベッドから飛び降りるとゆかりの胸に飛び込んで抱きしめた。
 一瞬悪ふざけかなとゆかりは警戒したけれど、顔をうずめて強く抱きしめるトモナリにふざけている様子はなかった。

 よくある思春期の息子の行動にしては異常なものだが息子との抱擁などいつぶりだろうかと少し困ったように微笑んだ。

「母さん……生きててよかった……」

「どうしたの、この子は……」

 涙すら溢れそうになるけれどトモナリはなんとか涙を堪える。

「悪い夢でも見たのかしら?」
 
 ゆかりは困ったように笑いながらもトモナリの頭を撫でた。
 昨日なら手を払われただろうに今日は大人しく撫でられるトモナリに本当に悪夢でも見たのだろうと思った。

「母さん……」

「どうしたの?」

「愛してる」

 今度はゆかりの目が驚きに見開かれた。
 ゆかりの中で現在中学3年生のトモナリは思春期真っ只中で、反抗期というほどに強く当たることはなくても母であるゆかりに甘えた態度を取ることは無くなっていた。

 寂しいとは思いつつもこれが親離れというものなのだろうと思っていたのだが、トモナリはゆかりの目をまっすぐに見つめている。

「ほんと……どうしたのよ?」

「…………夢を見たんだ」

 長い夢。
 人類が追い詰められて滅びていく。

 必死に抵抗したけれどそれでもどうしようもなくて最後には人類は邪竜に敗北した。
 恐ろしい夢で二度とあんな経験はしたくないとトモナリは思った。

 トモナリの母親であるゆかりも戦いに巻き込まれて亡くなった。
 力がなくて、守ることもできなくて、大きな喪失感を覚えた記憶が最後まで伝えてあげることができなかった言葉を口にさせる。

「よほど怖い夢だったのね」

 こんな弱々しい息子の姿にゆかりはただ頭を撫で続けてくれた。

「ほら、そろそろ準備しなさい。学校に遅れるわよ」

 母親としてはいつまでもこうしていたいぐらいの気持ちがある。
 ただ思春期で嫌がるかもしれないトモナリの部屋を訪れた理由はトモナリの学校の時間が迫っているからだった。

「……うん」

 色々と考えを整理したいところであったけれど今はゆかりを困らせたくない。
 トモナリは優しく微笑むとゆかりから離れた。

「……それとあれは何かしら?」

「あれ?」

「枕の横にあるやつよ」

 なんのことか分からなくてトモナリが振り返る。

「ほんとだ」

 トモナリが寝ていたベッドの枕元に黒い丸い物が置いてあった。
 それが何なのか記憶になくてトモナリは首を傾げた。

「そこら辺で石でも拾ってきたのかしら? まあいいわ。朝ごはんもできてるから早く準備していらっしゃい」

 ゆかりが出ていって、トモナリは枕の横に置いてある黒い丸い物に手を伸ばした。

「石……いや、卵か?」

 吸い込まれそうなほど真っ黒なそれは卵に見えた。
 しかし黒い卵なんて見たこともない。

 やっぱり卵に似た形をした黒い石だろうかと首を傾げる。

「こんな物拾ったことがない……そもそもこの状況は何だ?」

 トモナリは記憶を辿ってみようとする。
 だけど少し前の記憶として思い出せるのは下半身が消し飛んで死にかけている胸くその悪い状況だった。

 色々な戦いがあって、屈辱的な出来事もあって、悲しい出来事もあった。
 何年もの記憶を思い出してようやく今の状況近くまで辿ることができた。

 まるで人生を一度歩んできたようだとトモナリは奇妙な感覚を覚える。
 今こうして生きている以上経験してきたように感じる記憶の数々も悪い夢だったのだとトモナリは思い込もうとする。

「まあいい」

 あまりぼんやりと考え事をしているとゆかりが怒り出す。
 トモナリは部屋を見回して壁にかけてある制服に着替えた。

「……細い体だな」

 トモナリは自分の体を見て舌打ちした。
 体型的にはごく一般に近い。

 しかし夢の中の自分は必死に生き延びるために意外と鍛えていた。
 それと比べると何のトレーニングもしていない微妙な体に自分の目には映ったのだ。

「遅いじゃない」

 ゆかりはエプロン姿からスーツ姿に変わっていた。
 テーブルの上には目玉焼きと焼いたウィンナー、それに炊き立てのご飯とオレンジジュースが置いてあった。

 我が家のいつもの朝食は記憶と変わりがない。

「私は先に行くから戸締りはお願いね」

「いってらっしゃい」

 トモナリが席に着くとゆかりは慌ただしく家を出ていった。