夜のとばりが下り、満月が煌々と輝く頃、九朗は桜小路公爵家にやってきた。
公爵家の当主たちの出迎えにも関わらず、九朗は顔色一つ変えず落ち着き払っている。
「初めまして、篠田九朗です」
袴姿の漆黒の髪をした少年が静かに頭を下げるのを、桜小路乃絵は息を呑んで見つめた。
「乃絵、妖魔退治に雇った剣士だ。今日からウチに住み込む。おまえと同じ十六歳だ。仲良くしてやってくれ」
「……」
「乃絵?」
呆然としている乃絵を、父である桜小路智之が怪訝そうに見やる。
「はっ、はい……お父様……」
「どうかしたのか」
「いえ、まさか同い年とは思わなくて……」
驚いたのはそれだけではない。
乃絵は頭の天辺からつま先まで、無遠慮に九朗を見つめた。
(整った顔立ち……線が細い……私よりは背が高いけれど小柄で華奢)
剣など振るうより、本を読んでいるほうがずっと似合う。
(本当にすごい剣士なの……?)
そうはとても見えない。
乃絵の住む皇国の首都である青都は、最近妖魔による襲撃事件が多発している。
桜小路公爵領である町で若い女学生が襲われる事件が続き、心配に思った父が用心棒を兼ねて腕の立つ剣士を住まわせることにしたのだ。
(確かに、家に剣士がいれば安心だけど……)
だが、まさかその用心棒が、自分と同い年の細身の少年だとは思わなかった。
(てっきり月哉様のような体格のいい大人の剣士とばかり……)
戸惑う乃絵をよそに、父がてきぱきと指示を出す。
「では、さっそく部屋に案内しましょう。乃絵、榊の間に九朗くんを案内して」
「はい」
桜小路公爵家は今皇都で流行の和洋折衷の建物だ。
洋風と和風の部屋が混在しているタイプで、榊の間は畳敷きの和室になる。
ちなみに乃絵の部屋は洋室だ。
乃絵は二階へと続く階段を上がった。
(この人が本当に妖魔を倒してくれるんだろうか……?)
剣士というのは間違いないだろう。
九朗が腰に差しているのは間違いなく日本刀だ。
この時代、短刀ならともかく、日本刀を帯刀するには国の許可がいる。
そして、もちろん斬る相手は人ではなく妖魔だ。
なぜか妖魔には銃が効かず、いわゆる『妖刀』と呼ばれる日本刀でしか倒せない。
刀には神力が宿っているせいだと言われているが、真偽の程はわからない。
つまり日本刀を堂々と帯刀している時点で、九朗は国から認められた剣士に間違いない。
それでもまだ、乃絵は半信半疑のままだった。
「ここです」
部屋に案内すると、九朗がぺこりと頭を下げた。
「どうも」
無口で愛想がないのは剣士ゆえなのか、もともとの性分なのか乃絵には図りかねた。
「あっ、あのっ」
乃絵の声が届いたのか、閉じられかけたドアが止まった。
冷ややかとはいかないまでも、九朗の鋭い視線に乃絵は一瞬怯んでしまった。
だが、どうしても聞いておきたかった。
「妖魔を倒して……くれるのよね?」
「ああ」
九朗と初めてまっすぐ目が合った。
(深い青だ……夜の海みたいな色……)
漆黒に見えた九朗の瞳は、よく見ると珍しい濃紺だった。
「妖魔を斬る。俺はそのために来た」
その言葉と共に、静かにドアが閉められた。
(どういう子なんだろう……。まだ十六歳なのに、やけに落ち着いてて……実戦経験もあるみたいだし)
妖魔狩りに駆り出されるのは、基本的に十八歳以上の軍人だ。
手が足りない僻地では腕の立つ者が自警団を作っているケースも聞くが、ここは首都である青都だ。
(わざわざ未成年の剣士を呼ぶなんて……)
父の意図がわからず、悶々としながら乃絵は廊下を進んだ。
階下のリビングルームに戻ると、両親が心配げに乃絵を見てきた。
「どうだった、九朗くんの様子は」
「別に何も」
「そうか、ならよかった」
智之がホッとしたように口元を緩める。
「でも、びっくりしたわ。あんなに若い剣士なんて……」
「いろいろ事情があってな……。驚かせてしまったな」
智之がそっと乃絵の頭に手を置く。
「お父様! 私、もう子どもじゃありませんことよ」
「はは。嫁に行くまではまだ私の子どもだ」
微笑んだ父の傍らで母がそっと口にした。
「乃絵、九朗くんと仲良くしてあげてね」
「……そりゃあ、一緒に暮らすんだからなるべくそうしたいけど」
乃絵は先程の九朗の素っ気ない態度を思い出し、口を尖らせた。
「九朗くんは少し不安定なところがあってね。あなたも気をつけてあげてほしいの」
「え? どういうこと?」
母が困ったように頬に手を当てて嘆息した。
「自分に無頓着というか……食事や身の回りのことをあまり気にしないタチのようで……」
「はあ?」
「それもあって、ウチに住んでもらうことにしたの。屋敷にはいつも誰かの目があるから」
「セフルネグレクトってやつね」
乃絵は覚え立ての英国語を使った。
異国との貿易が盛んになり、同時に異国人も増えた。そのため、一部の女学校では異国語の授業もあり、乃絵も多少は知識がある。
「大丈夫なの? 未成年の不安定な剣士なんて」
「剣の腕は確かだ」
智之がきっぱり言い切ったので、乃絵は驚いた。
「そうなの? そのわりに名前は聞いたことがないけど」
「まだ十六歳だからな。未成年の帯刀は推奨されていない。あまり表に出さないようにしているんだ」
「ふうん」
九朗はいろいろ問題を抱えているらしい。
(それでも家に住まわせて用心棒にするなんて、相当なものね)
「年頃のおまえには、いろいろ気を遣わせてしまうと思うが……」
父の言葉に乃絵はフッと笑った。
「公爵令嬢として優先すべきは領民の安全、ってわかってるわよ」
実は急に剣士との同居の話が取り沙汰されたとき、乃絵は激しく反発したのだ。
嫁入り前の娘が血縁のない若い男子と同居――いかがわしく思われれば今後の縁談にも差し支える。
両親には内緒だが、実は乃絵には想い人がいる。
栄えある皇国守護職青嵐組、一番隊に所属する参宮橋月哉だ。
皇国最強の剣士で形成されている青嵐組の中でも、最前線に立つ一番隊は花形で剣士の憧れだ。
その中でも若手最強と言われているのが月哉だ。
実は、乃絵は月哉に救われたことがある。
(一目惚れだったなあ……)
彼にふさわしい女性になるため、乃絵は絶賛自分磨き中なのだ。
十八歳になったら、両親に彼との縁談を希望する旨を伝えるつもりだ。
皇国中の憧れの男性なので狭き門だろうが、乃絵は彼以外の人を夫にするつもりはなかった。
(絶対、月哉様にふさわしい女性になるんだ……!)
公爵家の当主たちの出迎えにも関わらず、九朗は顔色一つ変えず落ち着き払っている。
「初めまして、篠田九朗です」
袴姿の漆黒の髪をした少年が静かに頭を下げるのを、桜小路乃絵は息を呑んで見つめた。
「乃絵、妖魔退治に雇った剣士だ。今日からウチに住み込む。おまえと同じ十六歳だ。仲良くしてやってくれ」
「……」
「乃絵?」
呆然としている乃絵を、父である桜小路智之が怪訝そうに見やる。
「はっ、はい……お父様……」
「どうかしたのか」
「いえ、まさか同い年とは思わなくて……」
驚いたのはそれだけではない。
乃絵は頭の天辺からつま先まで、無遠慮に九朗を見つめた。
(整った顔立ち……線が細い……私よりは背が高いけれど小柄で華奢)
剣など振るうより、本を読んでいるほうがずっと似合う。
(本当にすごい剣士なの……?)
そうはとても見えない。
乃絵の住む皇国の首都である青都は、最近妖魔による襲撃事件が多発している。
桜小路公爵領である町で若い女学生が襲われる事件が続き、心配に思った父が用心棒を兼ねて腕の立つ剣士を住まわせることにしたのだ。
(確かに、家に剣士がいれば安心だけど……)
だが、まさかその用心棒が、自分と同い年の細身の少年だとは思わなかった。
(てっきり月哉様のような体格のいい大人の剣士とばかり……)
戸惑う乃絵をよそに、父がてきぱきと指示を出す。
「では、さっそく部屋に案内しましょう。乃絵、榊の間に九朗くんを案内して」
「はい」
桜小路公爵家は今皇都で流行の和洋折衷の建物だ。
洋風と和風の部屋が混在しているタイプで、榊の間は畳敷きの和室になる。
ちなみに乃絵の部屋は洋室だ。
乃絵は二階へと続く階段を上がった。
(この人が本当に妖魔を倒してくれるんだろうか……?)
剣士というのは間違いないだろう。
九朗が腰に差しているのは間違いなく日本刀だ。
この時代、短刀ならともかく、日本刀を帯刀するには国の許可がいる。
そして、もちろん斬る相手は人ではなく妖魔だ。
なぜか妖魔には銃が効かず、いわゆる『妖刀』と呼ばれる日本刀でしか倒せない。
刀には神力が宿っているせいだと言われているが、真偽の程はわからない。
つまり日本刀を堂々と帯刀している時点で、九朗は国から認められた剣士に間違いない。
それでもまだ、乃絵は半信半疑のままだった。
「ここです」
部屋に案内すると、九朗がぺこりと頭を下げた。
「どうも」
無口で愛想がないのは剣士ゆえなのか、もともとの性分なのか乃絵には図りかねた。
「あっ、あのっ」
乃絵の声が届いたのか、閉じられかけたドアが止まった。
冷ややかとはいかないまでも、九朗の鋭い視線に乃絵は一瞬怯んでしまった。
だが、どうしても聞いておきたかった。
「妖魔を倒して……くれるのよね?」
「ああ」
九朗と初めてまっすぐ目が合った。
(深い青だ……夜の海みたいな色……)
漆黒に見えた九朗の瞳は、よく見ると珍しい濃紺だった。
「妖魔を斬る。俺はそのために来た」
その言葉と共に、静かにドアが閉められた。
(どういう子なんだろう……。まだ十六歳なのに、やけに落ち着いてて……実戦経験もあるみたいだし)
妖魔狩りに駆り出されるのは、基本的に十八歳以上の軍人だ。
手が足りない僻地では腕の立つ者が自警団を作っているケースも聞くが、ここは首都である青都だ。
(わざわざ未成年の剣士を呼ぶなんて……)
父の意図がわからず、悶々としながら乃絵は廊下を進んだ。
階下のリビングルームに戻ると、両親が心配げに乃絵を見てきた。
「どうだった、九朗くんの様子は」
「別に何も」
「そうか、ならよかった」
智之がホッとしたように口元を緩める。
「でも、びっくりしたわ。あんなに若い剣士なんて……」
「いろいろ事情があってな……。驚かせてしまったな」
智之がそっと乃絵の頭に手を置く。
「お父様! 私、もう子どもじゃありませんことよ」
「はは。嫁に行くまではまだ私の子どもだ」
微笑んだ父の傍らで母がそっと口にした。
「乃絵、九朗くんと仲良くしてあげてね」
「……そりゃあ、一緒に暮らすんだからなるべくそうしたいけど」
乃絵は先程の九朗の素っ気ない態度を思い出し、口を尖らせた。
「九朗くんは少し不安定なところがあってね。あなたも気をつけてあげてほしいの」
「え? どういうこと?」
母が困ったように頬に手を当てて嘆息した。
「自分に無頓着というか……食事や身の回りのことをあまり気にしないタチのようで……」
「はあ?」
「それもあって、ウチに住んでもらうことにしたの。屋敷にはいつも誰かの目があるから」
「セフルネグレクトってやつね」
乃絵は覚え立ての英国語を使った。
異国との貿易が盛んになり、同時に異国人も増えた。そのため、一部の女学校では異国語の授業もあり、乃絵も多少は知識がある。
「大丈夫なの? 未成年の不安定な剣士なんて」
「剣の腕は確かだ」
智之がきっぱり言い切ったので、乃絵は驚いた。
「そうなの? そのわりに名前は聞いたことがないけど」
「まだ十六歳だからな。未成年の帯刀は推奨されていない。あまり表に出さないようにしているんだ」
「ふうん」
九朗はいろいろ問題を抱えているらしい。
(それでも家に住まわせて用心棒にするなんて、相当なものね)
「年頃のおまえには、いろいろ気を遣わせてしまうと思うが……」
父の言葉に乃絵はフッと笑った。
「公爵令嬢として優先すべきは領民の安全、ってわかってるわよ」
実は急に剣士との同居の話が取り沙汰されたとき、乃絵は激しく反発したのだ。
嫁入り前の娘が血縁のない若い男子と同居――いかがわしく思われれば今後の縁談にも差し支える。
両親には内緒だが、実は乃絵には想い人がいる。
栄えある皇国守護職青嵐組、一番隊に所属する参宮橋月哉だ。
皇国最強の剣士で形成されている青嵐組の中でも、最前線に立つ一番隊は花形で剣士の憧れだ。
その中でも若手最強と言われているのが月哉だ。
実は、乃絵は月哉に救われたことがある。
(一目惚れだったなあ……)
彼にふさわしい女性になるため、乃絵は絶賛自分磨き中なのだ。
十八歳になったら、両親に彼との縁談を希望する旨を伝えるつもりだ。
皇国中の憧れの男性なので狭き門だろうが、乃絵は彼以外の人を夫にするつもりはなかった。
(絶対、月哉様にふさわしい女性になるんだ……!)