それとなく見た感じ、目の前のお方は鬼ではなさそうに映る。頭に角は生えていないし、歯に牙もない、普通の人だった。

「かわいらしい姫だね。名前は?」

 かけてくれる声は若い人で、やさしい。

「珠子と申します」

 扇越しに、さらにじっと視線を送ると、物語の中から抜け出たようにうつくしい貴公子が珠子の目の前にに座っていた。
 気品が滲み出ていて、貴族の中でも身分が高いのではと思わせる。母の麻子が言っていたように、立派なお方だった。

「ひとりで食べるのは味気ない。珠子姫よ、話し相手をしてくれないか。わたしは、藤原高藤(たかふじ)という者です。今日はこの辺りで鷹狩をしていたんだけれども、急な雷雨に降られてしまって」
「この雨はとても強い雨です。残念なことでした」
「しかも従者とはぐれてしまった。宮道邸の門前で困っていたら、あなたの父君が声をかけてくれたんだ。ひとりで心細かったので嬉しかったし、濡れた装束も替えてもらえた」

 今、高藤が着ている装束には珠子にも見覚えがある。赤みが少ない二藍の狩衣は父の装束。
 本来は年配者が身につける色合いなので若い高藤にはふさわしくないが、これぐらいしか貸せる装束がなかったのだろう。

「このあたりには我が家しかありません。お役に立ててなによりです」
「夕餉をいただこう。これは鮑か。鳥の干し肉、大根……ああ、おいしい。ありがとう」

 鷹狩をした上に雨に濡れて空腹だったせいか、高藤は勢いよく夕餉を食べはじめる。

 食事をしながら、高藤は都や宮中の話をしてくれた。

 儀式の順序を間違えないよう、笏の裏面に忘備録を張っていること。素晴らしい歌を詠む歌人だと思って感心したら、全部他人の代作だったこと。笛と琵琶、どちらが恰好いいか友人と論じていたら朝になってしまったこと。好きな色、好きな香り、好きな季節、など話は尽きない。

 珠子にとっては遠い場所の話だが、どれもおもしろく聞いた。

 途中からは扇で顔を隠すことも忘れ、珠子は高藤の隣に座っていた。初めて逢った男性なのに、ちっとも怖くない。
 家柄の良さだけではなく、高藤は帝の覚えもめでたいようで頼もしい。

 お酒も進み、疲れのせいか酔いが早く回ってしまい、すぐに頬を赤らめた。

「これはいけない。だいぶ酔ってしまった。あなたともっと語らいたかったのに」

 珠子は高坏を部屋の隅に片づけていると、高藤はその場にごろりと横になってしまった。

「高藤さま、いけません。あちらに夜具がを整えてあります。どうかご移動を」
「動きたくない。眠い」
「すぐ隣です」

 持ち上げようにも、珠子ひとりの力ではどうにもならない。
 かといって、敷物が一枚敷いてあるだけのここに貴人を寝かせるわけにもいかない。

 どうしたものかと珠子が思案していると、高藤が笑った。

「朝まで、あなたがわたしをあたためてくれればいいんだ、珠子姫」