父が慌てていた理由がようやく分かった。
 この雷雨の中、突然の来客があったらしい。

「山科まで鷹狩に来ていらした貴族の方だそうです。門の前で、濡れねずみになっているところを弥益さまが見つけられたとのこと」

 邸に住み込んで働いている女房の千佐(ちさ)が情報を仕入れてきた。
 千佐は三十ばかりの寡婦で、長らく姉妹の世話をしている。珠子にとっては、身内のような存在。

「それは気の毒だったわね。この雨、いつやむか分からないし」

 雨は降り続いている。やむどころか、どんどん強くなっている気さえしてきた。
 このあたりで、人を迎えられる場所は宮道邸しかない。鷹狩の人は選ぶ余地もなかっただろう。

「それで母さまは、お客人にかかりっきりなのね」
「はい、麻子さまはおもてなしに奔走されておいでで」

 ほかにも数人の女房が母屋で釘付けになっているらしく、そのせいで姉妹の夕餉がなかなか運ばれてこない。
 多くの使用人を抱えているわけでもない小さな宮道邸では、父の言う通り『困った』ことが起きている。

「ところで、珠子姫は今夜もこちらで過ごされるのですか」
「ええ。悪いけれど、お願い」

 ふだん、凪子と珠子は同じ部屋で寝起きしているが、今夜は追い出されて千佐の局に逃げてきた。

 凪子の恋人が来たからだ。

 結婚はしていないが、凪子に思う人はいる。

 しかし、相手は宮道家に勤めている身分の低い男性なので父には仲を反対されていた。

 だからこうして、ひそかに通ってくる。今夜はひどい雨だし、多少の音や声を立てても雨音がかき消してくれるし、身を隠して訪れるには都合がいい日だった。

 姉が嬉しいならば、千佐の局で仮眠するぐらい、なんてことはない。
 女房用の部屋は狭くて屋外に近く、暑さ寒さが少し身にしみるものの、たまには千佐とこうして語らうのも楽しい。

 相手の男性は身分違いだけれども、凪子にはやさしいらしいし、幼いころからずっと親しんでいるので、どうにか結ばれないかと珠子は願っている。まだ見ぬ良縁よりも、近くの縁を大切にしたほうが凪子のためになるように思う。

 千佐とお喋りを続けていると、姉のいる部屋から突然、悲鳴と強い光が放たれたのが見えた。

 悲鳴は、凪子のものだった。