「おかしな父さま」
凪子はまだ寝そべっていた。
ようやく明かりが灯った室内で、珠子はほっとすることができた。
「『神の御手』を使うようなことがこの邸の中で起きているのでしょうか」
「さあ。それより夕餉はまだかしら」
珠子の心配をよそに、凪子は食事のことを気にしていた。
けれど、誰も注意はしない。幼いときに母を失った凪子に遠慮しているから。
この先、凪子はどうやって生きてゆくのだろう。姉が誰かに縁付かないと、きっと珠子にも出逢いに恵まれない。山科で、埋もれる運命にありそうだった。
都や貴族に強く憧れているわけではない。
時折、父の所用にときに珠子も上洛するけれど、都は暗い面も持っている。華やかなだけではない。
庶民は質素な暮らしを送っているし、疫病や天変地異も起こる。みなが穏やかには生きられない過酷な場所だった。
……せめて、短くても夢が見られるように、だろうか。
この世に生まれた人はみな、『神の御手』を与えられている。
願いごとがひとつだけ、叶う。
ただし、どんな願いでも叶うというわけではない。その人の身分に合った願いが叶う、というものだ。
身の丈に合う願いならば、神は聞いてくれる。
もし、その人に合わないものならば、願いが叶わない上に『神の御手』を無駄にすることになる。
だからみな、願いごと選びには慎重になる。
父はまだ『神の御手』を温めているし、姉妹も持っていた。母は父と結ばれたときに使ったと聞いている。
そして、『神の御手』は他人に譲れる。
暮らしに困った人は『神の御手』を他人に売るらしい。一生に一回、せっかくの御手なのに。
……この邸を逃げ出したいと願えば、『神の御手』が叶えてくれるのだろうか。
珠子は、ふと思ったが、すぐに打ち消した。
すきま風が吹いてきて、燭台の明かりがゆらゆら揺れている。