どこからか、梅の花の香りが漂ってくる。
都へ向かう牛車の中。
高藤のほかに珠子と多袮子が同乗している。
続く二台目の車には、母の麻子と千佐が乗っていた。母は約束通り、都まで付き添ってくれた。
多袮子は高藤にだっこされて眠ってしまった。初めて父親に会ったのに、戸惑いもせずにいきなり懐いてしまった。多袮子の中に流れている血が、そうさせるのかもしれない。
高藤も娘を得てとても嬉しそうだ。ずっと多袮子の頭を撫でている。
珠子はかつて高藤から預かった太刀を抱えている。
「なぜ、『神の御手』を二回も使えたのですか」
珠子は疑問をぶつけてみた。
「さあ、どうしてでしょう。あなたへの愛の力、と言いたいところですが、実はあなたの父君から『神の御手』を譲られたのですよ。あなたがわたしの狩衣を抱いてすやすやと寝ているので、先に父君へごあいさつをしたのです」
「では、あれは夢ではなくて、実際に高藤さまが私に対して『遅くなりました』と?」
「まったく反応がないのでがっかりしましたが、聞こえていたのですね」
ちょっと拗ねたように、高藤は口をとがらせた。
「それで、そのときに父君から、自分に『神の御手』はもう必要がない、と言われて」
父は山科で一生を終えるつもりなのだ。凪子の暮らしを見届け、穏やかに過ごす。
高藤は藤原北家の貴公子だから、高藤にくっついていれば出世できそうなものなのに、その道は選ばなかった。
「いつもあなたと比べられて、なのに周りからやさしくされて、凪子姫はさぞかしつらかったでしょう。珠子姫が上洛したら、落ち着くかもしれませんね」
これでよかったのです、高藤はひとりごとのようにつぶやいた。
「それはそうと、珠子姫はご自分をもっと大切にしなければいけませんよ。『私はどうなっても構いません』などという悲しいことは、二度と言わないでください。あなたはわたしの妻であり、この子の母なのですから」
「……申し訳ありません、その通りです」
珠子が辿る道はきっと、険しい道だろう。
けれど、高藤がいる。多袮子も麻子も千佐もいる。
「珠子姫の『神の御手』は、しまっておきなさい。できれば、一生使うことのないほうがいいですね」
「はい」
そうだ。『神の御手』に頼るよりも、自分のことは自分でなんとかやってみよう。
「この調子で進めば、今日中にわが邸へ着きますよ」
高藤の、やさしい声が耳に心地良く響く。
牛車に揺られ、いつしか珠子も眠っていた。
(了)
都へ向かう牛車の中。
高藤のほかに珠子と多袮子が同乗している。
続く二台目の車には、母の麻子と千佐が乗っていた。母は約束通り、都まで付き添ってくれた。
多袮子は高藤にだっこされて眠ってしまった。初めて父親に会ったのに、戸惑いもせずにいきなり懐いてしまった。多袮子の中に流れている血が、そうさせるのかもしれない。
高藤も娘を得てとても嬉しそうだ。ずっと多袮子の頭を撫でている。
珠子はかつて高藤から預かった太刀を抱えている。
「なぜ、『神の御手』を二回も使えたのですか」
珠子は疑問をぶつけてみた。
「さあ、どうしてでしょう。あなたへの愛の力、と言いたいところですが、実はあなたの父君から『神の御手』を譲られたのですよ。あなたがわたしの狩衣を抱いてすやすやと寝ているので、先に父君へごあいさつをしたのです」
「では、あれは夢ではなくて、実際に高藤さまが私に対して『遅くなりました』と?」
「まったく反応がないのでがっかりしましたが、聞こえていたのですね」
ちょっと拗ねたように、高藤は口をとがらせた。
「それで、そのときに父君から、自分に『神の御手』はもう必要がない、と言われて」
父は山科で一生を終えるつもりなのだ。凪子の暮らしを見届け、穏やかに過ごす。
高藤は藤原北家の貴公子だから、高藤にくっついていれば出世できそうなものなのに、その道は選ばなかった。
「いつもあなたと比べられて、なのに周りからやさしくされて、凪子姫はさぞかしつらかったでしょう。珠子姫が上洛したら、落ち着くかもしれませんね」
これでよかったのです、高藤はひとりごとのようにつぶやいた。
「それはそうと、珠子姫はご自分をもっと大切にしなければいけませんよ。『私はどうなっても構いません』などという悲しいことは、二度と言わないでください。あなたはわたしの妻であり、この子の母なのですから」
「……申し訳ありません、その通りです」
珠子が辿る道はきっと、険しい道だろう。
けれど、高藤がいる。多袮子も麻子も千佐もいる。
「珠子姫の『神の御手』は、しまっておきなさい。できれば、一生使うことのないほうがいいですね」
「はい」
そうだ。『神の御手』に頼るよりも、自分のことは自分でなんとかやってみよう。
「この調子で進めば、今日中にわが邸へ着きますよ」
高藤の、やさしい声が耳に心地良く響く。
牛車に揺られ、いつしか珠子も眠っていた。
(了)



