「痛いっ!」

 凪子は手で顔をおさえて床じゅうを転げ回った。

「いたい、いたい、痛い!」

 なにが起きたのか。珠子は凪子に近寄った。

「姉さま、どうなされましたか。どこか痛いのですか」
「顔が! 顔が焼ける……痛い」
「顔? 髪も」

 貴族の姫の美点である長い髪。凪子は髪が短いほうだが、それでも腰より下には届いていた。それが背中の半分あたりで、焼け焦げたようにちりちりしている。痛んだ部分は短く切るしかなさそうだった。

 まさか火傷を負った? 珠子は手当てをしなければと、凪子の手を強引に払いのけた。

 すると、驚いたことに凪子の頬は、以前よりも白くなっていた。

「痘瘡の痕がない」

 顔の半分を覆っていた赤い凹凸が、きれいに消えている。

「鏡を見てご覧、凪子や」

 父の弥益が凪子に鏡を差し出した。
 麻子が連れていた多袮子が、珠子の懐に飛び込んできた。娘のぬくもりを感じ、無事だったことを実感する。

「ない。どこにもない。あばたが」

 信じられないといったふうに、凪子は鏡を覗き込みながら頬をさすっている。顔に刻まれていた大病の証が刻まれていたあたりを何度も。

「凪子姫、この姿が神の裁きです。髪を短くし、頬の傷を治した。この地に残って地下人(じげにん・一般人)として働くように、という意味だとわたしは考えます」
「私が地下人? どうして」

 顔に残った痕が原因で凪子は塞ぎがちな暮らしになった。痘痕はなくなり、髪も短くなり、活発に動ける要素が揃った。

「もちろん、すぐ働くわけにはいかないでしょうが、できることから少しずつはじめてはいかがかな」
「わ、わたしは! 珠子を消してと願ったのに。どうしてこんな結果に」
「『神の御手』はあなたを都へ連れてゆくことは身の程ではない、と結論を下したのでしょう。代わりに外に出て働きなさい、と。凪子姫には恋人がいると聞きました。あなたがたの家は建てて差し上げます。苦労もあるかもしれませんが、その人と一緒に働いてはいかがですか」

 高藤のことばは届いているはずだが、姉は茫然としていた。

 そこへ、多袮子が珠子の腕をするりと抜けて凪子のそばへ歩み寄った。
 まだ、会話を解さない幼い子が凪子の頬をやさしく撫でる。多袮子なりに凪子をねぎらっているかのように。

「な、なによ。小さな子どもが、私をなぐさめようとでも? これも『神の御手』?」

 ある意味、『神の御手』だった。穢れのない多袮子は、神の使いかもしれない。

 ふと、御簾越しに庭のほうを見ると、冬生が平伏していた。じっと、凪子を待っている。

「冬生……」

 凪子の頬を涙が伝った。
 ひとすじ、ふたすじ。
 こぼれる涙は夕陽を浴び、きらきらと輝いた。