凪子は高藤のことばに反応した。

「気前がいいじゃない。では、その女を始末して、高藤さまは珠子の代わりに私を愛して。多袮子は小さいし、許してあげます。私が母になりましょう。これだけ幼ければ、実母など覚えていないでしょう。さようなら珠子。目ざわりだったあなたが、私の前からいなくなる日が来るとはね。藤原北家の妻なんて、贅沢三昧できる」

 思わず、全身の血が引いてゆくのを感じた。珠子は姉に疎まれていたのだ。
 痘痕のせいで卑屈になってしまった気の毒な姉を立て、ずっと控えめに生きてきたのに。

「なるほど、それがあなたの願いですか」
「よろしくね」

 多袮子が激しく泣いている。
 ふだんはおとなしい娘なのに、これだけ泣くのだから相当嫌な思いをしているに違いない。早く助けなければ。

「どうか高藤さま、早く姉さまの言う通りになさってください。私はどうなっても構いません。多袮子を助けて」

 高藤の袖を引っ張りながら、珠子は訴えた。

「いい心がけね。出来すぎていて、気味が悪いぐらいの妹」

 低く、姉の声が響いた。

 自分はここで終わるのか。でも、高藤に最後に逢えたのだから満足かもしれない。

「珠子姫」

 振り返った高藤の顔からは笑みが消えていた。

「少々手荒なことをしますが、あなたとあなたの家族のために我慢してください」

 頷くしかなかった。

 貴族は穢れに触れない。死や血を忌避しているので、高藤に殺められるようなことはないはずだが、できることならば高藤の手で静かに死なせてほしい。

「……いま、珠子姫は怖ろしいことをお考えですね。そのようなことにはなりませんのでご安心を。さあ、凪子姫。多袮子は邪魔ですので、お放しになってください。短刀も捨ててこちらに来て、結末をよくご覧あれ」
「まあ。貴族の若君なのに、大胆な」

 すっかりその気になった凪子は多袮子を床に下ろし、高藤の脇にぺたんと座った。

 母の麻子が多袮子を保護したのが見えた。思い残すことはない。

「『神の御手』を使います」

 朗々と、よくとおる声で高藤が宣言した。

 珠子は耳を疑った。確か、高藤は今日こちら来るときに『神の御手』を使ったと言った。なのに、また使うとはどういうことか。
 両手を天に向かって広げ、願いを告げる。

「宮道凪子に――天の裁きを」

 さあっと、野分(台風)のような強い風が室内に吹き荒れ、御簾がめくれ上がった。
 目には見えなかったけれど、神が通り抜けた、ような気がする。