珠子が思い切って振り向くと、そこには白い直衣(のうし)を着た高藤がいた。

 直衣の裏地が濃い紅なので、表に透けて紅梅色のように見える。品があるのに、とてもあでやかである。
 落ち着きを増した姿は、一年半前よりもずっと立派。

「姫は少し痩せましたか。待たせすぎたせいかもしれません。わたしのせいで」
「高藤さまはますます凛々しくなられました」
「世間というものに揉まれましたので」

 再会したら泣いてしまうと思っていたのに、泣いている暇はなかった。
 高藤をもっと見ていたい。涙で目を曇らせている場合ではなかった。

「よく、宮道家の場所が分かりましたね」
「記憶をたどって……と、言いたいところですが、手がかりもなかったので『神の御手』を使いました。今日」
「『神の御手』を?」
「ええ。あなたの居場所ならば、『神の御手』に聞けば教えてもらえるかな、と」

 珠子の居場所を教えてくれと乞うと、『神の御手』は道筋を光で示したという。
 馬に乗ったが、馬は道を滑るように走り抜けてあっという間に到着できたそうだ。

 人生で一度しか使えない『神の御手』を、藤原氏の御曹司は自分のために使ってしまった。嬉しいやら申し訳ないやら、さまざまな感情が押し寄せてくる。

「私のためなどに、申し訳ありません」
「早く使えば良かったのです。わたしの意気地のなさを詰ってください」

 おじの留守の隙を狙い、高藤は珠子探しを決行した。

「できません、『神の御手』を使えなかったのは私も同じです」

 珠子を正妻に据えるという高藤の強い意志が伝わってきて、珠子は胸が熱くなった。
 待ち望んでいた高藤。都への上洛。膨らんでいた期待がちぎれそうなくらいだった。

 嬉しい。嬉しい!
 ……けれど、素直に受け止めていいのだろうか。

 姉の凪子は珠子を利用しようとしている。

 珠子がいなくなれば宮道家を継ぐのは凪子になるので、やはり冬生と結ばれるのは難しくなるかもしれない。『神の御手』さえ姉に譲れば、高藤についてゆくことができるかもしれないが。

『神の御手』を持たない妻は、忌み嫌われるという。
 いざというとき、家を、夫を、子を、支えられないから。

 身分もない、『神の御手』も失った珠子を、高藤のおじは受け入れてくれるだろうか? 珠子のせいで高藤が不利なことになるのではと考えると、ぞっとした。

「珠子姫の母君が、あなたのお世話で都へ来てくださると。心強いですね」

 母の生き方さえも変えてしまっていいのだろうか?
 高藤が、珠子を忘れずに迎えに来てくれた気持ちだけを受け止め、帰ってもらうべきでは?

「どうかしましたか、珠子姫」

 様子がおかしいと気がついた高藤は、珠子の肩をおさえてそっと揺らした。

「ずっと待っていました。高藤さまのことは、一日も忘れたことはありません。でも、一年半は、ときが流れすぎました。家族の今の暮らしを捻じ曲げて高藤さまを選ぶ勇気がありません」
「遠慮はいらない。すべてわたしに任せてほしい。あなたも、あなたの家族も必ず幸せにします」