一年半後。
 
 やはり、都人の気まぐれだったのだと誰もが諦めている。
 それでも、珠子は高藤を待ち続けていた。

 二月も下旬になって梅が散りはじめた。日に日に暖かくなり、鶯の鳴く声をおもしろく聞けるようになった時季。

「そろそろ諦めたらどうなの。せっかくの春の陽気なのに、陰気くさくてたまらない」

 ぼんやりと庭を眺めながら、高藤が残した狩衣をずっと握り締めている珠子に向かって凪子は強く言い放った。

「父さまが折れてくれそうなの。冬生との仲を認めていただけそう」

 姉にはとうとう、求婚者があらわれなかった。弥益も積極的には見つけようとしなかった。

「それは、おめでとうございます」

 手を揃えて頭を下げ、珠子はお祝いのことばを口にした。

 ふっくらとした頬が笑みで輝いている凪子。思い合った人と結ばれるのだ、嬉しいだろう。

「新しい家を建てたいねって話をしているところ。それで珠子。相談なんだけど、あなたが『神の御手』を使わないなら私に譲ってくれない?」
「私の……御手を、ですか」

 思ってもいなかった話の内容に、珠子はまばたきを繰り返す。

「私は『神の御手』を使ってしまった。でも、もう一回ぐらい欲しいのよ。結婚祝いと思って、どうかしら。それとも、あなたは近日中に使うつもりかしら」

 もし、珠子が『神の御手』を使うなら、高藤に迎えに来てほしい、と願う。

 けれど、それは自分にとって大それた願いごとに思えて仕方がない。『神の御手』は、身の程に合わない願いをしても叶わないようにできている。

 幼いころ、努力もしないで大金が欲しいと願った人がいたのを見た。
 その人は大金をつかむどころか、その日のうちに事故で亡くなった。『神の御手』はみだりに使うべきものではない。

 高藤の迎えを願ったら、天罰が下る可能性はじゅうぶんに考えられる。
 珠子は我が身が惜しいわけではなく、残される家族に申し訳なく思う。

 凪子が願いたいという新しい家ならば、きっと手に入るだろう。
 姉夫婦は喜ぶし、父も安心するに違いない。

 自分は、山科の地で静かに生きていけばいいのだ。高藤と逢ったことはいい思い出だったと割り切って。