そこからの私の行動は早かった。
 まず、記憶にある限りの私や母の香代子への嫌がらせを時系列に書き記し、頭に叩き込んだ。
「直近の事件は、つぎの家庭教師の日……って、明後日!」
 亜蘭さまが来る直前、庭で小百合が香代子を転ばせたところに亜蘭さまが登場。小百合に非難の目を浴びせるシーンだ。
 香代子は足を挫いて、しばらく松葉づえ生活になるのだが、それを不憫に思った亜蘭さまが、女学校の送り迎えを買って出て香代子のもとに通い親交を深めていくきっかけとなるのだ。もちろん、その車に小百合は乗せてもらえずに、地団太を踏む羽目になる。
「とにかく、二人に近づくのはよそう」
 そうすれば、被害を与えることも受けることもないのだから。だから、家庭教師ももうやめたいと父に願い出てきた。父にはたいそう不思議がられたけれど、「興味がないのならやっても仕方ないな」と承諾してもらえた。ただ、つぎの家庭教師の日に挨拶だけはするようにと言われたので、ちょろっと顔を出してお礼を言って退散するつもりだ。
 そして、家庭教師を辞退した話を聞きつけた母が血相を変えて私を訪れた。きっと次期公爵家当主の亜蘭さまの所に嫁がせたかったのだろうけど、意思を変えるつもりはないときっぱりと言うと肩を落として去って行った。
「あとは、あの二人が愛を深めてくっついてくれれば、私の未来は安泰のはず!」
 惹かれあうのは当然の二人なのだから、障壁さえとりのぞけばあっという間だろう。
「――小百合さん、お支度できましたか?」
「はい、今行きます!」
 部屋の向こうから聞こえた香代子の声に返事をして、私は鞄を手に立ち上がった。


「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
 私たちが通うのは、華族だけの格式高い女学校だ。濃紺のセーラーカラーの制服に身を包んだ女学生達が行き交う中、すれ違う生徒と挨拶を交わしながら笑顔で連れ立って教室へと向かう。室内にいた学友たちがぎょっとした顔を向けてきた。これまで一言もしゃべらずに香代子が私の一歩後ろを無言でついてくるだけだったのに、会話どころか笑いあっている姿に驚きを隠せない様子だった。私の仲のいい学友が数人駆け寄ってくる。仲がいいと言ってもうわべだけで、結局は私の侯爵という家柄に媚びへつらっているだけの取り巻きだけど。
「みなさん、ごきげんよう」
「ご、ごきげんよう、小百合さん……と香代子さんも」
 戸惑う取り巻きの横を通り過ぎて、私たちは自席へと座る。前の席の香代子に他愛のない会話を投げかけながら、私は始業を待った。

「――香代子さん、ちょっといいかしら」
 休憩時間に同じ組の生徒が香代子に声を掛けてきた。確か彼女は香代子と仲のいい直子だ。彼女は私を気にしつつ、香代子の腕を引いて教室の外へと出ていく。彼女は、香代子と同じ庶子ということもあって、原作の中でもいつもいじめられる香代子に寄り添って慰めていて、いい子だなぁと思ったのを覚えている。
「小百合さん」
 香代子がいなくなるのを見計らったように、今度は取り巻きたちがやってきた。
「なんでしょう」
「急に香代子さんと仲良くなって、なにかあったのですか?」
 前世の記憶を思い出して、このまま香代子をいじめていると私は死ぬ運命だと知ったから優しくすることにしたの。とぶちまけてしまいたいのを抑えて、私は「そうね」と考えるそぶりを見せてから口を開いた。
「つい先日、私、突然倒れたんですの……。そしたらなんだか憑き物が落ちたみたいに気持ちが軽くなって、香代子さんにいじわるする気にもならなくなったんですの」
 不思議ですわよねぇ、と付け加えて。
「そ、そうでしたの……」
「今まで香代子さんにつらく当たってた分、これからは彼女を支えていきたいって思ってますの」
「まぁ! そんな小百合さんも素敵ですわ!」
「そうでしょう? ですからみなさんも香代子さんには優しくしてあげてくださると嬉しいわ」
「もちろんです!」
 従順な取り巻きたちに私は内心で「チョロいわね」とつぶやきつつ、にっこりと笑顔を返しておく。
 女学校も難なくクリア。これで残る不安要素はただ一人、亜蘭さまだけとなった。