枯葉がカラカラと音を鳴らしながら転がる中庭は、すっかり冬の様相をしていて人は少なかった。だから、大きな木の下に置かれたベンチに腰掛けた亜蘭さまもすぐに見つかる。すこし遠くを眺めていた彼は、ゆっくりとこちらを向いて私を認めるとふっと目元を緩めた。それだけで、私の胸がぎゅっと締め付けられてしまう。
「もっとゆっくりお話ししていてもよかったんですよ」
 寒いはずなのに、そんな優しい言葉を放つ彼がとても愛しいと思う。
「あの、少し、お話しても……?」
「もちろん。寒いのでこれを羽織ってください」
 亜蘭さまの隣に座れば、彼は着ていた外套を脱いで私の肩にかけてくれる。遠慮するも、彼は引いてくれそうにないためありがたく外套を胸に引き寄せた。上品な白檀の香りが、冬の冷たい空気にのって鼻先をかすめていった。彼の温かさの残る外套は、私が縁側でうたた寝していたときに掛けてくれたのと同じものだった。
「小百合さんが縁側で寝ているのを見たときは、驚きました」
 彼も同じことを思い出したらしく、声音になつかしさが滲んでいるのがわかる。
「もう忘れてください……」
「忘れません。――あなたとの思い出は全部覚えていたいし、忘れたくても忘れられません」
「……っ」
 亜蘭さまも、私と同じ気持ちでいてくれるんだろうか。彼の言動の端々に熱をもった甘さを感じるけれど、どこか夢を見ているような未だ信じられない気持ちの方が大きい。
 小百合さん、と彼の声が鼓膜をたたく。私は弾かれたように隣を仰ぎ見た。亜蘭さまと視線がかち合う。意を決したような、強い決意が込められていた。
「俺は、あなたのことが好きです」
 飾り気のない真っ直ぐな言葉は、嘘偽りを微塵も感じさせない潔さを纏って私の胸に届いた。ぽちゃんと投げ入れられたそれは、静かだった水面に喜びの波紋を立て、次第に大きな波となって私を揺さぶる。本当なら、今すぐ彼の胸に飛び込んでしまいたい。なのに私は、一歩が踏み切れなかった。
 こんな私が幸せになってもいいのだろうかと、過去の自分を思い出しては罪悪感に捉われてしまう。
「ど、どうして……私なんでしょうか……。志藤さまもご存じですよね、私はずっと、香代子さんのことが煩わしいと、酷いことをたくさんしてきました。志藤さまのことだってそうです。あなたのお気持ちなど考えることもせず、一方的に気持ちを押し付けて騒いで……」
 いくら自分が幼稚で子どもじみてたからといって、許されることではなかった。
「……確かに、以前のあなたは勝気で強引なところがあって、正直対応に困っていました。香代子さんにも強い態度で接していたのを見ると、酷かったとあなたが言うのも嘘ではないのでしょう」
 私は過去の記憶を、自分を消し去りたい気持ちでいっぱいになって、膝の上の手をぎゅっと握りしめる。
「――だけど、あなたは変わった。自分の行いを過ちだと認め、謝罪し、そして正した。それは、誰でもできることではない、とても難しいことです」
 亜蘭さまは、真正面から私を見つめてそう言った。ゆるぎない眼差しの中にあたたかなぬくもりを感じて、込み上げてくるものがあった。大丈夫だよ、わかってるよ、と言われたみたいで、目の奥がツンとして涙がこぼれそうになる。
 私は自分の犯した罪を、傷つけてしまった香代子の心を忘れることなく生きていかなければならない。前世の記憶を思い出し、自分の行いが愚かな過ちだと気付いたとき、そう決めた。やってしまったことは、なかったことにはできないから、これからの自分の行いで信じてもらえるように変わろう、と。
 それをこうして香代子と亜蘭さまに見ていてもらえて、さらに信じてもらえたことが、なによりも嬉しかった。
「変わっていくあなたは、とても強くて美しくて、一緒にいればいるほど惹かれていきました」
「あ……、ありがと……っ、ございます……」
 とうとう堪えきれなくなって、感謝の言葉と一緒に涙と嗚咽も溢れてしまう。涙を拭こうとした手を掴まれて、代わりに亜蘭さまがハンカチーフでそれをそっと拭ってくれる。
 その優しさに溢れた手つきに押されるように、拭いても拭いても涙がこぼれてしまう。それを亜蘭さまはどこか楽しそうに拭いてくれた。
「思えば……、あなたの涙を初めて見たときには、もう心を奪われていたのかもしれません」
 亜蘭さまの前で泣いたのは、後にも先にもお見舞いに来てくれたときだけだ。前世の記憶を取り戻して、初恋をあきらめる覚悟をしたあのときただ一度きり。
「女性の涙は武器だ、とよく言ったものです」
「では、志藤さまになにかお願いごとをしたいときは、泣いてしまいましょうか」
「あなたの願いなら、泣かなくとも聞き入れてしまうでしょうね」
「……」
 冗談で言ったのに、真面目に返されて反対にやり込められてしまう。ようやく涙が止まり、頬を膨らませる私だったけれど、見つめ返した彼の顔が真剣過ぎて思わず居住まいを正した。
「俺を、あなたの特別にしてくれませんか」
 切実な響きに胸を打たれる。止まったはずの涙が、ぽたぽたとまた零れてきて、視界を滲ませた。
「あなたはもう……、ずっと……、ずっと前から、とっくに私の特別な人です」
 溢れるのは涙だけじゃない。駄目だ駄目だと抑え込んでいた彼への思いが膨れ上がって溢れて、押し寄せてくるそれに堪えきれず、思いを伝えた勢いそのままに彼の首ったけに飛びついた。抱きつく寸前に彼の驚いた顔が見えて、少しだけやり返せた気になる。
 そして私は、しっかりと抱き留めてくれた彼の腕の中、愛しい人の名を口にした。

 亜蘭さま、と――




ー 終 ー