警察署では、事情聴取が再度行われ、終わると個室に閉じ込められた。どれくらいそうしていたか、精神的な疲労で意識がうつらうつらしてきた頃に出てくるよう促されついて行った先、待っていたその人物に目を瞠った。
「小百合さん!」
「どう、して……」
警察官は、亜蘭さまに会釈をして去って行く。一体なにがどうなっているのか、いろいろな疑問や思いで胸の中があふれて処理しきれずに言葉を失っていると、体が強い力で引っ張られた。疲れ切っていた私の体は、そのままとん、と亜蘭さまの胸に倒れ込み、あっという間に腕の中に閉じ込められた。
「お待たせしてしまい申し訳ありませんでした」
私を抱きしめる腕の強さとは裏腹に、耳元では彼の声が優しく響く。真綿で包まれたような安心感に、ピンと張りつめたままだった私の緊張の糸がほんの少し緩んだ。
「香代子さんは? 香代子さんは無事ですか⁉」
「はい、対処が早かったのもあり、大事には至りませんでした」
「……っ、よかったぁ……よかっ、た……」
「小百合さん⁉」
一番の不安が取り除かれたことに安堵したせいか、突如視界が暗転した。
*
目が覚めて、見えた天井が自分の家でないことに気づいた瞬間、私の思考は一気に冴えわたる。昨日の出来事が鮮明に蘇り、動悸が激しくなって私は勢いよく起き上がった。
「ん……」
「えっ」
人の気配と、思うように動かない右手に気づいて見遣ると、そこには私の手を握りしめて布団に突っ伏した格好の亜蘭さまがいた。ここはどこかの洋間で、私が寝ていたのは布団ではなくベッドだ。亜蘭さまは床に座り込んでベッドに上体を預けて眠っていた。
もしかして、ずっとそばにいてくれたの……?
亜蘭さまが昨日と同じ服を着ているのに気づいて、申し訳なさと嬉しさが同時に押し寄せた。
「し、志藤さま、起きてください」
「……あ、小百合さん、お加減はどうですか」
強張った体を伸ばして、彼は何でもない風にそう聞いてきた。
「すみません、私、気を失ってしまったみたいで……。ここは、志藤さまのお宅でしょうか」
「そうです、小百合さんのご実家はバタバタしてるだろうと、こちらでお預かりしますと俺から教授に買って出ました」
「それは、大変ご迷惑をおかけしました。なにからなにまでありがとうございます。それで、」
「香代子さんはもう目を覚まされて、状態も落ち着いているそうです」
それを聞いて、やっと息ができたきがした私は両手で顔を覆った。深く息を吐いて、体を心を落ち着かせる。突然倒れて苦しむ彼女の姿が、ずっと頭から離れなくて怖かった。何度か呼吸を繰り返していると、背中に温かいものがそっと触れて、私の粟立った心をなだめるようにゆっくりと撫でてくれる。
「怖かったですね。一人で、よく頑張りました。それから、あなたに罪をなすりつけた犯人は昨夜自首しました。まぁ、自首させた、と言った方が正しいかもしれませんが」
「えっ、一体誰だったんですか⁉」
私は急展開に驚いて、手から顔をあげる。
「同じ組の相田直子です」
「えっ、直子さんが……? 直子さんは、香代子さんの一番のご友人だったはずじゃ……」
「そうらしいですね。相田直子は、香代子さんが自分と同じ愛妾の子という境遇にも関わらず、嫡子の小百合さんと親しくなっていくのが許せなかった、と……」
「そんな……」
なんて身勝手な理由だろうか。彼女に怒りを感じるとともに、彼女の憎しみのきっかけを作ってしまった上、香代子を危険な目に合わせてしまった自分にも腹が立った。
「でも、どうして志藤さまがお気づきに?」
自首をさせたというさっきの彼の言葉が気になり尋ねると、彼は眉根を歪ませてなんとも微妙な表情を見せた。
「香代子さんの飲んだ毒がトリカブトだと医師から聞き、それを入手できる女生徒を洗い出しただけです。彼女の父親は漢方医で、トリカブトを薬として使っている医師は組の中では彼だけだった」
亜蘭は直子の家に行って直子の父親に事情を話し、自首した方が娘のためだと諭したところ、直子は自分がやったと白状したのだという。ちょっと腹痛を起こしてやろうと思っただけだった、それを小百合のせいにして二人を仲違いさせたかっただけ、あんなに苦しむとは思っていなかったと泣きながら言ったのだそう。
本当に許せない。そんな理由で香代子をあんな危険な目に合わせたなんて。
「実は、少し前から学校で物がなくなったり、課題を駄目にされたり嫌がらせされていると香代子さんから相談を受けて、内内に調査していたんです」
「そんなことが……」
じゃぁもしかして、いつも帰り際に香代子を訪れていたのは、そのことについて話していた?
「はい。それで、生徒の家庭環境について調べてもらっていたので、今回すぐに目星をつけられました。……そもそも俺が、嫌がらせの時点で犯人を特定できていれば、香代子さんをこんな危険な目に合わせることはなかったんですが……自分の不甲斐なさには本当に嫌気がさしました」
「そんな! 志藤さまのせいじゃありません! すべて直子さんが悪いんです。志藤さまがお気を病む必要はこれっぽっちもないんです。それに、まさか毒を使ってくるなんて誰も思いません」
そう自分で言ってから、もともと香代子を殺そうと毒を使った張本人は私だけど、と気まずさに襲われたのはここだけの秘密だ。
――だけど、あれは物語の中の話だ。ここは、架空の物語でもおとぎ話でもない。私が、香代子が、亜蘭さまが確かに生きている、本当の世界。私は私で、あの物語の中の小百合じゃない。自分でも不思議と、確信めいたものを感じた。
私の怒る剣幕に呆気に取られた亜蘭さまは口をぽかんと開けて私を数秒見つめたあと、「ありがとうございます」と表情をほころばせた。その柔らかな笑顔を見て、私も少しだけほっとできた。
「では、朝食を食べて支度をしたら、香代子さんに会いに行きましょうか」
という提案に、私は笑顔で頷いた。
「小百合さん!」
「どう、して……」
警察官は、亜蘭さまに会釈をして去って行く。一体なにがどうなっているのか、いろいろな疑問や思いで胸の中があふれて処理しきれずに言葉を失っていると、体が強い力で引っ張られた。疲れ切っていた私の体は、そのままとん、と亜蘭さまの胸に倒れ込み、あっという間に腕の中に閉じ込められた。
「お待たせしてしまい申し訳ありませんでした」
私を抱きしめる腕の強さとは裏腹に、耳元では彼の声が優しく響く。真綿で包まれたような安心感に、ピンと張りつめたままだった私の緊張の糸がほんの少し緩んだ。
「香代子さんは? 香代子さんは無事ですか⁉」
「はい、対処が早かったのもあり、大事には至りませんでした」
「……っ、よかったぁ……よかっ、た……」
「小百合さん⁉」
一番の不安が取り除かれたことに安堵したせいか、突如視界が暗転した。
*
目が覚めて、見えた天井が自分の家でないことに気づいた瞬間、私の思考は一気に冴えわたる。昨日の出来事が鮮明に蘇り、動悸が激しくなって私は勢いよく起き上がった。
「ん……」
「えっ」
人の気配と、思うように動かない右手に気づいて見遣ると、そこには私の手を握りしめて布団に突っ伏した格好の亜蘭さまがいた。ここはどこかの洋間で、私が寝ていたのは布団ではなくベッドだ。亜蘭さまは床に座り込んでベッドに上体を預けて眠っていた。
もしかして、ずっとそばにいてくれたの……?
亜蘭さまが昨日と同じ服を着ているのに気づいて、申し訳なさと嬉しさが同時に押し寄せた。
「し、志藤さま、起きてください」
「……あ、小百合さん、お加減はどうですか」
強張った体を伸ばして、彼は何でもない風にそう聞いてきた。
「すみません、私、気を失ってしまったみたいで……。ここは、志藤さまのお宅でしょうか」
「そうです、小百合さんのご実家はバタバタしてるだろうと、こちらでお預かりしますと俺から教授に買って出ました」
「それは、大変ご迷惑をおかけしました。なにからなにまでありがとうございます。それで、」
「香代子さんはもう目を覚まされて、状態も落ち着いているそうです」
それを聞いて、やっと息ができたきがした私は両手で顔を覆った。深く息を吐いて、体を心を落ち着かせる。突然倒れて苦しむ彼女の姿が、ずっと頭から離れなくて怖かった。何度か呼吸を繰り返していると、背中に温かいものがそっと触れて、私の粟立った心をなだめるようにゆっくりと撫でてくれる。
「怖かったですね。一人で、よく頑張りました。それから、あなたに罪をなすりつけた犯人は昨夜自首しました。まぁ、自首させた、と言った方が正しいかもしれませんが」
「えっ、一体誰だったんですか⁉」
私は急展開に驚いて、手から顔をあげる。
「同じ組の相田直子です」
「えっ、直子さんが……? 直子さんは、香代子さんの一番のご友人だったはずじゃ……」
「そうらしいですね。相田直子は、香代子さんが自分と同じ愛妾の子という境遇にも関わらず、嫡子の小百合さんと親しくなっていくのが許せなかった、と……」
「そんな……」
なんて身勝手な理由だろうか。彼女に怒りを感じるとともに、彼女の憎しみのきっかけを作ってしまった上、香代子を危険な目に合わせてしまった自分にも腹が立った。
「でも、どうして志藤さまがお気づきに?」
自首をさせたというさっきの彼の言葉が気になり尋ねると、彼は眉根を歪ませてなんとも微妙な表情を見せた。
「香代子さんの飲んだ毒がトリカブトだと医師から聞き、それを入手できる女生徒を洗い出しただけです。彼女の父親は漢方医で、トリカブトを薬として使っている医師は組の中では彼だけだった」
亜蘭は直子の家に行って直子の父親に事情を話し、自首した方が娘のためだと諭したところ、直子は自分がやったと白状したのだという。ちょっと腹痛を起こしてやろうと思っただけだった、それを小百合のせいにして二人を仲違いさせたかっただけ、あんなに苦しむとは思っていなかったと泣きながら言ったのだそう。
本当に許せない。そんな理由で香代子をあんな危険な目に合わせたなんて。
「実は、少し前から学校で物がなくなったり、課題を駄目にされたり嫌がらせされていると香代子さんから相談を受けて、内内に調査していたんです」
「そんなことが……」
じゃぁもしかして、いつも帰り際に香代子を訪れていたのは、そのことについて話していた?
「はい。それで、生徒の家庭環境について調べてもらっていたので、今回すぐに目星をつけられました。……そもそも俺が、嫌がらせの時点で犯人を特定できていれば、香代子さんをこんな危険な目に合わせることはなかったんですが……自分の不甲斐なさには本当に嫌気がさしました」
「そんな! 志藤さまのせいじゃありません! すべて直子さんが悪いんです。志藤さまがお気を病む必要はこれっぽっちもないんです。それに、まさか毒を使ってくるなんて誰も思いません」
そう自分で言ってから、もともと香代子を殺そうと毒を使った張本人は私だけど、と気まずさに襲われたのはここだけの秘密だ。
――だけど、あれは物語の中の話だ。ここは、架空の物語でもおとぎ話でもない。私が、香代子が、亜蘭さまが確かに生きている、本当の世界。私は私で、あの物語の中の小百合じゃない。自分でも不思議と、確信めいたものを感じた。
私の怒る剣幕に呆気に取られた亜蘭さまは口をぽかんと開けて私を数秒見つめたあと、「ありがとうございます」と表情をほころばせた。その柔らかな笑顔を見て、私も少しだけほっとできた。
「では、朝食を食べて支度をしたら、香代子さんに会いに行きましょうか」
という提案に、私は笑顔で頷いた。