雫音の疑いが無事に晴れた二日後のこと。
与人が部屋を訪ねてきた。その後ろには千蔭と、宴会の席にいた家臣の姿もある。
「実は……雫音殿のお耳に入れておきたいことがあるのです。以前にもお話したかとは思いますが、現在の日ノ本では、風之国以外の国でも干ばつが続き、困っている者が大勢います。そして雫音殿の噂が、どうやら諸国まで広がっているようでして……雫音殿の力を貸してほしいと各国から書簡が届いているのです。……先日、火之国の刺客が置いていった書簡にも、雫音殿の力を貸してほしいといった旨が綴られていました」
「私の力を……」
「はい。ですが、雫音殿を他国に向かわせるなど……やはり危険だ」
与人は眉を顰めて低い声で言う。
しかしそれに異を唱えたのは、後ろに控えていた家臣だ。
「しかしそれでは、雨女神様を奪還しようと、他国が我らの領地にまで攻め入ってくるやもしれませんぞ。いくら協定を結んでいるとはいえ……特に火之国は、先日の件もあります。また何を仕掛けてくるか、分かったものではありません」
「あぁ、それは分かっている。それに、他国の民が困っていることは事実だ。それを救いたいという思いもある。しかしオレは……雫音殿を送り出すことが、心配なのだ」
与人と家臣のやりとりを静かに見守っていた雫音は、自身の思いを伝えようとした。けれど直ぐに躊躇し、開きかけた口を閉じる。そんな雫音に目敏く気づいたのは、千蔭だった。
「どうかした?」
「……いえ。何でもないです」
「……言いたいことあるなら、言えばいいだろ。アンタのその口、何のために付いてるわけ? ただのお飾り?」
口を閉ざした雫音に、千蔭はきつい口調で責め立てるようなことを言う。
与人はギョッとした顔をして、慌てて千蔭を制そうとする。
「千蔭、オマエは何を言って…「いいから、与人様は黙ってて」
しかし千蔭は、雫音から目を逸らすことなく、尚も問いかける。
「アンタはさ、どうしたいわけ?」
「私、は……」
「……大丈夫だよ。アンタが出した答えを、誰も跳ねのけたりしないから」
雫音は、そろりと顔を上げる。視界に映ったのは、予想に反してずっと優しい顔をしている千蔭だった。鼓膜を揺らした声も、雫音の心を解きほぐすような、柔らかな色をしている。
「……私の力で、少しでも誰かを助けることができるなら……私、行きたいです。お願いします」
千蔭の言葉に背中を押された雫音は、自身の思いを打ち明けた。困惑している与人を真っ直ぐに見つめて、頭を下げる。
「……雫音殿。顔を上げてください」
与人に促された雫音は、そろりと顔を上げた。せっかく心配してくれた与人の気持ちを無下にしてしまっただろうか……と心配する雫音だったが、予想に反して、与人は朗らかに微笑んでいる。
「お願いする立場なのは、むしろこちらの方です。他国の民を救うためにも、雫音殿の力を貸してください」
与人は胡坐をかいた状態で、深々と頭を下げる。
「雫音殿がこうして、“お願い”をしてくださったのは、初めてですよね。……オレはそれが、とても嬉しいです」
予想外の返しに呆けてしまった雫音だったが、本当に嬉しそうに笑っている与人の姿を見て、胸の中にじわりと、温かなものが広がるのを感じた。
(……やっぱりアンタには、そういう顔の方が似合ってるよ)
――そして発破をかけた張本人は、いつもよりずっと柔らかな表情をしている雫音をチラリと盗み見て、フッと口許を緩めていた。