ベルベッチカ・リリヰの舌の味 おおかみ村と不思議な転校生の真実

 大祇村は、姉妹が訪れた時には、無人の廃村になっていた。姉妹は考える。どうやって「家族」を増やそうかと。
 だがそう時間が経たずに、意外な方法で「殖やす」ことに成功する。追ってきた政府軍や狩人達を返り討ちにするだけなのだ。一度でも噛みつけばそのモノはおおかみになる。おおかみにさえしてしまえば、こちらの都合のいいように動いてくれる。気がついた頃には村がひとつ出来ていた。
 村に子供も生まれた。たくさん生まれた。
 妹は、教師として村で居場所を見つけた。元々、遊郭にいた時から、小柄で明るく、愛嬌のある見た目だった。おおかみとなる子供たちに、明るい未来をあたえる、満月そのものだった。
 姉は、火傷のこともあり誰にも姿を見せなかった。あの狼の洞窟の真上に立派な西洋風の屋敷を造らせ、普段はそこに身を隠し、人目から逃れた。そして夜な夜な村に迷い込んだニンゲンをおおかみに変えたり、餌にしてみなに振舞ったりしていた。
 明るく、日向を歩く妹。暗く、人目をはばかって生きる姉。

(満月と、新月のようね……)

 姉は独りごちた。

 ……
 十三年がたった頃。困った事態が起きた。ある満月の夜。村人たちが一斉におおかみになったまま、暴れ始め、戻らない。妹がなだめるが、手に負えない。
 途方に暮れたその時、迷い込んだヒトがいた。姉はそのヒトを瞬間的に殺すが、殺してから新月のモノだと気づく。誰にも見られずに処分したはずなのだが、おおかみたちがその亡骸のにおいに反応して一斉に食べ始めた。そして、食べ終わったモノから、ヒトに戻っていった。

(……これだ)

 姉は確信する。これが私の存在意義だと。

 神社を作らせた。あの洞窟の中に本殿を造り、祭壇奥の階段と自分の屋敷を繋いだ。そして夜な夜な本殿から村の外へ出た。そして十二年に一度、祭りと称して新月のモノの肉を振舞った。村の外からも消えてもいいヒト──罪人や底辺のヒトたち──をさらって集めて村人へ食べさせた。
 ヒトをひとり宮司をさせた。宮司までおおかみになってしまっては困るからだ。村人も、全員をおおかみにはしなかった。彼らには村の維持存続のための活動や、新月のモノ探索のため村の外へ派遣した。新月が見つかれば姉が出向き、拉致監禁の上、祭りの供物にした。
 だが、明治政府の人外の駆逐は進んでいた。新月のモノの国内での捜索は月日が経つ事に困難になっていった。

 ……

 十六年前。隣国にてようやく新月のモノを見つけたとの報告に愁眉を開いた。そして姉はその写真を見て、ひと目で心を奪われる。

(こんなに、こんなに綺麗な女の子が、新月のモノ?)

 七百年近く生きているという新月のモノ。それも自分たちと同じ、始祖だと言う。自分より長く生きてきたモノに出会うのは初めてだ。その日から姉は、その新月に尋常ならざる執着をした。
 おおかみ何人かを引き連れて、海を渡った。飛行機を降り、空港を出て、クルマで何時間も走らせた。そして見つける。大国ロシアの奥地。辺境の村の、古い教会に住んでいた。雪に覆われたその建物のドアをノックした。

「ベルベッチカ・リリヰさんかしら?」

 ドアを開けた少女はこくりとうなずいた。
 さすがに七百年近く生きた新月の始祖は手強かった。祭りまで時間がまだあるとはいえ、日本まで追い込むのに五年かかった。
 ウラジオストクで足跡が途絶えた。だが最後に襲撃した際に赤ん坊のにおいがした。妊娠しているようだ。ならば捕獲は近い。港湾関係者をしらみつぶしに当たり、貨物船に密航していることを聞き出した。

(小樽……北海道か)

 急いで飛行機に乗り込み、港で待ち構えた。運ばれるのは荷物満載のコンテナばかり。

(私のベルベッチカ。逃がさないよ。満月の目、起動……索敵……発見)

 港湾に隣接する貨車に乗り込んだようだ。愛しいベルベッチカは、大きなお腹を抱え、苦悶の表情で足を進めていた。歩くのもやっとに見える。特急電車に乗り込み、新青森発の東北新幹線に先回りした。パートナーのオレンジのダウンは目立った。貨車で出産したのか、裸の赤ん坊も抱えている。追跡は容易だった。そして、盛岡に着くころを見計らって行動を開始した。
 相手も新月の目を持っている。満月の目で索敵すれば気付かれるだろう。「だからこそ」満月の目で三人を捕捉した。
 慌てて盛岡で降りる親子。けれども可哀想に。ベルベッチカは満身創痍だ。必死に気配を消してローカル線に乗り込んだが、見え見えだ。少しづつ自分の大祇村に近づいていることに、興奮を抑えられない。

 そして、雪の降る山道。大祇村まで五キロの所で確保した。
 付き添いの新月のモノは、一撃で葬った。始祖ベルベッチカも戦闘不能だ。後はこの新月のモノを捕獲するだけ。その時。
「おぎゃあ。おぎゃあ」

 赤ん坊の鳴き声が聞こえた。遠い、遠い昔。狼の母様達と過ごした記憶が唐突によみがえる。姉は、その赤ん坊を抱いた。なぜだかはわからない。

「この子は今日から私たちの子供よ」
「おぎゃあ。おぎゃあ」
「……エレオノーラを、返せ……」
「何言ってるの。絶対、絶対嫌よ。この子は、この子はもう私の。絶対に手放すもんですか」
「エレオノーラぁぁ!」

 背中で愛しいベルベッチカの声を聞きながら、姉は愛しい愛しい赤ん坊を抱いて村へ戻った。
 ちょうどその頃、流産で赤ん坊を失ったヒトの父親が居たのを、知っていた。

「誰か? そこに誰かいるのか?」

 素顔は出さなかった。夕闇に溶け込み、男の心を、誘う。

「欲しい? 子供が欲しい?」

 あくまで淡々と、心を殺して心の隙を突く。

「明日、大祇神社の本殿に、礼拝なさいな。子供を授けてあげる……その代わり、対価をもらうわ」

 村の男はすべて姉妹のしもべ。与えるも奪うも、すべては彼女の一存であるのだから。

 ……
 翌日。大祇神社仮本殿。二人のヒトが礼拝している。

「おぎゃあ。おぎゃあ」

 姉が置いた赤ん坊に、男の妻はさっそく反応を示した。

「あなた、見て、ほら、赤ちゃん……神様が下さったんだわ……おおかみの神様が」

 男は赤ん坊を拾うことに躊躇している。

「そんなことありません! この子は今日から私たちの子供よ!」

 しまいには警察に届けるなどと言う。この村には警察なんて在りはしないのに。

「何言ってるのっ! 絶対、絶対嫌よ! この子は、この子はもう私の! 絶対に手放すもんですか」
「でも、対価が……」

 そして赤ん坊を抱く女の方のヒトに、神社の階段を上りきるタイミングで、やぶの中から石つぶてを知覚できない速度でくるぶしに当てた。女は百段近くある階段から七十七段目まで落ちた。狙った通り、赤ん坊を必死で守って、最後に後頭部を打ち付けてくれた。

「静、しっかりしろ、静!」
「あなた……この子を……」

 ああ、可哀そうに。女の方は脳挫傷で助からない。でも、大丈夫。

「取り戻したい? 対価を? それなら」

 姉は、相原静の姿に成って、相原毅の前に現れた。そしてやさしく微笑んだ。

「今日からその子の母親は、私ね」

 与えるも奪うも、すべては彼女の一存であるのだから。

 ……
 全ては計画通りに進んだ。手中に収めた赤ん坊はすくすくと育った。
 捕らえたベルベッチカは十一年後に切り刻んで、みんなに分け与える。
 村は、このまま繁栄することだろう。

 姉は気づかないうちに、二人の家族に情が移るようになっていた。娘は、自己認識に若干の不具合があるようだったが、周囲からの理解も得られた。幼稚園でも学校でも、居場所を見つけられたようだ。娘から息子に変わったが、それでも良いと思えた。
 夫の弾くピアノも、大好きだった。夫の引く伴奏に合わせて、翼をくださいという息子から教えてもらった曲を歌った。自由に焦がれ続けていた姉にはぴったりの歌だった。結婚記念日に三人でそれを歌った。歌うことがこんなに楽しくて幸せだとは思わなかった。
 息子とも、夫とも、幸せいっぱいの日々が続いた。
 夫との間に新しく赤ん坊まで授かった。姉は、ようやく妹と同じ、陽の光を得られる幸せを手に入れた。
 全ては。全ては計画通りに進んでいた。そのはずだった。

 ……だがある時、唐突に。
「姉」は恐れた。
「はい、私が持ってる分は全部見せたよ」

 冬の空。ベルの……姉のオリジンのお屋敷。かんおけの横。
 温度のない夕焼けの光が差し込む。
 ベルベッチカは、ゆうの額から手を離した。

「まさか……お母さんが……満月のオリジン……?」

 そうだね、と産みの母親は淡々と答えた。

「そんな……お母さんを助けるため、僕は……クラスメイト達を食べてきたのに」
「そこだ。問題は。……なぜ姉のオリジンは、村の崩壊をきみに行わせたのか」

 ベルでもわからないことに、ゆうは途方に暮れた。ゆうは俯いた。

「僕は、お母さんを殺さないといけないの?」

 涙を零しながら言ったゆうに、ベルは意外な言葉を告げた。

「好きにするといいよ」

 ベルは、笑顔のまま、ふうっとため息をついた。
「私はもう、死んだ。細胞の欠片も残さないほどに」

 ゆうは首を横に振った。そんな悲しいことを言ってほしくなかった。

「私の再生。それは夢と消えた。……だが、お母さんの救出。これは、姉のオリジンがお母さんだった、ということで、成功した……というか初めからその問題は存在しなかったと言える」

 ベルは手を広げた。

「ここは、彼岸だ。あの世の入口だ。このまま、私とここで永久に存在することも可能だ」

 愛するベルと永久にここで。……ゆうはつばを飲んだ。

「だがもし、マザーの隠していた最後の真実。それを知りたければ行くといい」
「でも、もうベルの体も僕の体も無いんでしょ? どうやって……」

「私を、今ここで食べるんだ」

 ベルはにこにこしたまま、信じられないことを言う。