ベルベッチカ・リリヰの舌の味 おおかみ村と不思議な転校生の真実

 江戸に着き、吉原に入った初日。
 楼主の妻である花車は、二人を見るなり目を見開いた。子猫のような幼さ、ヒトあらざるほどの美貌、そして魔性の性的魅力。口が利けるようになれば遊郭の稼ぎ頭になれると考え、言葉のいろはから遊女としての基本的なマナーまで、全てを叩き込んだ。
 姉妹は、教えられた全てを吸収し、一年で最高の遊女となった。

 ……

 吉原の遊郭に、人外の美貌をもつ双子がいる、と江戸の世に聞こえるまで、そこまで時間はかからなかった。一夜を共にする為の金額もうなぎ登りで、半年もしないうちに大名がこぞって逢いに行くほどになった。連日連夜男の相手をし続けなければならない地獄であったが、姉妹は二人で決めていた。

「……いつか、いつかあの山に帰ろうね」
「ええ、姉様。いつか、いつかきっと……」

 痛む下腹部を押さえながら、父様と母様を想い二人は誓い合うのであった。
 姉妹が吉原のトップに上り詰めてからしばらく経ったある日。ある人物が会いたいと遊郭を訪れた。諸大名すら会いたがるトップクラスの花魁。競争率も半端ではなかったが、なんとその人物は大名の二倍の金を一括で包んできた。
 双子の前にやってきたその人物は、男にも女にも見えた。狼のころから鼻の利いた二人でも、どうしてか判別がつかなかった。

「お会いしたかったよ、お二人さん」

 底知れぬ恐ろしさを含んだ声で、そのモノは声を放った。その日は「朔」の日。新月の日だった。

 どういうふうにしたのか、記憶が無い。妹は、ただ、姉にすがって震えていた。姉は自分の右手を見る。手は指が大きく開き、二倍位に伸びていて、五寸ほどの爪が付いている。その爪の先からは、血が滴っている。
 そして。目の前には首のないそのモノが転がっていた。なぜか、とても美味しそうに見えた。姉妹はそのモノの肉を、残らずたいらげた。

 ……
 五十年の月日が流れた。
 時代が江戸から明治に変わった。新政府は、近代化と称したヒト以外のモノたちへの弾圧が始まった。五十年もの間全く変わらぬ美貌を持った姉妹は、あっという間に人外の存在として、マークされた。新政府軍の幹部が遊郭に乗り込む。その日はちょうど、満月の夜だった。銃を突きつけられた妹を見た姉は、自分の中に強大な力が溢れるのを感じた。本能のおもむくまま着物を破りおおかみになった姉は、地を揺るがすような遠吠えをした後、軍人たちを喰らい尽くした。
 ヒトに戻った姉妹はしばらく震えていたが、不思議なことが起こった。さっきまでヒトだった軍人たちが起き上がり、おおかみに成ったのだ。とっさに、妹は遊郭に火を放った。その時に姉は大きな火傷をしたが、遊郭から逃げ出すことには成功した。追手は、姉が刀すらへし折る自らの爪で皆殺しにした。
 姉妹は男どもの相手をする地獄からは逃れられたが。新月のモノと、新政府軍に追われる地獄が始まった。

 ……
「姉様、あの山に帰りましょう」

 殺しても殺しても、襲いかかってくる新政府軍と新月のモノたち。姉妹は細々と命脈を保ってきた。中でもその日は言語に絶した。朔の日で、覚醒した新月たちを三人も相手にした上に、それを新政府軍に見られた。百人以上の軍人をかみちぎった。
 修羅場を潜り続けてきた姉は、もう疲れて果てていた。そんな時、妹が言ったのだ。

「母様と父様が待つ、あの山へ……」
「そうね。少し……疲れたわね」

 二人は雪の夜、東京から鼻を頼りに、歩いた。歩いて歩いて、歩き続けた。
 そして、遂にその山を見つけた。母様のお乳を飲んだあの洞窟も、妹がすべり落ちた崖も。そのままあった。けれど母様も父様も、とうに居なくなっていた。

「もう、お終いです、姉様。私たちの居場所は、この世のどこにも無くなってしまった」
「いいえ、妹よ。居場所なら作ればいい。ここを、私たちおおかみの村にしましょう」

 百五十年前の、この雪の夜。
 大祇村は東北・岩手の山奥に、ひっそりと誕生することになったのである。
 大祇村は、姉妹が訪れた時には、無人の廃村になっていた。姉妹は考える。どうやって「家族」を増やそうかと。
 だがそう時間が経たずに、意外な方法で「殖やす」ことに成功する。追ってきた政府軍や狩人達を返り討ちにするだけなのだ。一度でも噛みつけばそのモノはおおかみになる。おおかみにさえしてしまえば、こちらの都合のいいように動いてくれる。気がついた頃には村がひとつ出来ていた。
 村に子供も生まれた。たくさん生まれた。
 妹は、教師として村で居場所を見つけた。元々、遊郭にいた時から、小柄で明るく、愛嬌のある見た目だった。おおかみとなる子供たちに、明るい未来をあたえる、満月そのものだった。
 姉は、火傷のこともあり誰にも姿を見せなかった。あの狼の洞窟の真上に立派な西洋風の屋敷を造らせ、普段はそこに身を隠し、人目から逃れた。そして夜な夜な村に迷い込んだニンゲンをおおかみに変えたり、餌にしてみなに振舞ったりしていた。
 明るく、日向を歩く妹。暗く、人目をはばかって生きる姉。

(満月と、新月のようね……)

 姉は独りごちた。

 ……
 十三年がたった頃。困った事態が起きた。ある満月の夜。村人たちが一斉におおかみになったまま、暴れ始め、戻らない。妹がなだめるが、手に負えない。
 途方に暮れたその時、迷い込んだヒトがいた。姉はそのヒトを瞬間的に殺すが、殺してから新月のモノだと気づく。誰にも見られずに処分したはずなのだが、おおかみたちがその亡骸のにおいに反応して一斉に食べ始めた。そして、食べ終わったモノから、ヒトに戻っていった。

(……これだ)

 姉は確信する。これが私の存在意義だと。

 神社を作らせた。あの洞窟の中に本殿を造り、祭壇奥の階段と自分の屋敷を繋いだ。そして夜な夜な本殿から村の外へ出た。そして十二年に一度、祭りと称して新月のモノの肉を振舞った。村の外からも消えてもいいヒト──罪人や底辺のヒトたち──をさらって集めて村人へ食べさせた。
 ヒトをひとり宮司をさせた。宮司までおおかみになってしまっては困るからだ。村人も、全員をおおかみにはしなかった。彼らには村の維持存続のための活動や、新月のモノ探索のため村の外へ派遣した。新月が見つかれば姉が出向き、拉致監禁の上、祭りの供物にした。
 だが、明治政府の人外の駆逐は進んでいた。新月のモノの国内での捜索は月日が経つ事に困難になっていった。

 ……

 十六年前。隣国にてようやく新月のモノを見つけたとの報告に愁眉を開いた。そして姉はその写真を見て、ひと目で心を奪われる。

(こんなに、こんなに綺麗な女の子が、新月のモノ?)

 七百年近く生きているという新月のモノ。それも自分たちと同じ、始祖だと言う。自分より長く生きてきたモノに出会うのは初めてだ。その日から姉は、その新月に尋常ならざる執着をした。
 おおかみ何人かを引き連れて、海を渡った。飛行機を降り、空港を出て、クルマで何時間も走らせた。そして見つける。大国ロシアの奥地。辺境の村の、古い教会に住んでいた。雪に覆われたその建物のドアをノックした。

「ベルベッチカ・リリヰさんかしら?」

 ドアを開けた少女はこくりとうなずいた。
 さすがに七百年近く生きた新月の始祖は手強かった。祭りまで時間がまだあるとはいえ、日本まで追い込むのに五年かかった。
 ウラジオストクで足跡が途絶えた。だが最後に襲撃した際に赤ん坊のにおいがした。妊娠しているようだ。ならば捕獲は近い。港湾関係者をしらみつぶしに当たり、貨物船に密航していることを聞き出した。

(小樽……北海道か)

 急いで飛行機に乗り込み、港で待ち構えた。運ばれるのは荷物満載のコンテナばかり。

(私のベルベッチカ。逃がさないよ。満月の目、起動……索敵……発見)

 港湾に隣接する貨車に乗り込んだようだ。愛しいベルベッチカは、大きなお腹を抱え、苦悶の表情で足を進めていた。歩くのもやっとに見える。特急電車に乗り込み、新青森発の東北新幹線に先回りした。パートナーのオレンジのダウンは目立った。貨車で出産したのか、裸の赤ん坊も抱えている。追跡は容易だった。そして、盛岡に着くころを見計らって行動を開始した。
 相手も新月の目を持っている。満月の目で索敵すれば気付かれるだろう。「だからこそ」満月の目で三人を捕捉した。
 慌てて盛岡で降りる親子。けれども可哀想に。ベルベッチカは満身創痍だ。必死に気配を消してローカル線に乗り込んだが、見え見えだ。少しづつ自分の大祇村に近づいていることに、興奮を抑えられない。

 そして、雪の降る山道。大祇村まで五キロの所で確保した。
 付き添いの新月のモノは、一撃で葬った。始祖ベルベッチカも戦闘不能だ。後はこの新月のモノを捕獲するだけ。その時。
「おぎゃあ。おぎゃあ」

 赤ん坊の鳴き声が聞こえた。遠い、遠い昔。狼の母様達と過ごした記憶が唐突によみがえる。姉は、その赤ん坊を抱いた。なぜだかはわからない。

「この子は今日から私たちの子供よ」
「おぎゃあ。おぎゃあ」
「……エレオノーラを、返せ……」
「何言ってるの。絶対、絶対嫌よ。この子は、この子はもう私の。絶対に手放すもんですか」
「エレオノーラぁぁ!」

 背中で愛しいベルベッチカの声を聞きながら、姉は愛しい愛しい赤ん坊を抱いて村へ戻った。
 ちょうどその頃、流産で赤ん坊を失ったヒトの父親が居たのを、知っていた。

「誰か? そこに誰かいるのか?」

 素顔は出さなかった。夕闇に溶け込み、男の心を、誘う。

「欲しい? 子供が欲しい?」

 あくまで淡々と、心を殺して心の隙を突く。

「明日、大祇神社の本殿に、礼拝なさいな。子供を授けてあげる……その代わり、対価をもらうわ」

 村の男はすべて姉妹のしもべ。与えるも奪うも、すべては彼女の一存であるのだから。

 ……