沙羅の泣きそうな声だ。
「おじいちゃん、助かるのっ」
「わからん。始祖と交戦したようだ」
「角田屋のところで倒れているのを保護したんです」
沙羅のおじいちゃんとお父さんが話している声がする。ゆうはもう満身創痍で動けない。
『愛しいきみ。身体を借りるよ。話した内容は後で教えてあげる』
大好きなベルの声が聞こえたあと……ぷつり、意識が途絶えた。
「ベルベッチカだよ。身体を借りている」
ゆうの目がぱちりと開いて、三人に名乗った。
綺麗に整えられた和室。心地よいお香の香り。どうやら、沙羅のおじいちゃんの部屋のようだ。
「ベルベッチカちゃん! ゆうちゃんは助かるのっ?」
「私が表に出られる位には弱っている。刺さった枝の二本は内臓を傷つけていないが、一本が肺を貫通している。ヒトなら、助からない」
そんな、と沙羅が悲鳴を上げて口を押える。
「待て。ヒトなら、と言ったぞ」
おじいちゃんが制する。
「そうだ。ゆうくんには新月の始祖の力がある。再生能力もただの新月とは違う。今から『再生』させるので、一、二分待って欲しい」
そう言うと、ふっ、と息を吸い込んで、顔をしかめる。苦しそうな顔をした後、しゅうしゅうと、傷口から白い煙があがり始めた。
「んっ……」
ばきん、と刺さった枝が折れた。そしてみるみる傷口が塞がっていく。
沙羅が見入る。九十秒程で傷は塞がった。
「ふう、なんとか治めたよ」
よかったあ……幼なじみの少女は吐息を漏らした。
「お父さん、ゆうくんにあとで栄養のあるモノをたくさん食べさせてあげておくれ。傷は治ったけれど、体力が最低限にまで落ちている」
「あ、ああ、わかった。……それより、体の中に残った枝はどうした?」
「問題ないよ。『消化』している」
ベルベッチカは、にこりと笑った。
「さて……ゆうくんと見たオリジンについて、話そうか」
……
私が見たのは、蒼太くんだったおおかみを誘い出して、新月の虜にして、拳銃でトドメをさそうとしたその時だった。
オリジンの声がした。が、銀の弾丸を持っておらず戦力差も歴然。よって私はゆうくんに逃げるように説得したが、ゆうくんはオリジンの実体を見極めると言って聞かなかった。そして、現れたオリジンは……あゆみ先生だった。
「ええっ? 先生が始祖?」
そうだ。ゆうは新月の目で見ていた。ヒトの目よりはるかにまやかしに強いが、新月の目すらあざむかれていなければ、あゆみ先生その人だった。
「満月の始祖が新月の目をあざむいてあゆみ先生の姿を取っていた可能性はあるか?」
おじいさん。そうだ、その可能性はある。むしろ私は、当初よりそうではないかと思っている。大陸から私を追いかけ続けてきたオリジンは、最後まで新月の目でも実体が見定められなかったからね。ここでゆうくんだけが見破れた、と考えるのは都合が良すぎる気がする。
……ところでお父さん。私は気を失う直前に、あなたがつぶやいたことについて知りたいな。
「ああ、あれは……気のせいだ。気にしなくていい」
そうか。……あなたがそれについて話したくなったら、みなに話しておくれ。
「俺の考えが、読めるのか?」
ふふ。私も一応、新月のモノの始祖だからね。
残念ながら、拳銃はゆうくんが死線をさまよっている間に紛失してしまった。
「それについては……こちらでなんとかしてみよう」
おじいさん。大丈夫かい? あまり、無理はしないでおくれ。
……おっと、ゆうくんが目が覚める。意識をゆうくんに返さなくては。
なお、記憶は私が直接伝える。あなた方が説明する必要はない。……それでは、失礼。
「ゆうくん。愛しいきみ」
秋の夕暮れ空の下。あのお屋敷のかんおけの前。照明のつかない部屋は暗い。そんな暗くてかび臭い部屋で、ゆうはベルと窓に背を向けてひざを抱いて座っている。ぼろぼろの赤い服のぬいぐるみを、その手に持って。
「どうして、私の忠告を無視して逃げようとしなかったんだい? 痩せても枯れても私は新月のモノをきみより長くやってきた。……何年だと思う?」
ゆうはぬいぐるみをむにむにといじって、答えない。
「何年、生きてきたと思う?」
百年くらい? 旋毛を曲げていた。何年だってよかった。
「七百八年と十ヶ月だよ」
「……すごく、長生きだったんだね」
「その大半が、逃げ回る人生だった。ヒトの迫害から逃げる人生。おおかみから逃げる人生。十六年前からは、満月のオリジンからにげる人生。直近十一年は、封印されていたけどね」
ぎゅっ。ぬいぐるみをにぎる。いたいよう。そう言っているように見えた。
「……なにが、言いたいの?」
「愛しいきみ。きみより、恐怖をよく知っている」
「僕だって、僕だって二回オリジンと遭遇して、二回生きて帰ってる。今回、オリジンの正体も見破った。……いいじゃないか」
「一度目は仏壇に頭を突っ込んで失神。二度目は木の枝で剣山にされてお父さんに助けられた。運が良かっただけだ」
ゆうは背を向けたまま立ち上がって、怒鳴った。
「だからなんだってんだよ! 僕は男の子だ! 女の子のベルとは違う! 男の子は勇敢に戦って、好きな女の子を守って死ぬんだ!」
「きみは女の子だ」
そう言われる度、ゆうの中で何かが爆発しそうになる。
「違う、違う! 僕は、男だ! 男は命だって惜しくないんだ!」
「女の子だ」
ゆうはベルの方を向いて、涙をまきちらして喚いた。
「ベルまで、ベルまでなんだよ! 僕は男だって、信じてくれないの!」
「女の子なんだよ。小学五年生の」
「好きで生まれたんじゃない! 好きで女になったんじゃない! ベルがそう産んだんじゃないかっ! 全部ベルのせいだっ!」
言って、しまった。自分の産みの親に対して。いちばんぶつけてはいけない怒りを。
「……そうだね。私が産んだ。愛しい愛しいきみを、確かに産んだ。石炭を積んだ貨車の上で」
「どうして僕を男に産んでくれなかったの? どうして僕は女の子なのっ」
「……そうだね。妊娠期間中にストレスを感じすぎたのかもしれないし、私の身体の小ささからくる未発達のせいかもしれない。私のせいだね。愛しいきみ。本当にごめんよ」
そう言って、ゆうを優しく抱いて美しい金髪を撫でた。
「そして、問題なのは体の事だよ、愛しいきみ。新月のモノにもヒトと同じく性差はある。……私よりアレクの方が肉体の力は強かった」
「そんなの、勇気と努力で埋められるっ!」
「そのアレクも、再生能力が追いつかなくなるほどの身体に大穴を空け、オリジンの爪牙に掛かった」
「そう……だったの」
ゆうの怒りは少し治まり、下を向く。
「アレクの肉体の力だけ見れば、始祖の私より確実に上だった。それでも死んでしまう。……私だって愛しい愛しいきみに、寄り添いたい。……だが現実は違う。生きるか、死ぬかだ」
「そんなの……」
「もう一度言うけれど、きみが死んだら、身体を共有している私も、オリジンに連れ去られたきみのお母さんと赤ちゃんも助けられないぞ。私の忠告を、どうか聞いて欲しい。……愛しいきみより、少しだけ事情に通じている」
「……僕は……僕は……」
ベルの腕の中で、泣いた。大粒の涙をこぼしながら。
「守りたかったんだ。ベルのことも、お母さんのことも。……クラスの、みんなのことも……守りたかったんだ……」
ベルは、言葉をうまく出せない。目から悔しさと歯がゆさをこぼす、「息子」を前にして。
うわああん、うわああん。ゆうは、止めることなく泣き続けた。
「ゆうちゃん! ……悪い夢、見たの?」
「……なんでもない」
「沙羅、よしなさい。さっきまで死にかけていたんだ」
身体を起こしてお腹をさわる。……なんにもなってない。さっき身体を引きちぎられたかと思うくらいの打撃を受けた場所は、アザすら残っていない。
(……見えなかった……)
打撃の直前、始祖は右手でゆうのおっぱいをつかんでいた。そしてゆうのお腹を殴ったのも、右手。一旦離して、そして殴ったのだ。新月の目をもってしても知覚できない速度で。
「待て待て、どこへ行く」
立ち上がって部屋を出ようとするゆうに、おじいちゃんが呼び止める。
「学校。あゆみ先生がオリジンか、確認しに行く」
「今、夜の十時だよ。ここにいよ? ……学校は危ないよう」
沙羅に時間を教えて貰って、ゆうはやっと時間を把握した。
か細い声。心の底からの心配。ゆうにも伝わる。あなたが好きです、と。
はあ、ため息をつくと、きびすを返して沙羅の横にどかっと座った。
「沙羅もベルも、みんな心配性なんだ。……僕は、男の子なのに」
「勇敢なのと向う見ずとは、違うよ」
おじいちゃんがさとす。
「今の君は、ただムキになってるだけだ。始祖に負けたからな。ベルベッチカも最初から止めておったのだろう? そして、そのとおりになった。周りの意見に耳を貸さなくなったら、今度こそ命を落とすだろう。そうなったら、さらわれたお母さんは誰が救う? ベルベッチカの再生はどうする? ここに居る沙羅や君のお父さんは、なんて思う? ……もう少し大人にならなくては、な」
そう言うと、ぽんと頭に手を置いて、もう寝なさいと言って部屋を出た。出る前に、お父さんに何か伝えていた。
「なんて、言われたの?」
「……お前が無くした拳銃についてだ。害獣駆除のツテをあたって、持っている人が居ないか当たってみるそうだ……危ない真似は、もうするな。……こう見えて、お父さんも心配しているんだ」
メガネをくいっとして、お父さんもゆうをいさめると部屋を後にした。
沙羅と二人きりになった。小さな声で、ゆうの名前を呼んだ。
「……なに?」
でも、ううん、と首を振るだけ。あれえ、ゆうは思う。こんなにしおらしい子だったっけ。
「ねえ、沙羅」
「ん? ──ん!」
返事をするのと同時に、キスをした。三秒して、唇をはなした。沙羅は目をうるうるさせてゆうを見つめている。
「君が好きだ、沙羅」
「……うん、あたしも」
ゆうが好きなのはベルのはずなのに。それは変わらないのだけれど。ゆうの中で、自分でもわからない何かが芽生えていた。