夜、臭いがした。翔はすぐにわかった。……血の臭いだ。
 かあちゃんがおさしみを切っている。今日はブリが安かったのよ。そんな事をいいながら。でも、おさしみの臭い……魚の血の臭いじゃない。おおかみの、血の臭いだ。
 この家じゃない。もっと遠くで、する。

「どこいくのさ、もうお刺身切っちゃったよ」
「茜んとこ。ごめん、すぐ戻っから」

 どうしてその名前が出たのか、わからない。でも、そうであって欲しくなかった。だから確認しに行くだけ。違うって、言って欲しかった。大丈夫だよって、言って欲しかった。
 翔が生まれて初めて大好きになった、茜という女の子に。

 からから、と玄関の引き戸を閉める。血の臭いは、二又に別れた道の……上に登っていく方から。……その子の家の方からした。
 気がついたら走っていた。徒歩だと十分はかかる。だから、走った。素晴らしい速度が出た。ふたつの脚だけで走るのは非効率だ。手も使おう。鼻をもっと良くしなくては。鼻が伸びた。彼女が誰かに襲われてたら、助けなきゃ。牙がバキバキと伸びた。
 そうして彼女の家に着いた。夜だったけど、昼間みたいに明るく見えた。だから、家の中までよく見えた。だから、玄関の土間で倒れていて。