……おおかみ。この村に居る、こわいケモノ。ヒトをむしゃむしゃ食べてしまう。だから沙羅のおじいちゃんからもらったお守りは、ランドセルにいつもしまっていて、いつでも取り出せるようにしてる。沙羅と言えば……
(お祭り、キレイだったなあ……)
確かあの時は、まっずいお肉が出てきて……食べた人みんなが……おおかみになって……
(あれ? それから? ボク、どうしたんだっけ)
気がついたら家に居たんだった。大好きなオムライスをお母さんが出してくれて、おいしいなあ、あんな変なお肉とはちがうなあ。そんなことを考えながら食べたんだった。でもなんでか……なにか大切なことを忘れている気がして、胸に穴が空いているみたいに感じるのだった。
(会いたいなあ、ゆーくん。どこいっちゃったんだよ。第一部貸したじゃん。感想、聞かせてよぉ)
ねえ、ゆーくん。二十巻の表紙のヤイバくんにそう話しかけた時。
ぴんぽーん、玄関の呼び鈴が鳴った。
いつもの帽子を目深に被って、いつもの不機嫌そうな目をして、美玲の大好きな青い瞳をして。
大好きなゆーくんが、そこに立っていた。
「ゆーくん! 学校来ないで……どったの? ……あ! チェーンソー・ヤイバ!」
心配そうに見る美玲に、紙袋を渡してきたゆーくんはにっこりと笑った。でもどこか、表情が暗い……ように見える?
「入って入って! 感想聞かせてよ!」
でも、大好きなひとが来てくれてはしゃいだ美玲は、上機嫌に手招きした。
「……わかった……うん……弾は持ってる……大丈夫……」
「……ゆーくん?」
「ああ、ごめん、今行く」
階段をとんとんと登って、突き当たり正面が美玲の部屋だ。デザイナーのお母さんが作ってくれた「みれいの部屋」というネームプレートがかかっている。白いバラのモチーフがとってもおしゃれなそれは、五歳のときこの家が建ってからずっとこの部屋と美玲を見てきてくれた。
入って、と美玲は自室のドアを開けた。
美玲の部屋はチェーンソー・ヤイバグッズとセラプリのグッズで溢れている。壁にはポスターにカレンダー。カレンダーは月が変わる事に破いて、それをポスターにして、壁に貼る。だから壁も天井も、ポスターで埋め尽くされている。お父さんに組み立ててもらったラックにも、ヤイバやミネ、敵の親玉ドクター・デルタのフィギュアがぎっしり。ゆーくんをこの部屋に入れたのは初めてだ。
さあ、美玲には大博打だ。愛しい男の子に、自分のアイデンティティを認めてもらう為の。そして、ゆーくんは……引いたりしてない……ように見える。
(……よしっ! まずは第一関門突破! まあ、ボクと仲良くなるには、こんなところでつまづいてほしくないもんねー)
それから……次は、話すのだ。チェーンソー・ヤイバのことを、たくさん。たくさん。……そしてその次は言うのだ。今日こそ言うのだ。……好きです、と。
ミネだって、ヤイバの戦友で幼なじみのセイバーに、告白していた。美玲だって……
……
それから、二時間が経った。気がつくと美玲は、ずーっと、しゃべっていた。その事に気づいたのは、夕方五時の愛のチャイムが聞こえてきたから。
ゆーくんは、ずっとにこにこしたまま。
(しまった! ボクったら、いつもこうなんだ。大好きなものの話になるといつもこうで……)
「楽しいね」
あれ。いつもみたいにため息をつかない。
「美玲のチェーンソー・ヤイバのお話」
本当にいいのだろうか。てっきり大失敗かと思っていたから、ゆーくんの笑顔は予想外だった。
「そ、そかな……えへへ……うん、大好きなんだ」
「僕も好きだったよ。美玲のお話が」
(……? だった? ってなんだろ?)
ゆーくんはいつもの不機嫌な顔じゃない。とてもにこにこ、笑っている。
(ま、まあ、この際、細かいことは気にしない。今こそ言うんだ。今こそ……)
ん? 目の前にゆーくんの顔がある。じいっと、美玲を見つめている。
(あれ? 近い、顔、近いよお……これって……これって。キス……ってやつ……?)
「んー」
美玲は目をつぶった。
(ああ、ボクのファーストキス……まさか、今日なんて……思わなかったよお……でも……ああ、幸せだなあ。……幸せだなあ)
……
ぴたり、と何か冷たい棒みたいなのが、おでこに当たった。
「ごめん、美玲」
「なあに?」
がぅんっ。
美玲が目を開けるのと、愛しい愛しいゆーくんが拳銃の引き金を引くのは、ほとんど同時だった。
そこから先は、美玲はあまりよく覚えていない。「撃ち抜かれた」頭から、おおかみが出てきた。……ような気がする。右目を潰されたおおかみはとても怒っていて、ゆーくんに襲いかかった。でも、片目の見えないおおかみの牙は、ことごとく空振った。
美玲は暴れた。大好きだったチェーンソー・ヤイバのフィギュアも、大好きだったセラプリのカレンダーも。全部壊しながら、六畳間の洋室で、暴れ狂った。
がぶり、かんだ。
(やった、捕まえた!)
……けれどそれは、別の女の子の腕だった。名前、なんていったっけ。一学期の終わりにだけ居た。ベル……なんとかさんだ。
『今だ、愛しいきみ!』
なんとかさんの声が響いた……隙が生まれた。
(ゆーくん、ボクとチェーンソー・ヤイバの話するの、好きって言ってくれたよね。ゆーくん、ボクのこと、好きって、言ってくれたよね。ボクね、幼稚園の頃からね、あのね)
どぼっ!
「ぎゃぉぉおおんっ」
(あは。幼稚園の時とおんなじ。ゆーくんに心臓、射抜かれちゃった……)
……
しゅううう……
おおかみはどこかに行って、荒れ放題の部屋に、右目と胸に大穴の空いた美玲が残された。
「美玲! わかるか、美玲、僕だっ」
「……わかるよ……ボクのゆーちゃん」
「美玲! ごめん、ごめんよ美玲」
「……いいんだ。ボク……ほんとは祭りの日に……死んでたんでしょ。茜に食べられて」
美玲は大好きなゆーくんから目を逸らした。
「ほんとは……ほんとは、全部知ってたんだ。でも、怖くて。ゆーくんに嫌われるのが怖くて」
「嫌ってなんかない!」
ゆーくんは涙をこらえて叫んだ。
「美玲……君の話すチェーンソー・ヤイバが、好きだった! とても!」
「ほんと……?」
美玲は、天にも昇るような想いだった。
「ゆーくん……泣いてる……ボクのため、泣いてくれてる……えへへ。うーれし……」
そして、血まみれの唇で、お願いした。
「ね……キス……して……ね? お願い」
「美玲……あのね、僕は」
「……」
「美玲? 美玲! 美玲ーっ!」
……
橋立美玲は。
ファーストキスを貰う前に、旅立った。大好きだった、アニメやマンガに囲まれて。
でも、最後まで幸せだったのだ。ゆーくんにはわからないかもしれないけれど。最後の最後まで、大好きなゆーくんと、チェーンソー・ヤイバのお話が出来たのだから。
……
『愛しいきみ、よくやったね。新月の目の使い方も、上手くなってきてる。的確に心臓を射抜いた』
ゆうは黙って、答えない。
『……そうだね、辛いよね。代わりに、私がやろうか』
「いい。自分で決めたから。二人のお母さんを救うって」
『じゃあ、食べるといい。彼女の中の私を取り戻すんだ』
ゆうは口の中の「新月の牙」をバキンと立て、美玲の首筋にかみついた。そして何時間もかけ。血のいってき、骨のひとかけらも残さずに。……残さず全て食べ尽くした。
「これを持っていきなさい」
沙羅のおじいちゃんに渡されたのは、赤い箱。狼の絵と、飾り文字で英語に読める何かが書いてある。キャラメルかマッチでも入っているのかと思ったら、ざらざらと拳銃の弾が出てきた。
「この前渡した銃はね、コルトSAAと言ってね、百年以上前の銃なんだ。代々おおかみ狩りの切り札として使われてきた。その特製の弾だ」
映画なんかで見る拳銃の弾は金色っぽい色だったと思うけど、これは銀色をしている。
「この前に渡したのに一発入っているのは、純銀の弾。一発しかない。絶対に、オリジン……始祖以外に使ってはいけないよ。……今渡したその中の弾は、通常の弾丸に銀メッキ処理をした弾だ。純銀の弾に比べれば遥かに効力は劣るが、それでも普通の弾の十倍は効くはずだ」
ゆうは、それをざらざらと手のひらの上に乗せた。銀色に輝く弾頭は全部で二十四発あった。
「村人みなの分はない。考えて、使うんだよ」
……
美玲の家から、沙羅のおじいちゃん家への帰り道。愛しいベルが語りかけてきた。
『美玲は目をつぶって静止していたよ。……弾丸を使う状況じゃなかったはずだ』
「……なるべく苦しませたくなかったんだ」
ゆうは母に素直に考えていたことを告げた。
『私なら一秒の十分の一で首を落とせた。ところがきみ。弾を打ち込まれた美玲はどうなった?』
「……おおかみになった」
「貴重な二十四分の一を使った上に、結局美玲を苦しませたね」
頭の中のお母さんは何が言いたいんだろう。
「美玲のおおかみは、とても小さかった。言わば小物だ。目の使い方に慣れたばかりの君でも心臓をつぶせた。私やアレクを襲ってきた大陸のおおかみは、少なく見積もっても美玲の三倍は強かった。かむ力も、脚力も比べ物にならない。そしてオリジンは、次元が異なる。五十倍は強いだろう。きみの力は奴の前では児戯に等しい。私の新月の始祖の力を持ってしても」