ベルベッチカ・リリヰの舌の味 おおかみ村と不思議な転校生の真実

 翌日。大祇神社仮本殿横。

「おぎゃあ。おぎゃあ」
「あなた、見て、ほら、赤ちゃん……神様が下さったんだわ……おおかみの神様が」
「でも静……この子の本当の持ち主が……すまないだろう」
「そんなことありません! この子は今日から私たちの子供よ!」
「おぎゃあ。おぎゃあ」
「……よそう。警察に届けよう」
「何言ってるのっ! 絶対、絶対嫌よ! この子は、この子はもう私の! 絶対に手放すもんですか」
「でも、対価が……」
「……? なんですって?」

『すまない』

「静、しっかりしろ、静!」
「あなた……この子を……」
「取リ戻シタイカ? ……対価ヲ……? ナラバ」

『すまない』

「ゆう、しっかりしろ、ゆう!」
「お父さん……?」

 樫田のおじい様の家。娘は、いや、息子は目を覚ました。

「……すまない」
「お父さん、いつも謝ってるね」

 そう言って、息子は男の目に浮かぶ涙をぬぐった。
 丸い形の蛍光灯が大小二重に光っている。上質な木材であしらわれた天井。
 和室に寝ているが、ゆうの家ではない。

「お母さん……お母さんはっ? いたたたた……」

 身体を起こすと、左胸にずきんっと鋭い痛みが走る。

「アバラが折れとる、病院に行かねば。横になってなさい」

 沙羅のおじいちゃんが言った。ここで初めておじいちゃんの家だとわかった。

「どうだっていいです、お母さんはどこ?」

 クセのあるブロンドヘアは、身体を起こしてもなお布団に接するほど長い。青い瞳は、まっすぐ、沙羅のおじいちゃんを見ている。全部、ほんとのお母さんからもらったものだ。

「お父さんが見た時はもう、お前しかいなかった」
「そうなんだよ。あの場にいたのはゆうくんだけ。私らにはわからんのだ」

 ゆうくん。この姿を見てもそう呼んでくれるおじいちゃんの心遣いが嬉しかった。
『私が話そう。愛しいきみ。みんなに伝えておくれ』
「あ……ベルが……ベルべッチカが、みんなに伝えたいそうです。えと……あの時、僕は始祖におそわれたみたいです。僕も新月の目を開いて戦ったけれど。えと、圧倒的な力の前に、何も出来ずに負けたみたいです。僕のお母さんとお腹の赤ちゃんは……始祖に、さらわれて、今はどこにいるか……わからないそうです」

 ベルの言葉を伝えながら、ゆうは、目に涙があふれてきた。
 おじいちゃんは嘆いた。そして何秒かして、聞いてきた。

「ベルベッチカに聞いて欲しいんだが、始祖が誰か見たのかい?」
「えと、新月の目でも見えなかったそうです」
「そうか……やはり始祖は『我々では認識できない』のだな」
「どうすれば母さんを……静を取り戻せるんです?」

 お父さんが食い気味におじいちゃんに聞いた。

「始祖を……倒すしか、ないだろう」
「だけど今のゆうちゃんじゃあ、倒せないんでしょ?」

 沙羅が素直に感じたことを言う。ゆうも、素直に認めた。

「……うん。今の僕じゃ、手も足も出なかった」
 ……おじいちゃんが重い口調で口を開いた。

「始祖を……弱めることが出来れば……そうすれば、倒せるかもしれん」

 どうやって、とみな口々におじいちゃんに聞いた。

「おおかみたちを殺すのだ。おおかみたちは、始祖の手先。それら全てを殺すことができればあるいは……それにゆうくんの願いも叶えられる。ベルベッチカの再生だ。……だから、君にしかできない。君が、クラスメイトや村人たちを、殺すんだ」

 ゆうは自分の両の手を見た。

「殺す……僕が。……もうそれしか、残ってないんですね」
「そうだ。君が、この村に終止符を打つんだ」

『やろう、愛しいきみ。私がついているよ』

 みなが、ゆうを見ている。
 ゆうは答えた。そしてそれが、この村の最初で最後のヒトの反撃ののろしだった。

「……わかりました。僕が、殺します。おおかみを。みな」
 橋立美玲は、マンガが大好きだ。クラスメイトの女子たちが読んでいる、少女マンガではない。少年マンガだ。男の子が巨大な悪に立ち向かう、友情や戦いを描いたマンガが大好きなのだ。
 今はその中でも「チェーンソー・ヤイバ」が大のお気に入りだ。主人公は心優しい少年、ヤイバだ。ある日、お父さんとお母さんの研究所が襲われ、両親を惨殺されてしまう。たったひとり残された心優しい妹・ミネも、悪の組織・デルタ結社にさらわれて、生物兵器に改造されてしまう。そんな妹を守り人間に戻すため、チェーンソーを持ってデルタ結社からの刺客に立ち向かう。
 美玲はいつもミネになったつもりでページをめくる。カッコイイお兄ちゃんがボクを守ってくれる……一人っ子の美玲には、これ以上ないくらいの憧れだ。一人称が「ボク」なのも、ミネのまねっこだ。沙羅はある日突然ボクと名乗り始めた美玲を見て爆笑したけど、そんなの気にしない。

(いいもん。ボクはミネなんだもん。ミネがボクなら、ヤイバは……ゆーくんかな。なーんて! きゃー!)
 美玲は、ゆーくんが好きだ。幼稚園に転入したとき、いちばん初めに話しかけてきてくれたのはゆーくんだった。金髪を肩まで伸ばして、はじめはゆー「ちゃん」かと思ったけど──それは今のクラスのみんながそう思っていたはず──、どうやら男の子でそんなミステリアスなところも大好きだった。
 なにより。毎週日曜日朝の女児向けアニメ・セラプリの話を熱心にしても、嫌な顔しないで聞いてくれたから。

(沙羅より先にボクが好きだったんだもん)

 その事が美玲には、じまんなのだった。

 ……

 そんなゆーくんが一週間、学校を休んでいる。沙羅も休んでる。登校途中の二人の家の呼び鈴を鳴らしても誰も出ない。ゆーくんの家はガラスが割れていた。何かあったのかと美玲は怖くなった。

(……まさか……おおかみが?)
 ……おおかみ。この村に居る、こわいケモノ。ヒトをむしゃむしゃ食べてしまう。だから沙羅のおじいちゃんからもらったお守りは、ランドセルにいつもしまっていて、いつでも取り出せるようにしてる。沙羅と言えば……

(お祭り、キレイだったなあ……)

 確かあの時は、まっずいお肉が出てきて……食べた人みんなが……おおかみになって……

(あれ? それから? ボク、どうしたんだっけ)

 気がついたら家に居たんだった。大好きなオムライスをお母さんが出してくれて、おいしいなあ、あんな変なお肉とはちがうなあ。そんなことを考えながら食べたんだった。でもなんでか……なにか大切なことを忘れている気がして、胸に穴が空いているみたいに感じるのだった。

(会いたいなあ、ゆーくん。どこいっちゃったんだよ。第一部貸したじゃん。感想、聞かせてよぉ)

 ねえ、ゆーくん。二十巻の表紙のヤイバくんにそう話しかけた時。
 ぴんぽーん、玄関の呼び鈴が鳴った。
 いつもの帽子を目深に被って、いつもの不機嫌そうな目をして、美玲の大好きな青い瞳をして。
 大好きなゆーくんが、そこに立っていた。

「ゆーくん! 学校来ないで……どったの? ……あ! チェーンソー・ヤイバ!」

 心配そうに見る美玲に、紙袋を渡してきたゆーくんはにっこりと笑った。でもどこか、表情が暗い……ように見える?

「入って入って! 感想聞かせてよ!」

 でも、大好きなひとが来てくれてはしゃいだ美玲は、上機嫌に手招きした。

「……わかった……うん……弾は持ってる……大丈夫……」
「……ゆーくん?」
「ああ、ごめん、今行く」

 階段をとんとんと登って、突き当たり正面が美玲の部屋だ。デザイナーのお母さんが作ってくれた「みれいの部屋」というネームプレートがかかっている。白いバラのモチーフがとってもおしゃれなそれは、五歳のときこの家が建ってからずっとこの部屋と美玲を見てきてくれた。
 入って、と美玲は自室のドアを開けた。
 美玲の部屋はチェーンソー・ヤイバグッズとセラプリのグッズで溢れている。壁にはポスターにカレンダー。カレンダーは月が変わる事に破いて、それをポスターにして、壁に貼る。だから壁も天井も、ポスターで埋め尽くされている。お父さんに組み立ててもらったラックにも、ヤイバやミネ、敵の親玉ドクター・デルタのフィギュアがぎっしり。ゆーくんをこの部屋に入れたのは初めてだ。
 さあ、美玲には大博打だ。愛しい男の子に、自分のアイデンティティを認めてもらう為の。そして、ゆーくんは……引いたりしてない……ように見える。

(……よしっ! まずは第一関門突破! まあ、ボクと仲良くなるには、こんなところでつまづいてほしくないもんねー)

 それから……次は、話すのだ。チェーンソー・ヤイバのことを、たくさん。たくさん。……そしてその次は言うのだ。今日こそ言うのだ。……好きです、と。
 ミネだって、ヤイバの戦友で幼なじみのセイバーに、告白していた。美玲だって……

 ……

 それから、二時間が経った。気がつくと美玲は、ずーっと、しゃべっていた。その事に気づいたのは、夕方五時の愛のチャイムが聞こえてきたから。
 ゆーくんは、ずっとにこにこしたまま。