中庭でスマホを向けられ「はい、どうぞ」と声がかかる。
「西原透真です。この三カ月間、応援ありがとうございました」
 手を後ろで組んだまま、頭をぺこっと下げる。
「途中更新を止めざるを得ないこともありましたけど、皆さんが暖かく励ましてくれたので、こうして最後までミスターコンテストにも参加することができました。思うことは、今でもいろいろありますが、それよりも人の温かさだとか思いやりだとか、そういうものを感じることができたというのは、本当にいい経験だったと思っています」
 明言はしないが、例の件のことだと、ほとんどの人が分かるだろう。
 あの女の子のSNSは少し前に炎上し、垢消しをしたうえで、ミスコンも辞退することになったとコメント欄で教えてもらった。別に溜飲が下がったとかそういうことはないが、一つの区切りにはなったと思う。何があったのかは、あえて見にいかなかった。今頃地上に落下して絶望しているであろう様子を、わざわざ興味本位で眺める趣味はない。
「特に、ユウにはたくさん助けてもらいました」
 俺が歩き出すのをスマホのカメラが追ってくる。
「だから俺はいいですって」
 腕を組んで立っていたユウが苦笑するのに対し、にやっとしたあと、最初の動画のように俺はその肩を抱く。
「皆さんも知っているとおり、ユウは自分がどう思われるかも顧みず、俺のために動いてくれました。正直、ユウがいなかったら、俺はこうしてここに戻ってきてなかったとも思います。感謝しかありません」
 ユウが俺の礼に応えるように軽く頭を下げる。
「あと、ゆーとまを好きになってくれた人たちも、ありがとうございました。俺らのコンビ活動っていうのかな、まあ二人でこうして発信するのは、青竜祭で終わりますが、先輩後輩としての友情は、これからも続きますので、あー、今頃ゆーとまは仲良くしてるのかなーって皆さんが思ってくれたときは、きっと、俺らは一緒に飲みにいったり、一緒に舞台を観にいったりして、仲良くしているはずです」
 ユウは何も言わず、俺の話を聞いていた。
 実際には、これから俺らがどうなっていくかは分からない。でも、今、語ったような関係性を続けていけたら理想だと思う。
 最後に、ぜひ投票お願いします、あと舞台も観に来てくださいと伝えて頭を下げたところで、実行委員がスマホの画面をタップして録画を停止し、口を開いた。
「最初の動画とは同一人物に思えないくらい真面目な内容だったな」
「そりゃそうでしょ。ここにきてふざけまくる度胸はさすがの俺もない」
 肩から手を離し「はい、ユウの番」と言うと、ユウが「はい」とさっきまで俺が立っていた場所へと歩いていく。

 あの夜から、二日が経った。
 あの日、ユウは最後まで丁寧に俺に触れた。唇にされたキスもただ優しく、表面だけを合わせたあとすぐに離れた。その後は、俺の身体を確認するかのように、手から肩へ、肩から胸へ、胸から腹部へとユウの口は辿っていった。最後に脇腹にキスをされ、そのくすぐったさに俺が笑うとユウも笑い、ゆっくり俺から離れ『トイレ借ります』と言った。
 俺もすぐに起き上がり、ユウがトイレに入っている間に、シャツを着て電気をつけ、さらにテレビもつけてバラエティー番組を流した。さっきまでの「秘め事」という言葉が似合いそうな空気感は引きずらないほうがいいと思ったからだ。あくまでも童貞の後輩の好奇心に付き合った先輩という、そういう(てい)を演じようと、コーラとチップスの封を開けた俺は、それらを口にしながらユウを待った。
 トイレから出てきたユウも余計なことは何も言わなかった。『コーラ飲む?』と聞いた俺に対し軽く首を横に振って『帰ります。ありがとうございました』と深々と頭を下げただけで帰っていった。俺も今度は引き留めなかった。
 ユウに、あの時間がどういう効果をもたらしたのかは分からない。でも、確かに、俺らの間にあった垣根は限りなく低くなっていて、翌日の稽古では、ユウは絡み合うシーンでも引くことなく、むしろ前以上の愛情深さを感じさせながら俺に触れ、俺も遠慮することなくそれに全力で応えた。
『何があったの?』
 今度はあまりにも良くなりすぎててびっくりした、という田ちゃんに、ユウは、心配かけてすみませんでした、と謝った。
『透真さんのおかげでようやくモヤモヤしていたものが吹っ切れたんで、もう大丈夫です』
『すごい。ゆーとまの絆、ちょっと舐めてたかも』
『だから大丈夫だって言ったじゃん』
 俺も笑って答え、田ちゃんもようやく、ほっとしたような笑顔を見せた。
 あとは、本番まで突っ走るだけだ。大丈夫。自分たちの舞台は成功する。その自信しか今はなかった。

「そういえば」
 スマホのカメラに向かってこれまでのお礼と、たくさんのコメントをもらったことにお礼を言っていたユウが続けた。
「確か俺、というか透真さんが最初の動画のときに、舞台美術で俺のレコードを使うって話しをしたと思うんですけど、レコードプレーヤーを購入して、自分のコレクションの一部のレコードを実際に劇中で流すことになりました。聞いてみると、ジャケットから想像してたのとは全然イメージが違った曲だったりして面白いなと思ってます。ちなみに、一番気に入っているのが、最後のほうのシーンで流れる『All the things YOU ARE』という曲で。興味のある人は、舞台の前に歌詞を見てきてくれたら、その場面がより印象的になるんじゃないかと思います」
 確かに、と頷いていると、ユウが続ける。
「今回の舞台がきっかけで、透真さんも俺もジャズっていいなと思うようになってるので、いつか一緒にジャズコンサートにも行ってみたいですね」
 ユウがこちらに目線を向け、俺は親指をたててみせる。
 そんな俺を見て、笑顔になったユウがまたスマホに目を戻す。
「じゃあ、投票、よろしくお願いします。あと、さっき透真さんも言っていましたけど、舞台のほうもぜひ観にきてください。いいものにする自信があるので」
 ユウも自信があるのか、と思わずふふっと笑った俺の前で、動画撮影は終了した。
「いやー、鷹野くんの成長ぶりったらないね!!」
 実行委員がしみじみと言う。
「最初の動画のときなんて、俺に励まされながら頑張ってたのに。あのお子様が、たった三カ月でここまでしっかりアピールできるようになるとは」
「SNSで動画を載せる機会も多かったですしね。ミスターコンテストに成長させてもらいました」
「そう言ってもらえると、俺らもやったかいがあるよ」
 実行委員がにこっとする。
「やっぱり、参加した人たちが何か得てくれると嬉しいと思うし。でも、二人はこの期間にいろいろあったから、変わったのも当然かもね。あとは、最初の動画が中庭だったから、とくに変化が感じられるのかも」
「確かに」
「なんで二人とも中庭にしたの?」
「なんか、最初の動画を撮ったときが楽しかったなって思ってさ」
「俺は、今さら最初の動画のぐだぐだ加減が恥ずかしくなったので、やり直したくて」
「自覚あったんだ」
「さすがにありますね」
「あのぐだぐだも、面白くて良かったけどね」
「いや、あれ、透真さんが入ってくれなかったら、完全に放送事故みたいになってましたよ」
「それは言えてる」
 三人で笑いあいながら校舎へと向かう。
 伸びた髪を揺らす風が、少しだけひんやりとしていた。

 *

 十月に入って間もなく、青竜祭が始まった。
 出演者と衣装係、メイク係、音響、照明、大道具の担当以外は、観客の対応をする。今年はそっちに回れる人数が多いし楽そうだなという話になっていたが、「ゆーとま」人気は思った以上にあったらしく、劇場ステージの観客席はあっという間に埋まり、急遽数人で手作りの整理券を作ることとなり、他の部員もどんどん増えるお客を整列させたり舞台の時間などを聞きにくる人の対応をしたりと、むしろ例年以上に忙しい様子だった。
「すげーな」
 三つ揃いのスーツを着た江古田さんが言うのに「まさか、こんなことになるとは思わなかったですね」とメイク直しをしてもらいながら答える。
「プレッシャーは?」
 面白そうに聞いてくる江古田さんに「ありますけど、それ以上に自信があります」と言う。
「おー、すげぇな。鷹野は?」
「俺も自信しかないです」
 白いシャツと黒いズボンの上にカーキのエプロンをつけたユウが淡々と答える。
「うちの後輩たちのメンタルの強さよ……」
「俺、端役なのにめちゃくちゃ緊張してますよ!」
 最初の愛人役が言って「それが普通だよなぁ」と江古田さんが笑う。
「あと五分で開演でーす!」
 田ちゃんが支度部屋をのぞき、俺たちは返事をして立ち上がった。

【あなたの毒を愛してしまった僕に、ふさわしい結末なのです】
 愛していた、あなただけを愛していたと伝えてくる、ユウが演じる雨衣の声は、昨日撮ったばかりのものだ。その温かく切ない響きを聴きながら、俺は雨衣の手に握られていた紙をじっと見つめる。
 そこには、実際にユウの手によって書かれた、少し右上がりの字が並んでいた。
 ゆっくりと紙を畳んだあとに立ち上がり、ぴくりとも動かない雨衣を見下ろす。
【水仙のように美しく毒を持っている僕を、君は愛していると言った】
 雨衣のまわりに散らばっている水仙を一輪一輪拾いながら、雨衣に語り掛ける。
【それなのに、僕が毒を持っていたから死ぬと、君は言うのか】
 自分の声にも、愛情がこもって聞こえているだろうか。
 愛していた、君だけを愛していたともう何も聞こえない雨衣に語り掛けているように感じてもらえるといい。
【それなら、僕はどうすれば良かった。君に愛されるためにどうすれば良かった】
 集め終えた水仙を花束のように握り、雨衣の隣に横たわる。
 徐々に舞台が暗くなり、雨衣も自分も、闇の中に飲み込まれていく。
 思いもよらず、涙があふれてきた。成瀬が自分に乗り移ったかのようだった。
【どうすれば、良かった】
 涙をこらえながら絞り出した自分の声を最後に、舞台の幕は下りた

 *

『めっちゃ泣けたんだけど』
『まって、あまなる辛すぎ』
『雨衣が成瀬を好きなのが伝わりすぎて、最後もうずっと泣いてた』
『曲が良かったな。懐かしさのある雰囲気の演出にレコードが合ってた』
『水仙の花束、雨衣から欲しかったよね……! 成瀬が可哀そうすぎた』
『ゆーくんの言ってた曲、まさかあんなシーンで使われると思わなかった。切なさましましで死んだ』
 初日の二回の公演が終わったあと、SNSでは「水仙の花束」の感想がたくさん載っていた。
 普段、こんなふうにSNSに大学の演劇の感想が乗るなんてことはないから、やはりミスターコンに出て宣伝したかいはあるよな、と思う。
「自信あるって言ってただけのことはあるな。すごい反響じゃん」
 江古田さんも俺のスマホを覗き込みながら言った。
「ってか俺への感想はよ」
「あいつひどいって言われてます」
「えー。むしろ俺、あんなに張り切って薔薇を用意したのに振られるっていう可哀そうな人なんだが」
 ぶつぶつと言った江古田さんが「でも」と言う。
「そういう感想って、観てるときに感情移入しないと出てこないもんだから、やっぱいい舞台だったってことだな」
「ですね」
 演じていても手応えがあったし、ユウとの演技はこれ以上ないほどはまっていた。その場にいる観客の視線を意識しつつも、雨衣のことしか見えなくなるくらいには、自分も成瀬になり切っていた。
『ってかさ、あの後、成瀬はどうしたんだろうね』
 また舞台についての新たなコメントがSNSにあがってきて、俺は頬杖をつく。
 この話では、成瀬が最後どうするかはあえてぼかしている。最初に台本を渡されたとき、どうしたと思うかということをユウとも話した。
 俺は死なないと思った。成瀬はもともとたくましい男だ。きっとまたすぐに新たな愛人を見つけて、雨衣のことを引きずりながらも生きていくだろうと思う。
 ユウは逆に、死ぬと思うと言っていた。雨衣に価値観をがらりと変えられた今、成瀬はもとのように生きていけないだろうからと言うのが理由だった。
 そのときは、意外だと思った。ユウはもっとあっさりしているイメージがあったからだ。でも、その内面を前よりも知った今は、ユウらしい回答だとも思う。真面目で一途で、けっこう重くて。空洞なんかじゃ、全然なかった。
 きっと、本当のユウを知ったうえで愛される女の子は幸せだろうと、りんちゃんに今日使ったレコードを渡す穏やかな横顔を盗み見る。
 でも、明後日までは、演技だとはいえユウが一番愛してくれるのは、成瀬である俺だから。
 あと二日間、後悔のないように、成瀬としても自分としても雨衣とユウを愛し抜こうと心で誓いながら、俺はスマホの画面を消した。

 *

 青竜祭最終日は、二回公演の予定だったのを急遽三回公演に増やすことになった。
 SNSで話題になっていたこともあり、観に来る人がさらに増えたからだ。
 最後の回では立ち見でもいいという客も入れたため、観客席の人数はかなり多くなった。
 すごいな、と舞台袖から客席の様子を見ていると「最後ですね」と後ろから声をかけられて、振り返る。
「最後だな」
「楽しかったです。この三日間」
「俺も。本当にユウとやれて良かった」
「俺もそう思ってます。透真さんとじゃなかったら、ここまで演じられなかった」
「俺もユウが雨衣じゃなかったら、こんなに感情を込められなかったよ」
 微笑みあった俺たちは、そのまま並んで、舞台の幕あけを待った。

 最後の回も、舞台は一点の曇りもない成功をおさめた。
 万雷の拍手の中、いつものように、二人の愛人が舞台に出ていったあとに、向かって左の舞台袖からユウが、反対側の舞台袖から俺が同時に出ていく。
 感慨深い気持ちを抱きながら舞台の真ん中に到着し、正面から歩いてきたユウと笑顔を交わす。そのまま、いつものように客席のほうを向こうとすると、ふいにユウが目の前でしゃがみこんだ。
 驚いて動きを止めた俺の右の手を、片膝立ちになったユウが両手で大事そうに持ち、指先へとそっと口づける。
 観客席から悲鳴のような声があがり、おさまりかけていた拍手の音がまた大きくなる。
 江古田さんが指笛を鳴らす中、ユウは笑って立ち上がると、俺の手を引いて舞台の中央へと足を進めた。
 つないだ手を高くかかげ、二人で大げさにお辞儀をし、顔を見合わせてまた笑い合う。
 それはとてもとても幸せな時間だったのに、泣きたくなるような時間でもあった。指先から広がる甘いしびれに侵されて心臓がこのまま止まってしまえばいいのにと、俺は観客席に手を大きく振りながら、涙が出そうになるのを必死にこらえた。

 後夜祭では、メインイベントとの一つとしてミス・ミスターコンテストの結果発表があった。
 ミスコンでは、ゆーとまファン疑惑のあった子が、優勝した。
 確かに可愛いし性格も良さそうな子だよな、と思っていたら、その子がスピーチで、ミスコンに参加して一番良かったこととして「『ゆーとま』と一緒に活動できたことです!」と大声で言い出したので笑ってしまった。喜んでもらえて何よりである。
 続いてのミスターコンでは、俺とユウのどちらかが優勝するだろうという予測が多く、もしどっちかが選ばれたら演劇祭の宣伝をしようと決めていたのだが、結論から言えば、ミスター東雅となったのは、イッシーだった。
 石森くん、と名前を呼ばれた瞬間、キョトンとして「俺? 俺?」と意外そうな顔をして司会をつとめる実行委員のところに足を進めたイッシーは、マイクを向けられると喜びのスピーチをするどころか「透真か鷹野の間違いじゃないですか?」と言い出した。
「確かに、お二人も多かったんですけど、個人名でなく『ゆーとま』と書かれた投票が多かったんですよね。投票箱のところにも個人名のみが有効、と注意書きをしていましたので、もちろんこれらは無効になりました」
 実行委員が笑いながら説明する。
「あー、なるほど」
「ゆーとまファンの人たちは、二人セットでミスター東雅にしてあげてと思ったのかもしれませんが、さすがにそれはできないので。それに、石森くん、後半かなりSNSのフォロワー数も増えてましたよね。真面目にいろいろアイディアを出してSNS上で見てくれる人を楽しませようとしていましたし、そういう姿勢もきっと投票数につながったと思います。もちろん、私たちから見ても、ミスター東雅として、石森くんはふさわしいと感じています!」
 確かに、イッシーはちょっとしたクイズをやったり、流行っているダンスを踊ってみたり、大食いにチャレンジしたりと、いろいろな企画をたてて頑張っていた。
 本人いわく、「ゆーとま」のおこぼれ的な感じでフォロワー数が増えたのではなく、自分の力でフォロワー数が増えたって思いたいからやっているのだと言っていたが、そういう前向きなところもイッシーの良さである。
「では改めて、ミスター東雅になった感想をお願いします」
「あ、素直に嬉しいです。ありがとうございます」
「このコンテストに参加して一番良かったことも教えてください」
「あのー……えーっと、彼女ができることです」
 彼女ができた、ではなく、できる、なのか。
 つまりミスター東雅になれば、彼女が間違いなくできると思ってるということだろうか、と考えを巡らせる俺の前で、イッシーが「実は」と話し出す。
「このミスターコンの活動中に好きな子ができて告白したんですが、コンテストが終わるまでは付き合えないと言われてて。でもこれでコンテストも終わったし、彼女になってくれると思ってるんですが、どうでしょうか」
 イッシーの視線を投げかけられた実行委員の子が、マイクを持ったまま、顔を赤らめる。その二人の様子に、ステージ前が何かを察して静まりかえる。
「はい。彼女に、してください」
 数秒後、マイクを通して実行委員の子が返事をし、きゃ――っ!という声がどこからかあがったのを皮切りに、ステージの周りは、まさにお祭り騒ぎとなった。
 なるほど、あの子のことを好きになったから後半はさらに頑張っていたのか、と納得しながら、俺も両手を頭の上に持ち上げて笑顔で拍手をした。
 こうして、青竜祭は幕を閉じた。
 それは同時に、ゆーとまの活動が終わったことも、意味していた。

 *

 青竜祭が終わった余韻にひたることもできないまま、一週間後の演劇祭に向けて最終的な稽古が始まった。ユウも俺も、稽古中はそれぞれ一緒のシーンに出るメンバーとともに過ごすようになった。
 結果、演劇祭では、審査員特別賞をもらうことができた。他の大学に比べ多人数で行う目まぐるしい構成の面白さが評価されたようだった。夏からの頑張りが報われ、みんな晴れ晴れとした顔をしていた。
 俺も、数か月ぶりにみんなと一緒に打ち上げにいった。離れた席からチラチラと心配そうにユウが見てくるので、結局ビールを半分ほど飲んだだけで、残りはウーロン茶を飲んで過ごすことにした。
 演劇祭が終わると、次は年末公演である。
 年末公演は、二年生がメインとなって行う。ユウも当然のように中心メンバーとなり、りんちゃんや他の二年生たちと額を付き合わせて話し合う姿がよく見られるようになった。
 「ゆーとま」として活動しなくなって、一か月半。
 この先、来年四月に上演される自分たちのラスト公演まで、ユウと役柄的に絡む機会はない。
 それもあって、ユウが年末公演に向けて熱心に取り組んでいる姿を応援したいと思いつつも、どうしてもつらくなってしまう自分がいた。誰かと熱く語り合っているのを見るたびに、誰かに優しい笑顔を向けているのを見るたびに、その相手が自分でないことが切なく、ひそかに嫉妬し、自己嫌悪を覚えた。
 何度か、稽古が終わったあとに食事にでも誘ってみようかと思ったこともある。しかし、稽古中に絡みがないのにわざわざ誘うのも不自然な気がして、結局青竜祭のあと、一度も声をかけることはできなかった。もちろん、ユウのほうからも連絡はなかった。
 でも、これでいいのだろうと思う。
 油断していると、またきっと自分はユウに甘えて垣根を取っ払いたくなってしまう。そのせいで、優しいユウに新たな迷惑をかけることはしたくなかった。好きだからこそ。
 そうして、できるだけ気持ちを抑え、淡々と過ごすように心がけていた頃、江古田さんが思わぬ話を持ってきた。

「水仙の花束をですか?」
 俺が聞き返すと、江古田さんは頷いた。
「俺が出るっていうんで、わざわざ観に来てくれてたんだって。で、面白かったしぜひやってみないかって。確かにあれ、小劇場向きだよな」
 江古田さんはすでに劇団に所属している。その劇団がよくお世話になっている小劇場の人から「水仙の花束」を微妙にスケジュールが空いている一月の五日間を使ってやってみないかと言われたのだという。
「もちろんチケットも売らないといけないし、けっこう大変だとは思う。でも、まああの『ゆーとま』だっけ? の人気を使えばチケットもいけるんじゃない?」
「そうですね。確かにあの学園祭の入り具合を見てると、いける気がします」
 田ちゃんが頷きながら答える。
 そうか、また「水仙の花束」を演じるということは、ゆーとまとして活動ができるということか、と横で聞きながら胸が高鳴る。
 役柄上とはいえ、ユウに再び愛され、触れられる。一緒にいる理由が、できる。
 もう二度とそんな機会は訪れないと思っていたからこそ、俺は意気込んで口を開いた。
「そんな機会ないですし、ぜひ――」
「あの」
 しかし、それまでずっと黙っていたユウの声が、俺の言葉を遮った。
「俺は、できればやりたくない、です」
 驚いて隣を見ると、ユウは真剣な顔をしていた。
「え、やりたくないの?」
 江古田さんの問いに、ユウは「はい」とはっきりと答えた。
「なんで?」
「年末公演に向けて、今忙しいですし」
「前にもやってるんだし、台詞覚えもそんなに時間かかんないだろ。大丈夫だよ」
「でも」
 ユウが言いにくそうに、口をぎゅっと結ぶ。
 誰も、問い質すことなく黙って待っていると、ようやく覚悟を決めたようにその口が開いた。
「俺が、もう、雨衣をやりたくないんです」
「……それは、あの役を演じるのがつらいってこと?」
 田ちゃんの問いに、ユウが「はい」と答える。
「青竜祭が最後だと思ったから、俺もやり切れたところがあります。でも、もうできません。やりたくないです」
「ユウがこう言い出したら、もう絶対やらないですね」
 俺は、ユウの横顔から目をそらし、江古田さんに伝える。
 自分の声がやけに歪んで聞こえるのは、期待で膨らんだ気持ちをためらいなく踏みつぶされ、心がぐちゃりと潰れてしまったからかもしれなかった。
 そんなに嫌だったのか。俺とそんなにやりたくないのか。楽しかったって言っていたのも、全部嘘だったのか。もう二度と俺と触れ合う気はないのか。
 言いたいことを抑えている胸が重くなっていくのを感じながら「ユウ」と俺は声をかける。
「分かった。他の人とやるからいいよ。稽古に戻りな」
「他の人って言ったって……」
 困ったような田ちゃんの言葉に「あ、俺たぶんできるわ」と江古田さんが手を挙げる。
「雨衣の台詞の後半部分はほぼ覚えてるし。まあ、人が変わったことで、また違った水仙の花束を見てみたいって言う人たちも来るかもしれないし、そうするか?」
「いいですね。そうしましょう。江古田さんなら安心だし」
 突っ立っているユウのことは無視して、じゃあ愛人役はどうしようかと話しをすすめる。
 あのくらいの量なら、同じ劇団の人にお願いできるかもと言われ、ギャラとか大丈夫ですか、と話しているうちに、ユウはいつの間にかその場からいなくなっていた。