夏休みが明日で終わるという日、俺は覚悟を決めてSNSを更新した。
『元気です。舞台観てきました。感動』
 それだけキャプションに書いた写真には、チケットを持った自分の手が写っている。
 どんなコメントが来るだろうと、若干緊張しつつアプリを閉じようとしたら、ユウがSNSを更新したと通知が来る。
 当の本人は、カフェのテーブルをはさんだ向かい側でスマホ片手にシェイクを飲んでいる。いったい何を載せたんだと見てみると、そこにはコーヒーを前に、両手で持ったスマホを真剣な顔で見ている俺が写っていた。
『久々の投稿に緊張してる透真さん笑 #ゆーとま』
 思わず「ばらすなよ」とつっこむと、ユウが小さく笑う。
 でも、ユウがこう書いてくれたおかげで、少しだけ開き直る気持ちが出てきたのも事実だ。ふーっと息を吐いて改めてアプリを閉じる。
 一方のユウは、スマホをじっと眺めていた。たぶん俺のSNSを見てくれているのだろう。
 今日の舞台を一緒に観にいくことは、前から決まっていた。
 それに合わせてSNSを再開したらどうか、とユウが提案してきたのは数日前のことだ。
『誰か一緒にいたほうが気持ちも楽だし、イベントがあると投稿するきっかけにもなるでしょ』
 確かにそうだった。それに、九月半ばにはミス・ミスターコンの活動の一環で市内の美容院でカットモデルをする予定で、その前に再開しておきたかったというのもある。
 ユウの捨て身とも言える投稿のおかげで、俺に対する批判はSNSではほぼ見られなくなったというのは実行委員からの報告で分かっている。ただ、俺自身への攻撃がなくなったかどうかはまだ分からず、実際投稿してみて、コメント欄の荒れ具合によってはカットモデルを辞退したほうがいいかもしれないと考えていたからだ。
 でも、正直コメントを見ることにまだ不安があると言うと、ユウは『じゃあ俺が代わりに見ますか』と言ってくれた。相変わらず何でもやってくれる男である。
「透真さん」
 コーヒーを飲んでいると、ユウが声をかけてくる。
「はい……」
「緊張しすぎでしょ。今のとこコメントが七件来てますけど、みんなお帰りって言ってくれてますよ」
「あ、マジ」
 もちろん、まだまだ気は抜けないけど、とりあえずネガティブなコメントから始まらなかっただけでもほっとする。
「あと、ゆーとまデート中なんだね、というコメントも来ています」
「見りゃ分かるだろってあとで返しておく」
「急に調子に乗ってる」
「すみません。いいねだけあとでしておきます」
「あとは、元気そうで良かったっていうのと、あと――」
 ちょっと言葉を途切れさせたユウに「やっぱ批判来てる?」と聞くと、ユウが首を横に軽く振る。
「批判じゃないけど、ユウくんを裏切ったら許さない、という脅し的なのは来てますね」
「ユウくんを裏切るつもりはないんで」
「一途っすね」
 そう言ったユウがまた黙ってスマホを見つめ、俺はその顔をじーっと見る。ユウの顔は、少し伏し目がちのときが特に色気が出る気がする。まつ毛が長いのも関係あるのかもしれない。
 あと、俺のTシャツを脱がしていたときの印象に引っ張られているというのもあるだろう。あの動画のコメント欄でも、陰のある目元がたまらない、最後の流し目にやられた、みたいに、ユウの目に注目している人が多かった。
 しばくらすると、ユウがチラッと目を上げてこちらを見た。
「すげー見るじゃないですか」
「いい男だと思って」
「どーも。でも、コメントでは俺のSNSの透真さんの写真がかっこいいとかかわいいとか言われてますよ」
「ユウが撮ったからじゃん? 写真ってさ、恋人に撮られたときが一番うつりがよくなるらしいよ」
「へー、そうなんすね」
 俺の言葉に照れるわけでもなく突っ込むわけでもなく、普通のテンションで受け入れながらスマホを見ているユウに、思わず笑ってしまう。

 ユウが動画をあげてくれてからというもの、三日に一度くらいのペースで会う日が続いている。
 ユウのほうからいつも誘ってくれるので、こんなに自分と会っていていいのかと一度聞いたら『ゆーとまの写真を撮らないといけないしね』と返ってきた。
 確かに、あれ以来、SNSでは「ゆーとま」人気が急上昇中である。しかし、俺がSNSを休んでいるせいで「ゆーとま」好きな人たちの期待はユウの肩に、というかユウのスマホに重くのしかかっていた。さらに「ゆーとま」の人気を保つことは、ミスターコンの、ひいては演劇部の宣伝にも大きく関わってくるわけで、実行委員や部員たちの期待もプラスされ、なかなかの圧となっていたようだ。
 こうなると、さすがのユウも自由な投稿ばかりとはいかないようで、俺と会うたびに「ゆーとま」の写真を何かしら撮るようになり、それをアップするのに伴ってまたフォロワー数も増えているようだった。
 つまり、こうして会っているのは、ユウにとっては半分義務感なのだろうけれど、休みまで頻繁に会うような深い付き合いをする友達がいない自分にとっては、素直に嬉しい時間だった。
 それに加えて、自分のコンプレックスをさらけ出したこともあって、ユウに対する心の距離はぐっと近づいている。ユウが何も言わないのをいいことに、さっきみたいにうざ絡みをしてしまうくらいには。
 俺って確かに調子に乗るタイプなのかもしれない、と思っていると、ふとユウの顔が真剣になる。
「なんかあった?」
「んー、ちょっと待って。あっちがなんか言ってるっぽい」
 あっち、というのは例の女の子のことか。俺もちょっとだけ身構える。
 黙ってしばらくスマホを操作していたユウが、ふっと鼻で笑う。
「どうした」
「こんなんでこっちが動揺すると思ってるのかなんなのか分からないですけど、例の人がまたストーリーあげてますね。はっきり誰とは書いてないけど、『この前のことは本当に事実だから騙されてるよって教えてあげたい、身近な人には本性隠す人って意外といるんだよ、心配してます』だって」
「つまり俺がユウを騙していると」
「こわいなー」
 ユウが棒読みで言ったあと「でもそれより、この言葉を、青空と風船の写真に合わせてしまうこの人が何考えてるのか分かんなくて怖い」と言う。
「少なくとも自分だけは絶対に嘘だって分かっていることを、まるで素敵な言葉ですとも言いたげに載せるのって、どんな気分なんですかね」
「さあな」
 そう言いながら、俺は少しだけ、その気持ちも分かるかもしれないと思った。
 きっとあの子はSNS上の輝いている自分と本当の自分のギャップから目を背けるために、自分自身にも必死に嘘をついている。善悪ではなく、自分が主役になれるかどうかで行動し、好き嫌いでなく、人からどう見えるかで物を選ぶ、そんな日々を送っているのだろう。
 そしてきっといつか、どんどんと高みへ上っていく虚構の自分にしがみついていられなくなり、振り落とされる。
 自分も理想に振り落とされた人間だから、そんな彼女にどこかで同情するところもある。もちろん許せはしないけれど。
 その一方で、常に自分に正直なユウがあの子の気持ちが分からないというのは納得だし、いつまでも分からないでいてほしいと思う。
 シェイクを飲み干すためにストローの位置を真面目な顔で調整するユウを、俺は眩しいような気持ちでじっと眺めた。

 *

 夏休みが明け、大学の授業も始まった。
 演劇部の稽古も衣装を合わせたり、小道具を作ったり、セットを組んだりと、ここから一気に本番に向かっていく。
 ユウのレコードも何枚も部室に運び込まれ、演出の田ちゃんと、舞台美術の担当である二年生のりんちゃんと主演の俺ら二人でどんな形で飾るのがいいかを話し合った。
 最初は壁に、絵のように数枚飾ろうという話であったが、田ちゃんがふと「このレコード、本当に舞台上でかけられないかな」と言ったことで、話は急展開した。
 もともと演出として、音楽が場面場面で流れる予定ではある。しかしそれ以外の場面でも、花屋の中でBGMとしてレコードをかける雨衣というのはイメージに合うし、あとは、レコードという少しレトロな小道具が、この耽美さを意識した演劇の雰囲気にも合うのではないかという話になった。
 しかし、そのためにはレコードプレーヤーを用意しなければならない。
「せっかくなら、レコードプレーヤーもレトロなのがいいよね。部費で買えるくらい安いのあるかな」
 田ちゃんの言葉に、りんちゃんが「あ、じゃあ」と手を挙げた。
「リサイクルショップに行って見てきましょうか。うちの近くにあるんですよ」
「あー、オークションサイトかなって思ってたけど、確かにリサイクルショップはいいかもね」
「もしリサイクルショップになければオークションサイトにしましょう。今日行って、良さそうなのあったらLIMEしますね」
「俺も一緒に行っていい?」
 ユウが急にりんちゃんに話しかける。
「いつかレコードプレーヤー欲しいって思ってたし、気に入るのがあったら俺が買って貸し出すようにする」
「え、もちろん。でもいいの?」
「もし重かったら男手があったほうがいいしね」
 田ちゃんの言葉にユウが頷き、りんちゃんは「じゃあ、よろしくね」と笑顔で言った。
 その日の稽古終わり、並んで帰っていく二人を見た女子たちが「りんちゃん、めっちゃ嬉しそう」「メイク直しも気合入ってたよ」「やる気だね」と冗談っぽく話しているのが聞こえた。
 少なからずあの子はユウを意識しているってことか。
 そう思ったら、胸がなんだかざわついた。

 翌日、ユウが持ってきたのは、グレーの本体に透明なプラスチックの蓋がついているレコードプレーヤーだった。
「ちゃんと音も出ました。なんかやっぱ、音の雰囲気も違いますね」
 ユウにしては珍しく少し興奮していて、微笑ましい気持ちになる。
「つまり、ユウの家のあのレコードたちが、ついに見る専門のレコードじゃなくなったってことだ」
「まだほとんどが見る専門ですけどね」
「すごい数だったもんね。全部聞くのにどんだけ時間かかるんだろ」
 りんちゃんがそう言って、また胸がざわつくのを抑えながら訊ねる。
「ユウの部屋行ったの?」
「行きました。だって、鷹野くんレコードもいいのがあるとか言って買い始めたから、荷物持ちとして」
「女の子を荷物持ちにさせるってとこがユウくんだよね」
 田ちゃんが笑い、ユウが少し困ったように笑う。
「リサイクルショップでレコードっていうのは盲点だったから。それにこういうのって一期一会だし、つい……」
「すごい嬉しそうだったもんねー。いい出会いがあって良かったよね」
 りんちゃんが笑顔でユウの言葉のあとを引き継ぐ。
「でも、リサイクルショップってりんちゃんの家の近くだったんでしょ? そっからわざわざ鷹野くんの家に行ったの? 鷹野くんの家がどこかは知らないけど」
 田ちゃんが訊ねるのに、りんちゃんが「まあ、正直近くはなかったですけど、そのかわり、夕飯をおごってもらったので」と答える。
「帰りも家までちゃんと送ってもらったし、全然大丈夫です」
「おー、ユウくんって、そういう気遣いできるんだ」
「さすがにできます」
 ユウが淡々と答えるのに対し、俺のことは送ったりしたことないのに、と少し腹が立ち、慌てて、男なんだからそんな気遣いいらないのは当然だろ、と自分で自分をなだめる。
 あくまでも俺らは仲のいい先輩後輩でしかない。今は「ゆーとま」としてアピールしてるから、ユウもこれだけ一緒にいてくれるけど、青竜祭が終わればプライベートでまでしょっちゅう会うような関係は終わるのだから、俺のもの、みたいに思うのはよくない。
 むしろ、ユウのことを理解してくれそうな子が出てきたことを、可愛い後輩のためにも喜ぶべきところなんじゃないだろうか。
 そう思いながらも、劇中で使うレコードを選びつつ、りんちゃんが話しかけたり質問したりするのに対して、一つ一つ穏やかに応えるユウのことを見ると、つまらないと感じる気持ちばかりが膨らんでいった。

 *

 カットモデルの撮影には、他のミス・ミスターコンテストのメンバーとともに俺も参加することができた。
 SNSに俺を責める人がまったくいないわけではない。でも、その存在が霞むくらいには、応援してくれる人の方が多かったし、「ゆーとま」ファンが俺らの代わりに怒ってくれたりもしたから、実行委員も問題なしと判断したようだった。
 美容院では、役柄的に髪の長さはあまり変えられなかったが、毛先を綺麗に整えてもらった。そしてサイドで分けて下ろした長い前髪と、無造作に束ねられた後ろ髪にそれぞれヘアアイロンをあて、普段はストレートな髪をウェーブに仕上げてもらった。
 さらに軽くメイクもしてもらい、ユウに「どう?」と聞くと「美人ですね」と言われて逆に反応に困る。
 そのユウはと言えば、少しクセのある黒髪を七三に分け、後ろに撫でつけていた。普段、前髪は下ろしているか軽く分けているかという感じなので、額を出すだけで印象ががらりと変わる。
「鷹野くんっていつもはちょっと不思議な印象あるけど、眉毛がしっかりしてるからこういう髪型になるとすごい大人っぽくなるね」
 実行委員の子が感心したように言うが「そうですかね」と本人はピンときていないようだった。
 その後、写真撮影となり、一人ずついろいろな角度から撮られていく。
 女の子たちはさすが表情を作るのも上手だが、男子は軒並み下手で、証明写真を撮ってるんじゃないんだから、とツッコまれていた。そんな中、俺だけはけっこう自然な表情を作れていたようで、さすが演劇部と褒められる。
「演劇部なら、そこにももう一人いるんですけどね」
 ひときわ証明写真感の強かったユウを指さすと「課題を与えられれば表情も作れますよ」と悪びれることなく答える。
「あ、じゃあ最後に、西原くんと鷹野くんのセットで今度の舞台の役のイメージで撮ってもらおうよ」
 実行委員の言葉に、顔を見合わせる。
「別にいいけど、イメージって難しいな」
「どこのシーンとか言ってもらえれば」
「最後のシーンは?」
「俺が無表情極まりないシーンじゃないですか」
「死んでるもんな」
 適当なことを言いながら写真を撮る壁の前に移動すると、ミスコン参加者の同級生が「バックハグは?」と聞いてくる。
「稽古の動画の中であったよね」
「あー、雨衣が初めて成瀬の家に来るシーンか」
 さらに、キスの許しを請う場面だなとも思うが、そこは別に言わなくていいだろう。
「そうする?」
「じゃあ、それで」
 ユウが素直に頷いて、俺の後ろへと回りそのままためらうことなく抱きしめてくる。
 ――舞台の上だと平気だけど、そうじゃないと意外に恥ずかしいな
 そんなことを思っていると、ユウが耳のすぐ後ろで話しだす。
「本当はこのあと、透真さんの首のところに顔をつけるんですけど、写真撮るなら顔も見えてた方がいいんですよね」
「それはそうだね」
 実行委員の言葉に「じゃあ」と言ったユウが、俺を抱きしめる腕に力をこめ、俺の頭に頬をくっつけた。
 それに応えるように、俺は自分を抱きしめるユウの腕に自分の手を添え、毒を持つ水仙のような成瀬らしく、少しだけ顎をあげてうっすら口を開け、見下すようにこちらに向けられているカメラを見つめる。
「あまなる……」
 さっきさりげなくバックハグを勧めてきた子が呟くのを聞いて、もしやゆーとまファンなのでは?と思いつつ、写真を撮られる。
「オッケーです」
 その言葉とともに離れ、今撮った写真を見せてもらう。ユウもさっきとは違って、斜め横に向けた顔を俺の髪にあて、湿度を感じる流し目をカメラに向けていた。
「二人とも、全然違う顔になるのな。スイッチ入ると」
 イッシーが言ってきて「そうかな」と答えていると、一人のミスコン参加者の子がいたずらっぽく言う。
「私は西原くんから表情の作り方学びたいわ。色気ありすぎ」
「ほんと? そう見せたいから嬉しい」
「しかも、舞台の上ではこれ以上に絡むんでしょ」
「まあね」
「見るの楽しみだなぁ。ね、鷹野くんとか、西原くんの色気にやられたりしないの? 絡んでてちょっとその気に――」
「ないです」
 その子が喋っているのに被せるように、急にユウが強めの口調で否定し、俺は少し驚いてその顔を見る。
 ユウは真顔のまま続けた。
「その気になるなんて、ないです」
 一瞬、みんながシンとしたあと、言葉を遮られた子が慌てたように言う。
「あ、そっか、ごめん、あくまでも演技だもんね、うん」
「そんな怒るなよ。冗談じゃん」
 ユウと同学年の男子がフォローするように言い、それを聞いたユウがはっとしたように瞬きをし、俯く。
「すみません、なんか。ちょっと、誤解されたくないなと思って。別に怒ってるとかそういうわけではなく」
 気まずい空気が流れたところで、「ゆーとまファンに聞かせられないので今のはオフレコってことで」と俺は冗談っぽく言って、ユウの背中を軽く叩く。実際、さっき「あまなる」と呟いた子はなかなかに悲壮な顔をしていた。
「あと、俺の渾身の色気に対してその気になれないってのも、なかなか失礼だからな」
「俺、けっこう透真の色気、ぐっと来てるよ!」
「えー、それはそれでイッシーがチョロすぎて心配になるわ」
「お前、人のフォローをなんだと」
 イッシーとの会話でようやく笑いが起きる中、俺はまだ固い表情をしているユウの背中を、なだめるようにもう一度軽く叩いた。

 カットモデルが終わって、そのまま演劇部の稽古に合流すると、おおっとみんなに言われた。
「すごい雰囲気違うね~」
「でしょ。どう、こんな感じの成瀬は」
「同じ毒を持つ花でも、水仙より彼岸花が似合う感じになってる」
「あー、なんかわかる」
 田ちゃんたちが俺を見てわいわいと喋っている隣で、りんちゃんが「鷹野くん、デコ出し似合うね」とユウを見上げる。
「そう?」
「うん、大人っぽいし似合ってる」
「でも、俺クセ毛だから、これも相当ワックスとか使っておさえてるし、自分ではやんないなー」
「そっかー残念」
「いつもの俺だとダメってことか」
「それはひねくれすぎてる」
 一緒にレコードプレーヤーを買いにいって以来、この二人の距離は急激に縮まっている。
 ふと、さっきユウが言っていた『誤解されたくない』という言葉を思い出す。
 これまで、なんでも言わせておけばいいって言っていたユウが、俺のうざ絡みもなんでも受けいれてくれていたユウが、急にあんなふうに否定したのは、りんちゃんの存在が関係あるのだろうか。
 背伸びしてユウの髪の毛に触れ、すんごい固められてる、と笑うりんちゃんの、細い指を見る。
 ――そりゃそうだよな
 自分がいくら演技で色気を出したところで、可愛い女の子の天然の色気に敵うわけがない。
 それは当然のことだと思うし、そもそも敵う必要もない。演技は演技として割り切るべきだとも思っている。
 それなのに、「その気になるなんて、ない」というユウの言葉を聞いてから、真っ暗な穴の中に落ちていくような気持ちは自分ではどうすることもできなくて。
「透真さん」
 ふいに話しかけられて、横を向くと、ユウが俺を見ていた。
「なに」
「いや、なんか疲れてるみたいだから大丈夫かなって」
 大丈夫じゃないって言ったら、ユウは俺のために何をしてくれるんだろう。
 そんなバカなことを考えながら「大丈夫」と俺は笑ってみせた。
大事な後輩に、こんなふうにいつまでも気を遣わせてはいけない。だいたい、これまでが甘えすぎていたのだ。もう、あのときのショックからは立ち直っている。SNSだって、もう怖くない。
 だから、これ以上依存する前に、少し離れたほうがいいのかもしれなかった。

 その日の部活終わり、稽古場の隅で椅子に座りSNSを更新していると、帰り支度をしたユウがふらっと寄ってきた。
「飯、食いにいきます?」
 たぶん、さっき俺が疲れているように見えたから心配してくれたのだろう。
 やっぱ、このままだとよくないなと俺は首を横に振った。
「今日は帰るわ。あとさ、俺もう大丈夫だし、そんなに頑張って誘わなくてもいいよ」
「……なにかありました?」
「いや、特に何があったわけでもないんだけど」
 俺はユウを見上げる。
「今さらながら、成瀬の台詞の『されど、垣根を取り除くなかれ』って大事なことかもなって」
「それは、どういう――」
「なんていうか、俺らの間にも、ちゃんと垣根はあったほうがいいんだろうなって思ってさ」
「……」
「あのファッションショーの日のことがあってから、俺、ユウに頼りすぎてたじゃん、いろいろと。だけど、さっきも言ったけどもう精神的にも大丈夫になってるし、これ以上気を遣わせるのも申し訳ないから」
「別に気を遣ってなんてないです」
「でもさ」
 俺は、少し声をひそめる。
「最近、りんちゃんといい感じみたいだし、邪魔しちゃいけないって、俺のほうも気を遣ってんの」
「別にいい感じとかじゃ」
「でも、りんちゃんはユウの趣味のこととかも理解して一緒に付き合ってくれそうじゃん。いいと思うけどな」
「……透真さんは、俺とりんちゃんがうまくいけばいいって、思ってるってことですか」
「まあ、可愛い後輩同士がくっついたら、嬉しいよな」
「そうですか」
 しばらく床を見て黙っていたユウが、もう一度「そうですか」と呟く。
「分かりました。じゃあ、先帰ります」
「あ、でも『ゆーとま』としては青竜祭までよろしくな。稽古場での写真とか撮ってあげればいいと思うし」
 俺の声かけに、にこりともせずに頷いたユウは、何も言わず帰っていった。
 その後姿と自分との間に、見えない垣根が立っていくのを感じながら、俺は静かに見送った。