【トラウマってほどじゃないかもしれないけど、飲む気になれなかったからなー】
【じゃあ、乾杯しましょ】
 画面の中に映っている缶ビールとノンアルビールの缶が軽く触れあって、めっちゃうまい、とはしゃぐ声が聞こえる。
 チップスやビーフジャーキーなどもテーブルの上には並べられていて、画面の左右から指が伸びて来て、つまんでは画面の外へと外れていく。
【な、今日の稽古でさ】
 そう片方が話し出したところで、動画は早送りとなり、ひたすらビールとつまみと指がめまぐるしく動き続けた。しばらくすると早送りだった画面が普通の速度に戻り、缶ビールがトン、とテーブルに置かれる。
【もう眠い】
【布団敷きましょうか】
 ほどよく低い声が、優しく話しかける。
【いや、そんな悪い】
【別に一分もかからないし。待ってて】
 二人の声が少し声が遠くなり、みんなが帰ってきたら起こして、と言うのに対し、起きれるならねと答える声がする。
【がんばる……】
 最後に小さな声が呟き、そのまま静かになる。
 十秒ほどして、ずっと固定されていた画面が動き、改めてテーブルの上を映す。二本の缶ビールと、一本のノンアルビール、そして、ほとんどなくなったつまみたち。
 そのまま画面はぐるりと動き、布団に寝ている髪の長い男が映し出される。
【缶ビール二本飲み切らないで、この状態です】
 映像が小刻みに揺れたあと、何かに固定されたのか急に安定する。それを確認するように、黒髪の男が画面をのぞき込み、そのまま寝ている男のもとへといってその身体にまたがった。
 ちらっと画面にまた目を向けた男が、寝ている男のTシャツを脱がしながらここまでしても起きない、ということを説明する。またがる足で上半身はあまりよく見えないが、腕がシャツから脱げるところはしっかり写っていた。
 最後、黒髪の男が右腕で、寝ている男の首をそっと持ち上げTシャツを頭から抜きとると、茶色い髪がその腕にさらりと流れた。
 大事そうにその頭を抱えたまま、黒髪の男が【終わり】と画面に涼し気な目を向け、これ以上は見せないとでも言いたげに、カメラにTシャツをかぶせ、動画は終了した。

 *

 大変なことになっている、とミスターコンの実行委員から連絡が来たのは、演劇部の合宿が終わった数日後のことだった。
『SNS見た? って見てないか。私たちが見るなって言ってたんだし』
 また何かあったのか、と心臓がドクリとする。
 身に覚えのない罪をSNSで拡散されてからまだ一か月も経っていない。当然あれ以来、何もおかしな行動はとっていないはずだけど、火の無いところでも煙は立つものだということを身をもって知った今では、とても安心はできない。
『っていうか、西原くんも協力した感じ?』
「……ごめん、なんのことか全然分かんないんだけど」
『あー、ってことは、鷹野くんの独断か』
 ユウが何かをしたのか、と、今度はぎくりとする。
 炎上するようなことをするタイプではないけど、ちょっと天然というか思わぬ行動をすることがあるから、結果的に問題になってしまったという可能性は十分に考えられた。
『まあ、動画を見てもらった方が早いかも。ピンスタのアプリは消してないでしょ? ちょっと鷹野くんの動画見てみて。またあとで電話するから』
 なんの動画なのか一言も説明のないまま電話を切られてしまい、不安しかない中おそるおそるピンスタを開く。
 ホームの一番上に出ていたのが、まさにユウの投稿で、缶ビールやお菓子が映っていた。
 なんの動画なのかも分からないまま、再生ボタンを押した俺は、聞いたことのある声に目が飛び出そうになる。
 改めて見てみると、それは、合宿最後の夜、ユウと俺が飲んでいたテーブルの上を映した動画だった。
 乾杯をしたあとすぐに早送りが始まった動画を見ていると、急に通常の速度に戻り、俺の声が眠いと言い出す。
 ――つまり、俺が酒に弱いってことを証明しようとしてくれたのか
 可愛いことしてくれるとは思ったものの、別に大変なことになるほどでもない気がすると余裕をかましていると、動画は思わぬ光景を映し始めた。最後、ユウが眠る俺の頭を抱え、シャツをカメラにかけて終わらせるという、なんとも意味ありげな締め方まで見た俺の心臓は、さっきとは違った意味で高鳴り始める。
 落ち着いていられず、腰かけていたベッドから立ち上がり、部屋の中をウロウロしながらコメント欄を見るとハートの絵文字だらけで『彼氏の牽制えぐすぎ』『彼氏バチくそに切れてんじゃん』『彼氏からのマウントごちそうさまです』と、ユウのことを遠慮なく彼氏扱いする言葉たちが並んでいた。
 いや、そりゃあんな動画見たらそうなるわ、と思いながらスクロールしていると、一つのコメントが目に入る
『とまくんの身体を見せないようにしてるとこに、ゆーくんの愛を感じる』
 はっとしてもう一度動画を見ると、確かにだぼっとしたジャージを履いたユウが俺の身体をまたいだことで、肩から下がほぼ映っていなかった。別に男だから見られてもどうってことはないが、だからと言ってこの前のように見世物になるのは気分がいいものではない。
 そこまで考えてくれたんだろうか、ともう一度見ているうちに、シャツを脱がすユウの一つ一つの動作が丁寧なことに気付き、また心臓がどくっとなる。
 ――ヤバいな
 生まれて初めてかもしれない。現実が想像を、妄想を越えてくるのは。
 俺はもう一度ベッドに腰かけると、電話がかかってくるまでその動画の後半部分だけを憑かれたように何度も繰り返した。

 *

 自分が演劇を始めたのは、母の影響が大きい。
 母が女性だけの某歌劇団の熱烈なファンで、自宅のテレビでそのビデオがBGMのように流れ続ける中、俺は育ったからだ。
 物心がついた頃には、映像を見ながら真似するのが日課となっていて、よく母親と歌劇団ごっこもした。俺が口にする男役の台詞に母親は手を叩いて大喜びし、家に来る母のファン仲間の女の人たちも、母に促されて俺が真似する姿を見てキャーキャーと言いながら、素敵、将来が楽しみ、と喜んでくれた。
 幼稚園でも、女の子を大切にお姫様のように扱うんだよという母親の言いつけ通りに俺は振舞った。
 とうまくんは王子様みたい、と女の子たちは言ってくれたし、そのお母さんたちからも褒められた。
 もちろん男子たちとも仲良くした。歌劇団の男役同士の友情がそのモデルで、肩をくんだり抱き着いたりして子どもなりに理想の関係性を築こうと日々頑張っていた。
 しかし、小学校に入る直前、幼稚園で一人の女子が突然『とうまくんのはなしかた、なんかへーん!』と言った。それを聞いた子のうちの数人が『ぜんぶへん!』『とうまくん、へーん』と笑いながら同調しだし、今度は何人かの子が俺をかばって怒りだしたりして、クラスの中はちょっとした騒ぎになった。
 今思えば、日常の中でいつも芝居がかった言動をしていた自分への違和感が、幼いながらに「変」という言葉と繋がったのだろう。しかし、自分が最高だと信じて疑っていなかった俺にとってはあまりにもショッキングだった。
 家に帰って母に話すと、すぐに幼稚園の先生に怒った声で電話をかけていたが、翌日から俺は子どもの教育番組と男児向けのアニメを見せられるようになった。今思えば、俺の言動について先生からも何か言われたのだろう。
 教育番組もアニメもそれなりに面白かった。面白かったが、歌劇団のビデオを見ているときほど夢中にはなれなかった。もっともっとドキドキするものが見たかったが、親には言い出せず、俺はテレビをぼんやりと見ながら歌劇団のいろいろなシーンを自分の中だけで繰り返し繰り返し思い返すようになっていった。
 小学校では、変だと言われることのないよう、言動には気を遣った。それでもどこかで無意識的に染みついている行動が出てしまうのか、王子っぽいと言われることはあったが、孤立することはなかった。そして、ああいう言動は普段からするものではなく、大きくなって本当に好きな人ができたときにすべきなのだろうと自分なりに納得することにした俺は、その日がくるのを夢見ていた。
 だが、それは所詮、夢にすぎなかった。
 中学に入って初めてできた彼女には、俺の言動は重いし恥ずかしいとすぐに振られた。同じくらいの時期に、親友だと思っていた男友達に泣きながらその話をしたら、正直なところ自分もそう思うと言われた。
『なんか、自分に酔ってる感じって言うかさ』
 言いにくそうに告げられた言葉に、俺はしばらく落ち込んだ。
 それでも、世間ではドラマチックな恋愛ドラマや恋愛映画が流行っていたし、きっと自分と同じような恋愛をしたいと思っている人だっているはずだと思えた。しかし、その後に告白され付き合った子たちとも長続きはしなかった。毎回、俺の言動が原因だった。
 そんな中、高校のときに最後にできた彼女とだけは半年以上付き合った。もともと、演劇部で一緒にずっとやってきた仲間だった。現実では嘲笑されるような言動も劇中だと素敵だと思ってもらえるのがいい、と漏らしたら、『現実でも私は嬉しいと思うよ』と言ってくれた子で、実際付き合ったあとも、俺が口にする甘い言葉にも、デートのときのエスコートにも、記念日でもなんでもない日のサプライズにも、すべて『ありがとう』と笑ってくれた。それは嬉しいことのはずなのに、どこかに物足りなさを覚えつつ、数か月後、俺は彼女との初めての夜を、自分の立てた完璧なプランの中で過ごした。
 そして、初めての行為を終えたあと、俺は自分自身に失望した。
 ずっと、恋人とのそういった行為はどんなに素晴らしいものだろうと思ってきた。愛を確かめ合い、心も身体も満たされる時間を想像して期待していた。期待しすぎていた。その結果、まず最初に「たいしたことなかった」と感じてしまった自分は、もう駄目だと思った。
 ずっと理想の恋愛について想像や妄想をし続け、イメージを膨らませすぎてしまった自分は、これからどんな恋愛しても物足りないと思うのだろうし、どんなセックスをしても満たされることはないのだろうということに、気付いてしまったからだ。
 それでも、そんな身勝手な理由で別れるのも申し訳ない気がして、高校卒業まで付き合ったけれど、卒業式のあと、彼女のほうから振られた。
『透真は、好きな人と恋愛をしたいわけじゃなくて、自分の理想の恋愛を誰かとしたいだけなんだよね』
 その通りだった。それきり、こんな俺は舞台上でしか恋愛はしないほうがいいだろうと、現実での恋愛は諦めたのだ。
 友人関係に関しても同じことが言えた。相手のために身を投げうってまでも助ける、そんな厚い友情はそのへんにあるものではないということを中高を通じて知った俺は、大学ではこんな面倒な自分は隠し、表面上だけでみんなとうまく付き合っていこうと思った。
 しかし、そううまくはいかなかった。
 高校と違い、各自がそれぞれの時間を過ごす大学では自然と友達となる機会はほぼなく、あまり自分のことを話さないうえに踏み込まれないように身構えていた俺は、よく分からないやつとして敬遠されてしまっていた。
 そんな俺を見かねたのが同じ演劇部の江古田さんだった。なぜ舞台の上だとあんなに生き生きとしているのに日常だと殻に閉じこもっているのかと問い質され、俺は引かれることを覚悟で人間関係において自分の理想と現実のギャップがあること、だからなかなか自分を出せないことを話した。
 真面目に聞いてくれた江古田さんは、仲良くなるためには自己開示は必要だけど、話したくないと言う気持ちはわかる、なら代わりにさりげなくスキンシップを図り、身体的な距離を近づけることで気持ちの距離も近づけるようにしたらどうだ、と言ってきた。
 恋愛のハウツー記事に口下手な女の子へのアドバイスとして書いてあったから、たぶん効果があると言われ、俺は思わず笑ってしまった。そして、なんでそんな女の子目線の恋愛のハウツー記事を読んでいるのかと聞いたら、舞台を俯瞰で視るためには男目線だけじゃ絶対にうまくいかない、女の子の気持ちも分からないといけないから、勉強のためにねとさらりと言われ、笑った自分が急激に恥ずかしくなった。
 その後、せっかくのアドバイスだしと思って、誰かと話すときにさりげなく背中を叩いたり、腕を肩にのっけたりしてスキンシップを増やしてみたところ、効果は思った以上にあった。意外と話しやすいんだな、と言われることが増え、友達と呼べる人たちが増えていった。仲良くなると、すぐに相手への好意を口にしてしまう癖も、距離が適度にとれていると、ポジティブに受け入れてもらえることも分かった。
 二年生になる頃には、大学に行けば誰かしら話す人がいるようになった。男女関係なく、いろんな人に声をかけられるようになった。人付き合いが上手いと思われ、人の輪の中心にいることが増えていった。それは自分の狙い通りとも言えたけれど、常に相手に引かれていないか慎重に見極めながら過ごす日々は、緊張を伴うものでもあった。その分、プライベートでは、できるだけ一人で過ごした。家で映画を見るか、演劇を見に行くか。自分の好きな世界に没頭できる時間が、何よりの癒しだった。
 そこに、現れたのが、ユウだ。
 最初こそ、つかみどころのない男だと感じていたが、一緒に過ごすうちにただマイペースなだけだということが分かってきた。そして、常にテンションがほぼ一定で、イエス、ノーがはっきりしているユウといると、とても楽なことにも気づいた。
 ユウは相手によって態度が変わる、ということがない。まわりに媚びることもなく他人に踏み込むこともなく、だからといって他人を拒絶することもない。ユウが誘いや依頼を断ったとしたら、それは俺を拒否しているわけではなく、その誘いや依頼が、単にその瞬間、何らかの理由で受け入れられなかっただけで、タイミングが変われば大丈夫なこともある。その駄目な理由がやきそばだったりするわけだけれど、自分の中に責があると思いやすい俺にとっては、自分以外に明確な理由があるのは有難かった。
 ただ、人によっては、感情で返してくれないユウを冷たいと感じることもあるようだった。背が高くてスタイルがよく、一重の涼し気な目が印象的なユウは、部内の女子からも密かに人気があると聞く。それでも、誰も告白しようとはしないのは、そのせいかもしれない。本人があまりにも恋愛どころか人間そのものにすら興味がなさそうに見えるから。

 ――そんなユウが、こんなことをするなんてな
 改めてコメントを見ていくと、自分たちの関係がリアルだと思っている人が意外にいることが分かる。カメラをシャツで隠したあとヤったんじゃないかというニュアンスのコメントもいくつもあった。
 こうやって、周りからいろいろと邪推されることは、ユウもさすがに分かっていただろう。
 でも、あえてこういう行動を俺のために取ってくれた。
 それは、相手のためなら何をするのも厭わないという、俺の理想としていた親友の行動そのものでもあった。もうそういったものに期待するのはやめていたからこそ、余計に胸に響いた。
 もう一度動画を見返したあと、俺はピンスタを閉じて、かわりにLIMEを開いた。

 *

「どうもどうも彼氏のユウくん」
 翌日、ユウの家に行って開口一番そう言うと、ユウは「なんすかそれ」と苦笑した。
「コメント欄にめちゃくちゃ彼氏彼氏って書かれてるからさ」
「まあ、そうですね……とりあえず入ってください」
 ユウの家は、その性格と同じくすっきりあっさりとしている。しかし床の一角を、大量のカラフルなレコードが占めていて、相変わらずそのギャップが面白いなと思う。
「最近、新しいレコード買った?」
「そんなに最近ではないですけど、セールのときに――」
 そこまで言ったユウが、ふいに黙る。セールのとき、ということはつまりあのファッションショーの日に買ったということだろう。
「いいよ、気を遣わなくて。あの日に買ったやつがあるんだ」
「はい、何枚か」
「あとで見せて」
「今回はあんま透真さん好みのジャケットはないと思いますけどね」
「さすが彼氏、俺の好みのジャケットまで把握してる」
 俺の言葉に、ユウがははっと笑う。
 いつも通りっぽく見えるけど、どことなく緊張している雰囲気があるのは気のせいではないだろう。
 床に座って、ここのすぐ近くのコンビニで買ってきたカップアイスを袋から出し「食う?」と聞くと「食います」とユウも素直に受け取る。
 一緒にもらってきた木のスプーンで二口ほど食べたところで、「でさ」と俺は話しかけた。
「まず、昨日も言ったけど、ありがとう」
「いや、というか、勝手にアップしてすみません。でも、相談したらそんなことするなって絶対言われるだろうと思ったんで」
「確かに、相談されたら止めてたわ」
「……もし、これのせいで透真さんがまたいろいろ言われることがあったら、俺、自分が勝手にアップしたものだって言って回るんで――」
 真剣な顔で言うユウに「こっちは全然いいんだけどさ」と俺は笑いかける。
「むしろ、ユウ的には俺に利用されたっていうことにしておいたほうが平和だっただろうなって思って。こんなことしたら、ユウ自身もあれこれ言われるの間違いないし」
「あー、むしろ、俺が巻き込まれて可哀そうとかいう的外れのコメントに腹が立ってたとこもあるので、全然いいです」
「そうなんだ」
 なんとなくシーンとしてしまった中、二人でバニラアイスを黙々と食べる。
「それで」
「あの」
 同時に話し始めてしまい、またお互い黙ったあと「透真さんどうぞ」と言われて「じゃあ」と話し出す。
「俺のほうも、ユウのおかげでSNS再開できそうだから、彼氏っていうのはそこで否定するようにするな。ただ厚意でしてくれたことだから、誤解しないでって」
「そうしたら、また騙されたとか騒ぎになりませんか」
「なるかもしれないけど、もともと彼氏だってこっちが言ってたわけでもないし。さすがにユウにそこまで迷惑かけるわけには」
「別に今まで通りスルーで、言いたい人に言わせておけばいいでしょ。それに、俺が勝手にしたことでこうなってるわけだから、むしろ迷惑をかけてるのは俺のほうだと思うけど」
「でも、それは俺のやらかしたことをフォローしてくれてるわけで」
「それなら、そもそも俺がレコード屋さんに行けるように透真さんがフォローしてくれたのが始まりでしょ」
「ん――、でもやっぱ俺としては、ユウを利用してるみたいで罪悪感がある」
「全然利用してくれていいですよ」
 あっさりとユウが言った言葉に、厚い友情をまた感じて胸がかすかにドキリとする。
「このSNSだって、動かすのは青竜祭までなわけだし、あと二か月もないんだから。そこで終わればみんな自然と忘れてくでしょ」
「まあ……それもそうかもしれないけど。でも、マジでいいの」
「うん」
「やっぱユウってキャパが広い……」
「空洞ですから、ってこれもネタ化してきてるな」
 笑ったユウに「で、ユウは何言おうとしたの?」と訊ねる。
「さっきなんか言いかけてたじゃん」
「いや……、今、スルーすればいいとか言っておいてなんなんですけど、もし、透真さんに彼女がいなくても好きな人がいるなら、その人に誤解されたら申し訳ないなって思ってて」
 耳の後ろをぽりぽりとかきながら、ユウが小さな声で言う。
「あ、それはいないから全然大丈夫」
「そうですか」
「逆にユウは? 好きな人に誤解されて困るとかないの?」
 俺の問いに、ユウは淡々と「好きな人いないので」と答える。
「そっか。じゃあこのままでお互い問題ないってことだな。実行委員のほうにも一応言っておくわ。俺らがいろいろ言われてることについて気にしてたから」
「あ、すみません。お願いします」
「でもさ、今回の動画で、ユウの人気すげー上がったよな。コメント欄でもリアコってけっこう書かれてたし」
「それ気になってたんですけど、リアコってなんですか」
「リアルに恋、の略かな、本気で好きになった人のことを言うらしい」
「あー、そういう、へぇー」
 限りなくどうでも良さそうなユウの反応に笑ってしまう。
「もうちょっと嬉しそうにしろよ」
「いや、でも俺のこと全然知らない人に本気って言われても喜べないでしょ。もともと俺を知ってた人にすら実際に付き合ったらダメ出しされて振られんのに」
「まあ、それはそうだな」
 食べ終えたアイスの蓋を閉めながら、思わずしみじみと答えると「振られるのも納得、みたいな実感こもった返事やめてくれます?」とユウに言われ、慌てて「ちがうちがう」と答える。
「俺も付き合った人にいつもダメ出しされて振られるからさ。分かるなって思って」
「透真さんが? そんなダメ出しされるようなことするんですか?」
 一瞬、どう誤魔化そうかと考えるが、本当のこと話しても、ユウなら普通に聞いてくれるだろうと思い直し「俺、基本的に恋愛に夢見すぎてるとこあってさ」と口にする。
「映画とか舞台とかって、めちゃくちゃ恋愛もドラマチックじゃん。なんかそういうのに感化されすぎてるんだと思うんだけど、気持ちをいっぱい伝えたりとか、何でもやってあげたりとか、あとサプライズとかさ、頑張るんだけど、いつも恥ずかしいとか重いとか言われて」
「喜ぶ人のほうが多そうですけどね。そういうの」
「いや、たぶんユウが思うより痛い感じだと思うわ。俺、王子様に憧れてたから」
「へぇ」
 驚くでも引くでもないユウの反応に安心し、俺は続ける。
「まあ、それでも受け入れてくれる子もいたんだけど、俺は理想を膨らませすぎてるせいで満足できなくて。で、結局、自分の理想の恋愛をしたいだけでしょって振られるっていうね」
「ってか、透真さんって」
 ユウが、俺の空のアイスカップと自分が食べ終えたアイスの容器を重ねる。
「逆のイメージでした」
「逆?」
「いや、見た目的には確かに王子様っぽいんですけど、なんていうのかな、やってあげるというより、やってもらう側っていうか」
「俺が頼りないって話……?」
「違う違う、イメージでいうと、年上のお姉さんに可愛がられてる、みたいな。透真さんってなんていうか……可愛げがあるから」
 少し首を傾げた俺を見て、ユウが慌てたように続ける。
「ほら、うちでレコードとか選ぶときも、いっつも可愛い感じのやつ選ぶし。甘え上手なところもあるし」
「そうかな」
 ユウがそうそう、と言いながら二人分のアイスのカップを持って立ち上がり、台所のシンクでそれを洗いはじめる。
 それで言ったらユウは間違いなくやってあげる側だな、とその様子を見ながら思う。
 今も当たり前のように俺のカップまで片付けてくれた。まあユウの家だからっていうのもあるかもしれないけど。
 動画の中でも、布団を敷いてくれたし、俺が起こしてっていうのも普通に受け入れてた。
 SNSを見ないようにしたとき、このまま誰からも連絡が来ないかもしれないという不安から、ユウに写真とか送ってと言ったのに対しても、ちゃんと毎日送ってくれたし。
 合宿中、ハグしてほしいって言ったらすぐにしてくれたし。
 ――いや、ちょっと待て。俺、ユウに甘えすぎなのでは?
 ふと不安になって「じゃあ、レコード見ます?」と聞いてきたユウに「ユウさ、俺に呆れてない?」と聞き返してしまう。
「なんすか急に」
「いや、今、ユウこそ何でもやってくれてんなって思って。俺、甘えすぎてない?」
 ユウがきょとんとした顔になる。
「別になんでもやってるとは思ってないし、そんな甘えられてるとも思わないですけど」
「空洞だからか……?」
「俺の決め台詞取らないでもらえます?」
 笑ったユウがレコードのところにしゃがみ込む。
「でも、実際もっと甘えてもらっても、王子様みたいにしてもらっても大丈夫っすよ。今さらそんなんでイメージ変わらないし」
「じゃあ毎日愛を囁くか……」
「俺に囁きたいならどうぞ」
 あっさりとそう返され、本当に何でも受け入れてくれるんだろうか、と俺は立ち上がり、レコードを選ぶ背中に抱きついてみる。
「新しく買った中で、どれがユウのお気に入りなん?」 
 さすがのユウも一瞬驚いたように身じろいだものの、肩越しに「これですかね」と五枚持っていたうちの一枚を見せてくる。
 そのまま、ジャケットのどの辺がいいのかを説明するユウの落ち着いた声と背中の温かさに、ずっと緊張していた心の一部が少しずつ解されていくのを俺は感じていた。