翌年に立后を控え虹霓宮に引っ越しした美羽は、後宮にある林で松ぼっくり集めに精を出していた。
発端は蛾家の庭で採れた地瓜が届けられ、焚き火で焼いて食べようと美羽が言ったことである。実家の庭でよく焼いていたのでさっくり出来るだろうと思っていたのだが、後宮で火を熾すのはちょっと揉めた。最終的に万が一の消火を担う女性武官を配置することで焚き火の許可が出たのだ。
焚き火における美羽の役割はいつも松ぼっくり拾いだった。妃嬪がそんなことをするなんて、という悲鳴は無視し意気揚々と拾いに行く。松ぼっくりに火を付けるとよく燃えるからだ。
手に持った篭いっぱいの松ぼっくりを持って帰り、着火に使う分を除き残りは塩水に浸して一晩乾かす。
翌日。
午後の掃き掃除が終わると、松ぼっくりに火を付け落ち葉を被せる。程良い火加減になると、塩漬け松ぼっくりを火中に投げ入れた。炎が黄色く光って燃える。定番の遊びだと思っていたが三人娘は珍しかったらしい。四人で無心になって松ぼっくりを投げ入れた。
火の勢いが収まり灰になると地瓜を灰の中に埋める。これで半刻ほど待てば焼き地瓜の出来上がりだ。
暇なので椅子を持ってきて三人娘とお喋りに興じる。
引っ越しにあたって瑞季が女官長、芽衣が筆頭女官、猫杏が毒味係として正式に着任した。彼女らの下に蛾家推薦の女官がついて大所帯だ。
兄たちが「美羽のために死ねる者」「必要とあらば皇帝陛下に楯突ける者」という条件で人員を募集した結果、気が強く美羽を蛾家の女神と崇める者が集まってしまった。
唯玉には、最初からこの人員で後宮入りすれば良かったのではと言われた。しかし、女神扱いされ続けるのもそれはそれで負担なのだと説明する。納得はしてもらえたようだった。
女神ではなく人として扱ってくれる三人娘は気楽だ。今日は三人の恋愛の話で持ちきりである。
「秋の園遊会も盛況でしたね」
確かに招かれた男性陣は皇帝に見向きもされない美女たちに積極的に行っていた。唯玉がそうしろと指示したらしい。
「勢力図ががらっと変わってて見物でした」
男女共に見られた傾向で、瑞季にも男が殺到していた。何せ美人なので。
「毒物、なしでした。よいこと」
猫杏は変な男がいなかったことが好評だったようだ。
先の園遊会、後宮に残った女人の見合いも兼ねていた。既に降嫁先が決まった妃嬪が何人か宿下がりしている。
三人娘にも縁談の申し込みはあったが、まだ女官でいたいと突っぱねていた。
三人とも二十歳だというとことで、猫姐さんと呼んだら飛び上がって名前で呼んでくれと懇願された。猫杏はよほど驚いたらしく猫の姿になっていた。しばらく人間の姿に戻れなかったので、適当な棒と紐で猫じゃらしを作り遊んでしまったことは無罪だろう。
結婚の目安は二十五歳くらいだそうだ。
「美羽様も人気でしたよね」
「あれは全部蛾家ゆかりの官僚ばかりよ。まともに相手してたら日が暮れちゃうから適当に流してたけれど」
幼虫が一斉に羽化して出てきたような様相である。
あれを見ると「うるさい蛾め!」という気持ちになる人間の心理にも一定の同情を寄せられるものだ。美羽も蛾であることはこの際置いておく。
今は取り立てられたばかりでいい気分だろうが、これから何匹潰れるかわかったものではない。
「やはり、閉じ込めておいた方が良かったか」
唐突にした声に、みな一斉に振り返り一礼する。
執務中である唯玉が何故か庭にいた。
「唯玉様、お仕事中では?」
「武官を手配しただろう。担当者が今行けば焼き地瓜が食べられるはずだと教えてくれてな」
抜けてきた、と悪戯っぽい顔をする唯玉に庭に置かれた日時計を見る。
「程良い頃合いです!」
「取ってやろう」
皇帝自ら……! とその場にいた全員に激震が走った。
誰もが「いえ自分が」と言い出そうとして、唯玉はその間にむんずと灰の中に手を入れ地瓜を取り出す。
「……お熱くないので?」
「竜はこの程度では火傷しない」
合計で五つの地瓜を取り出すと灰を払って手渡してくる。
ひとつを猫杏に手渡し毒味してもらう。
「美味しいです」
「では唯玉様、こちらを半分こに致しましょう。あなたたち、蛾家の子にも分けてあげてちょうだい」
芽衣と猫杏が宮の中に地瓜を持って行った。
唯玉が地瓜をふたつに割る。片方を貰い、何とか皮を剥いた。
大口を開け被りつく。
「甘いー!」
蛾家の地瓜は特別甘い品種を育てていて、こうして焼くと本当に美味しい。
味わっていると瑞季が地瓜を持って完全に待ちの状態だった。美羽の視線に気がついたのか、唯玉が声を掛ける。
「瑞季、早く食べないと冷めるぞ」
「いえ、ご一緒する訳には」
「食べろ。命令だ」
そう言われて瑞季は地瓜に口を付けた。
口に含み咀嚼していくうちに、目が見開かれきらきらしていく。顔が美味しいと言っていた。
「素人の作とは思えないな」
「母の趣味なんです。庭は全部家庭菜園になっています」
地瓜を勢いよく食べながら唯玉は頷く。
「次は何が出来る?」
「来春は苺ですね」
彼は目を輝かせる。余計な期待を抱かせる前に釘を刺す。
「苺は傷みますから、届けてもらうのは難しいですよ」
「では食べに行こう。お前の里帰りということで」
様々な疑問が脳裏を駆け巡った。
皇后の里帰りに皇帝が引っ付いてくる? そもそも里帰りってそんな気軽にするものでないのでは? 立后後でてんやわんやでは? など。
言葉が出ないでいると、正気を疑う言葉が続いた。
「みなまで言うな。こっそりとだ」
次の瞬間、視界に入る全ての人間が耳を塞いで聞いていませんと必死に装う。そんなことをしても聞こえるのに。
「本当に忍ぶ気がおありですか」
「ない」
これは、春先は大荒れになるかもしれない。
今のうちに実家に手紙を書いておいた方がいいのだろうか。
頭の中は忙しなく動いていたが、口も動かしていたので地瓜を食べ終わった。今年も美味しかった。
「行くなら警備とか警備とか警備とか安全とか、色々ございますので関係各所へのお触れは早めに」
強めに言い、彼は鷹揚に首を縦に振ったので信用する。
灰の片付けを武官に命じると、焚き火の跡を見てぼやく。
「次は松かさ集めから我もやってみたい」
そんなことを皇帝が、と思ったが自分がやったので止められない。
「地瓜でしたらまだたくさんございますよ」
「では、明日は松かさ集めから」
大丈夫だろうか、と付き従ってきた宦官に目を向けるが全員諦めの目をしていた。
ご苦労様です、と心中で言葉を向け何とか手綱を握ろうとしてみる。
「集めるのにそんなに時間かからないですから、政務にも励まれてくださいませ」
「美羽はしっかり者だな」
最近理解したがこのような態度は甘えているのだ。
政務に支障がないなら好きなようにさせるか、と思った。全然手綱を握れていない。
心なしか周囲から応援するような視線を感じた。
「さ、政務にお戻りください」
「仕方ない」
それだけ口にして、口づけを落として宮殿に戻っていった。
戻った唯玉がまず行った政務が蛾家訪問計画の策定だったとあとから聞いて、美羽全官僚と関係者に懺悔した。
発端は蛾家の庭で採れた地瓜が届けられ、焚き火で焼いて食べようと美羽が言ったことである。実家の庭でよく焼いていたのでさっくり出来るだろうと思っていたのだが、後宮で火を熾すのはちょっと揉めた。最終的に万が一の消火を担う女性武官を配置することで焚き火の許可が出たのだ。
焚き火における美羽の役割はいつも松ぼっくり拾いだった。妃嬪がそんなことをするなんて、という悲鳴は無視し意気揚々と拾いに行く。松ぼっくりに火を付けるとよく燃えるからだ。
手に持った篭いっぱいの松ぼっくりを持って帰り、着火に使う分を除き残りは塩水に浸して一晩乾かす。
翌日。
午後の掃き掃除が終わると、松ぼっくりに火を付け落ち葉を被せる。程良い火加減になると、塩漬け松ぼっくりを火中に投げ入れた。炎が黄色く光って燃える。定番の遊びだと思っていたが三人娘は珍しかったらしい。四人で無心になって松ぼっくりを投げ入れた。
火の勢いが収まり灰になると地瓜を灰の中に埋める。これで半刻ほど待てば焼き地瓜の出来上がりだ。
暇なので椅子を持ってきて三人娘とお喋りに興じる。
引っ越しにあたって瑞季が女官長、芽衣が筆頭女官、猫杏が毒味係として正式に着任した。彼女らの下に蛾家推薦の女官がついて大所帯だ。
兄たちが「美羽のために死ねる者」「必要とあらば皇帝陛下に楯突ける者」という条件で人員を募集した結果、気が強く美羽を蛾家の女神と崇める者が集まってしまった。
唯玉には、最初からこの人員で後宮入りすれば良かったのではと言われた。しかし、女神扱いされ続けるのもそれはそれで負担なのだと説明する。納得はしてもらえたようだった。
女神ではなく人として扱ってくれる三人娘は気楽だ。今日は三人の恋愛の話で持ちきりである。
「秋の園遊会も盛況でしたね」
確かに招かれた男性陣は皇帝に見向きもされない美女たちに積極的に行っていた。唯玉がそうしろと指示したらしい。
「勢力図ががらっと変わってて見物でした」
男女共に見られた傾向で、瑞季にも男が殺到していた。何せ美人なので。
「毒物、なしでした。よいこと」
猫杏は変な男がいなかったことが好評だったようだ。
先の園遊会、後宮に残った女人の見合いも兼ねていた。既に降嫁先が決まった妃嬪が何人か宿下がりしている。
三人娘にも縁談の申し込みはあったが、まだ女官でいたいと突っぱねていた。
三人とも二十歳だというとことで、猫姐さんと呼んだら飛び上がって名前で呼んでくれと懇願された。猫杏はよほど驚いたらしく猫の姿になっていた。しばらく人間の姿に戻れなかったので、適当な棒と紐で猫じゃらしを作り遊んでしまったことは無罪だろう。
結婚の目安は二十五歳くらいだそうだ。
「美羽様も人気でしたよね」
「あれは全部蛾家ゆかりの官僚ばかりよ。まともに相手してたら日が暮れちゃうから適当に流してたけれど」
幼虫が一斉に羽化して出てきたような様相である。
あれを見ると「うるさい蛾め!」という気持ちになる人間の心理にも一定の同情を寄せられるものだ。美羽も蛾であることはこの際置いておく。
今は取り立てられたばかりでいい気分だろうが、これから何匹潰れるかわかったものではない。
「やはり、閉じ込めておいた方が良かったか」
唐突にした声に、みな一斉に振り返り一礼する。
執務中である唯玉が何故か庭にいた。
「唯玉様、お仕事中では?」
「武官を手配しただろう。担当者が今行けば焼き地瓜が食べられるはずだと教えてくれてな」
抜けてきた、と悪戯っぽい顔をする唯玉に庭に置かれた日時計を見る。
「程良い頃合いです!」
「取ってやろう」
皇帝自ら……! とその場にいた全員に激震が走った。
誰もが「いえ自分が」と言い出そうとして、唯玉はその間にむんずと灰の中に手を入れ地瓜を取り出す。
「……お熱くないので?」
「竜はこの程度では火傷しない」
合計で五つの地瓜を取り出すと灰を払って手渡してくる。
ひとつを猫杏に手渡し毒味してもらう。
「美味しいです」
「では唯玉様、こちらを半分こに致しましょう。あなたたち、蛾家の子にも分けてあげてちょうだい」
芽衣と猫杏が宮の中に地瓜を持って行った。
唯玉が地瓜をふたつに割る。片方を貰い、何とか皮を剥いた。
大口を開け被りつく。
「甘いー!」
蛾家の地瓜は特別甘い品種を育てていて、こうして焼くと本当に美味しい。
味わっていると瑞季が地瓜を持って完全に待ちの状態だった。美羽の視線に気がついたのか、唯玉が声を掛ける。
「瑞季、早く食べないと冷めるぞ」
「いえ、ご一緒する訳には」
「食べろ。命令だ」
そう言われて瑞季は地瓜に口を付けた。
口に含み咀嚼していくうちに、目が見開かれきらきらしていく。顔が美味しいと言っていた。
「素人の作とは思えないな」
「母の趣味なんです。庭は全部家庭菜園になっています」
地瓜を勢いよく食べながら唯玉は頷く。
「次は何が出来る?」
「来春は苺ですね」
彼は目を輝かせる。余計な期待を抱かせる前に釘を刺す。
「苺は傷みますから、届けてもらうのは難しいですよ」
「では食べに行こう。お前の里帰りということで」
様々な疑問が脳裏を駆け巡った。
皇后の里帰りに皇帝が引っ付いてくる? そもそも里帰りってそんな気軽にするものでないのでは? 立后後でてんやわんやでは? など。
言葉が出ないでいると、正気を疑う言葉が続いた。
「みなまで言うな。こっそりとだ」
次の瞬間、視界に入る全ての人間が耳を塞いで聞いていませんと必死に装う。そんなことをしても聞こえるのに。
「本当に忍ぶ気がおありですか」
「ない」
これは、春先は大荒れになるかもしれない。
今のうちに実家に手紙を書いておいた方がいいのだろうか。
頭の中は忙しなく動いていたが、口も動かしていたので地瓜を食べ終わった。今年も美味しかった。
「行くなら警備とか警備とか警備とか安全とか、色々ございますので関係各所へのお触れは早めに」
強めに言い、彼は鷹揚に首を縦に振ったので信用する。
灰の片付けを武官に命じると、焚き火の跡を見てぼやく。
「次は松かさ集めから我もやってみたい」
そんなことを皇帝が、と思ったが自分がやったので止められない。
「地瓜でしたらまだたくさんございますよ」
「では、明日は松かさ集めから」
大丈夫だろうか、と付き従ってきた宦官に目を向けるが全員諦めの目をしていた。
ご苦労様です、と心中で言葉を向け何とか手綱を握ろうとしてみる。
「集めるのにそんなに時間かからないですから、政務にも励まれてくださいませ」
「美羽はしっかり者だな」
最近理解したがこのような態度は甘えているのだ。
政務に支障がないなら好きなようにさせるか、と思った。全然手綱を握れていない。
心なしか周囲から応援するような視線を感じた。
「さ、政務にお戻りください」
「仕方ない」
それだけ口にして、口づけを落として宮殿に戻っていった。
戻った唯玉がまず行った政務が蛾家訪問計画の策定だったとあとから聞いて、美羽全官僚と関係者に懺悔した。