肚兜ではなく寝衣を用意させ、湯殿から戻った美羽を少し涼ませてから布団に押し込む。
口づけをするとまた真っ赤になるが、飴を舐めて顔を綻ばせているところが可愛らしい。
不眠症の治療に必要なのは、服薬してきちんとした時間に寝ること。眠れるようになったら少しずつ薬を減らすこと。日中は適度に身体を動かすこと。これを徹底すれば心因性の不眠症だった美羽は回復していくだろう。蛾家の女官選定も進んでいるというし、宮に戻すのはそう遠くないかもしれない。
そんなことをつらつら考えていると、少しうとうとしてきた美羽が訊ねてくる。
「主上は、何でわたしを助けてくれるんですか?」
「寵を求めてきた女なら倒れても放っておいた。助けを求めてきたから助けただけだ」
「こたえに、な……て、な……」
すぅ、と眠りについた様子を見て己の顕現に感謝する。
口づけが不味いと女からは大層不評で、あって役に立つのか常々疑問であった。それが役立っている。
普通に薬を飲むより効果が高いようだ、と彼女は笑顔で言う。実際ぐっすり眠れているようで安心する。
日中、美羽のことをどうしたいのかずっと考えていた。
手元に置いておきたい。恐らく話が早いのは立后することだ。皇后の座は空席で、望めば据えることは出来る。しかし、それは彼女の輝きを奪うことになるのではないかと恐れてしまった。
仮に皇后としたとして、あの時倒れてきた時より窶れてしまったらどうすればいい。皇后は重責だ。倒れてしまうことが無いとは言えない。
政を恐れたことはなかった。出来てしまうから恐れる謂われはなかった。それがたったひとりのことについて思い悩み、怯えている。
「独りよがりで子供じみた独占欲なら放して差し上げた方がよろしいでしょう」などと猫娜に言われた。己の感情を振り返り、一旦は美羽を回復させるのが先だと考える。約束通り治療して、それからどうしたいか問おう。
目を閉じる。
瞼の裏で薄藍の翅が舞っていた。
唯玉に拾われて一星期。七日も経った。
竜神宮にいる間に桃の花も散ってしまった。代わりに躑躅の季節が到来する。紫がかった薄赤色の花々が咲き乱れ目を楽しませた。
猫娜が女官長のしての仕事があるということで、三人娘を連れて庭を散策する。芽衣が衣装を着せ、瑞季が髪を結ってくれた。
芽衣と瑞季は息の合った二人組で、仕事を素早くする。可愛いのが芽衣で美人なのが瑞季だ。猫杏は基本的に毒味係で、解毒薬の薬人だった。淡々としているが忠誠心に厚い。
この一星期で彼女たちにも詳しくなっていた。
「主上は分かりにくいお方ですから」
「捻くれあそばされておりまして」
「……でも毒が入ってると心配してくれるです。本当は優しいです」
これらは竜神宮での美羽の扱いについての評である。
女官たちはもちろん美羽が唯玉のお手付きではないことを知っていた。それでも大変良くしてくれて、名前で呼ぶことを許している。
「美羽様、押せば何とかなりますよ!」
芽衣が力強く言った。
「ここは派手な下着でぐぐっと」
派手な下着とはあの肚兜よりも強烈なのだろうかという疑念で瑞季を見る。その横で猫杏がこくこく頷いていた。
和やかな昼下がりだった。
それを壊したのは、四夫人の一団である。
四夫人も互いが政敵であることが多く、あまり徒党は組まないが何故か四人纏めてやってきた。
「まあまあ蛾風情が竜神宮にいるなんて、躾がなっていないわね!」
先鋒は賢妃である。犬の顕現であり、きゃんきゃんと五月蠅い。
そもそも勝手に竜神宮に入ってきていることが躾がなっていないのだが、下手に反論して勘気を被りたくはない。
黙って耐えるのは慣れているつもりだ。
「どうやって主上を籠絡なさったのかしら」
徳妃は直球でくる。果たして籠絡出来ているのかは美羽が一番よく解らなかった。
「このような下賎な虫、叩き潰してしまえばいいのよ」
淑妃が言ったことはこの齢十八の間で散々聞いてきたことである。今更過ぎて何の感慨も湧かない。
「所詮は毒蛾。その忌ま忌ましい翅をもいでしまえば主上も興味を無くすでしょう」
毒蛾。そうきたか。貴妃が居丈高に宣まわる。蛾一族には確かに毒蛾もいるが、浅藍色大天蚕蛾は毒を持たない。はっきり言って因縁だ。
ぐるる、と低い唸り声がして、声がした方を見た。三人娘が今にも飛びかからんばかりに爪を鋭くさせている。
流血沙汰はまずい、と思い間に割って入る。
「あなたたち、落ち着いて。この方たちは口だけで文句を言いにこられたのよ。冬に薄着で放り出したり、食事に毒を混ぜたり、捕食をちらつかせている訳ではないのよ」
「美羽様……でも、我慢なりません!」
ふしゃー! と毛を逆立てる三人娘に賢妃が牙を剥き出しにした。
「わたしに疑義があるなら唯玉様に直接お訊ねになればよろしいのです。あの阿婆擦れは何なのですか? と」
声を張り上げる。唯玉のことを勢いで名前を呼んでしまったが知ったことか。勢いのお陰か一瞬四夫人が怯む。
精一杯の威嚇で翅を羽ばたかせ鱗粉を振り撒いた。
勢いの削がれた様子の四夫人に、背を向け竜神宮で籠城しようとした時だ。
「怒った浅藍色大天蚕蛾も美しい。そう思わないか、お前たち」
低くよく通る声がする。
唯玉だ。
今はまだ昼下がり、執務をしている時間なのに彼は後宮にいた。
「主上、何故ここに」
貴妃が困惑した声を上げる。
唯玉は何も言わずに美羽をひょいと持ち上げた。
そして口づけをされた。苦い、だが眠りを齎してくれる安息の味。
「いやぁああああ!! どんなにせがんでもわたくしたちには口づけなさらないのに!!」
「しても不評なのは目に見えているからな」
とても冷たい目をしていると思った。美羽が知る瞳はもっと柔らかだ。
「我はこの美しくも愛らしいものが気に入った。よってお前たちは不要だ。疾く宿下がりせよ」
彼が不敵に笑うと四夫人は泣き崩れる。
声も憚らず「主上、主上」と泣いていた。
これでいいのか、と思っていると竜神宮の寝所へそのまま運ばれてしまう。長椅子の上に置かれどうしたものかと思っていると、唯玉が抱き竦めてきた。
ぎゅう、と腕に力を込め深い息を吐いている。
「あの、主上」
「唯玉と呼んでくれ」
まさかの懇願に固まっていると、唯玉の手が頬を撫でた。
あまりにも指先が冷たくて、手を取って掌の熱を移す。
「どうされました?」
そんなことはないのに、寄る辺なく震えているように見えて寄り添うように訊ねた。
「お前を失うかと思った」
多少悪口を言われただけで大袈裟だと思ったが、虐めに遭い倒れたことを思うと安易に否定出来ない。
「少しでも悪意に曝せば消えてしまうのでないかと。お前の翅をもぐなら我がいいとも考えた。そうしてしまえば結局お前を傷つける」
竜とはとても恐ろしい。この国では神に等しい。
だが、いつも感じていた怯えを今は感じなかった。代わりに優しい気持ちが胸を満たす。
「悪意があれど、傷つこうとも、唯玉様はまた拾ってくださるのでしょう?」
女嫌いかもしれない。けれど美羽のことは傍に置いてくれるのではないかと思った。
「拾わない。手元に置いておく。お前はそれでいいか」
「はい、お傍に置いてください」
冷たいと言われているけれど本当は優しい人。
傍らにいたいと思った。想ってくれたから。
苦い口づけをした。口直しの飴を含んで舌先で戯れる。
吐息を奪い合い、口づけに溺れた。
口づけをするとまた真っ赤になるが、飴を舐めて顔を綻ばせているところが可愛らしい。
不眠症の治療に必要なのは、服薬してきちんとした時間に寝ること。眠れるようになったら少しずつ薬を減らすこと。日中は適度に身体を動かすこと。これを徹底すれば心因性の不眠症だった美羽は回復していくだろう。蛾家の女官選定も進んでいるというし、宮に戻すのはそう遠くないかもしれない。
そんなことをつらつら考えていると、少しうとうとしてきた美羽が訊ねてくる。
「主上は、何でわたしを助けてくれるんですか?」
「寵を求めてきた女なら倒れても放っておいた。助けを求めてきたから助けただけだ」
「こたえに、な……て、な……」
すぅ、と眠りについた様子を見て己の顕現に感謝する。
口づけが不味いと女からは大層不評で、あって役に立つのか常々疑問であった。それが役立っている。
普通に薬を飲むより効果が高いようだ、と彼女は笑顔で言う。実際ぐっすり眠れているようで安心する。
日中、美羽のことをどうしたいのかずっと考えていた。
手元に置いておきたい。恐らく話が早いのは立后することだ。皇后の座は空席で、望めば据えることは出来る。しかし、それは彼女の輝きを奪うことになるのではないかと恐れてしまった。
仮に皇后としたとして、あの時倒れてきた時より窶れてしまったらどうすればいい。皇后は重責だ。倒れてしまうことが無いとは言えない。
政を恐れたことはなかった。出来てしまうから恐れる謂われはなかった。それがたったひとりのことについて思い悩み、怯えている。
「独りよがりで子供じみた独占欲なら放して差し上げた方がよろしいでしょう」などと猫娜に言われた。己の感情を振り返り、一旦は美羽を回復させるのが先だと考える。約束通り治療して、それからどうしたいか問おう。
目を閉じる。
瞼の裏で薄藍の翅が舞っていた。
唯玉に拾われて一星期。七日も経った。
竜神宮にいる間に桃の花も散ってしまった。代わりに躑躅の季節が到来する。紫がかった薄赤色の花々が咲き乱れ目を楽しませた。
猫娜が女官長のしての仕事があるということで、三人娘を連れて庭を散策する。芽衣が衣装を着せ、瑞季が髪を結ってくれた。
芽衣と瑞季は息の合った二人組で、仕事を素早くする。可愛いのが芽衣で美人なのが瑞季だ。猫杏は基本的に毒味係で、解毒薬の薬人だった。淡々としているが忠誠心に厚い。
この一星期で彼女たちにも詳しくなっていた。
「主上は分かりにくいお方ですから」
「捻くれあそばされておりまして」
「……でも毒が入ってると心配してくれるです。本当は優しいです」
これらは竜神宮での美羽の扱いについての評である。
女官たちはもちろん美羽が唯玉のお手付きではないことを知っていた。それでも大変良くしてくれて、名前で呼ぶことを許している。
「美羽様、押せば何とかなりますよ!」
芽衣が力強く言った。
「ここは派手な下着でぐぐっと」
派手な下着とはあの肚兜よりも強烈なのだろうかという疑念で瑞季を見る。その横で猫杏がこくこく頷いていた。
和やかな昼下がりだった。
それを壊したのは、四夫人の一団である。
四夫人も互いが政敵であることが多く、あまり徒党は組まないが何故か四人纏めてやってきた。
「まあまあ蛾風情が竜神宮にいるなんて、躾がなっていないわね!」
先鋒は賢妃である。犬の顕現であり、きゃんきゃんと五月蠅い。
そもそも勝手に竜神宮に入ってきていることが躾がなっていないのだが、下手に反論して勘気を被りたくはない。
黙って耐えるのは慣れているつもりだ。
「どうやって主上を籠絡なさったのかしら」
徳妃は直球でくる。果たして籠絡出来ているのかは美羽が一番よく解らなかった。
「このような下賎な虫、叩き潰してしまえばいいのよ」
淑妃が言ったことはこの齢十八の間で散々聞いてきたことである。今更過ぎて何の感慨も湧かない。
「所詮は毒蛾。その忌ま忌ましい翅をもいでしまえば主上も興味を無くすでしょう」
毒蛾。そうきたか。貴妃が居丈高に宣まわる。蛾一族には確かに毒蛾もいるが、浅藍色大天蚕蛾は毒を持たない。はっきり言って因縁だ。
ぐるる、と低い唸り声がして、声がした方を見た。三人娘が今にも飛びかからんばかりに爪を鋭くさせている。
流血沙汰はまずい、と思い間に割って入る。
「あなたたち、落ち着いて。この方たちは口だけで文句を言いにこられたのよ。冬に薄着で放り出したり、食事に毒を混ぜたり、捕食をちらつかせている訳ではないのよ」
「美羽様……でも、我慢なりません!」
ふしゃー! と毛を逆立てる三人娘に賢妃が牙を剥き出しにした。
「わたしに疑義があるなら唯玉様に直接お訊ねになればよろしいのです。あの阿婆擦れは何なのですか? と」
声を張り上げる。唯玉のことを勢いで名前を呼んでしまったが知ったことか。勢いのお陰か一瞬四夫人が怯む。
精一杯の威嚇で翅を羽ばたかせ鱗粉を振り撒いた。
勢いの削がれた様子の四夫人に、背を向け竜神宮で籠城しようとした時だ。
「怒った浅藍色大天蚕蛾も美しい。そう思わないか、お前たち」
低くよく通る声がする。
唯玉だ。
今はまだ昼下がり、執務をしている時間なのに彼は後宮にいた。
「主上、何故ここに」
貴妃が困惑した声を上げる。
唯玉は何も言わずに美羽をひょいと持ち上げた。
そして口づけをされた。苦い、だが眠りを齎してくれる安息の味。
「いやぁああああ!! どんなにせがんでもわたくしたちには口づけなさらないのに!!」
「しても不評なのは目に見えているからな」
とても冷たい目をしていると思った。美羽が知る瞳はもっと柔らかだ。
「我はこの美しくも愛らしいものが気に入った。よってお前たちは不要だ。疾く宿下がりせよ」
彼が不敵に笑うと四夫人は泣き崩れる。
声も憚らず「主上、主上」と泣いていた。
これでいいのか、と思っていると竜神宮の寝所へそのまま運ばれてしまう。長椅子の上に置かれどうしたものかと思っていると、唯玉が抱き竦めてきた。
ぎゅう、と腕に力を込め深い息を吐いている。
「あの、主上」
「唯玉と呼んでくれ」
まさかの懇願に固まっていると、唯玉の手が頬を撫でた。
あまりにも指先が冷たくて、手を取って掌の熱を移す。
「どうされました?」
そんなことはないのに、寄る辺なく震えているように見えて寄り添うように訊ねた。
「お前を失うかと思った」
多少悪口を言われただけで大袈裟だと思ったが、虐めに遭い倒れたことを思うと安易に否定出来ない。
「少しでも悪意に曝せば消えてしまうのでないかと。お前の翅をもぐなら我がいいとも考えた。そうしてしまえば結局お前を傷つける」
竜とはとても恐ろしい。この国では神に等しい。
だが、いつも感じていた怯えを今は感じなかった。代わりに優しい気持ちが胸を満たす。
「悪意があれど、傷つこうとも、唯玉様はまた拾ってくださるのでしょう?」
女嫌いかもしれない。けれど美羽のことは傍に置いてくれるのではないかと思った。
「拾わない。手元に置いておく。お前はそれでいいか」
「はい、お傍に置いてください」
冷たいと言われているけれど本当は優しい人。
傍らにいたいと思った。想ってくれたから。
苦い口づけをした。口直しの飴を含んで舌先で戯れる。
吐息を奪い合い、口づけに溺れた。